49.現実

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49.現実

 今日の配給で昼食分として渡されたのは、1人につき菓子パンとおにぎりが1つずつだった。  夕方には炊き出しがあるとのことで、稔彦はその時間を左腕にメモした。    ボールペンはあるのだが、紙は今、貴重品なので極力使いたくない。  と言うので稔彦の腕は日々のメモであちこち埋められていた。  そして避難所に戻ると稔彦は、入口にある表札代わりのホワイトボードに、新たに和子の名前を追加した。    和子が母のところに戻ると、母はまた夢でも見ているかのように瞳を潤ませて和子を出迎え、その身体を引き寄せて抱き締めた。  和子もまた、これまで長らく会えなかった寂しさや、心配をかけた申し訳なさを思い、その胸に素直に顔を埋めた。  そして母は、和子の頭を撫でながら、その髪がところどころ固く絡まり、泥土や埃に苛まれていることに気づいた。  和子はあの海に放り出されて以来、きちんとした入浴らしいものをしていなかった。海から救出された後、船の中にいた女性たちに身体を拭いてもらったり余り物の服に着替えさせてもらったりはしたが、その後は着のみ着のままの放浪生活だったのだ。  母は慌てて洗面器に湯をもらいに行き、タオルを絞って和子の髪や頬を拭き出した。   「身体も出来るだけ拭いた方がいいわ。  少しならお湯も分けてもらえるのよ。  1週間に1度だけど、公共浴場も使わせてもらえるから、その時にしっかり洗わないと・・・・・・」 「うん、分かった。・・・・・・あ、いいよ。後は自分でやる」  和子は頬に触れるタオルをくすぐったそうに奪い取ると、自分で顔や耳の裏、首筋などを拭いた。  包帯で目隠しをしているので、その裏側が蒸れて痒かったが、まだ人前で取るのには抵抗があった。  早く光を浴び、両目を開けたい気持ちはあるのだが、なぜか心にブレーキがかかっている。  以前1度・・・・・・この包帯を巻く前、海から救助されてすぐだが、和子は瞼を上げることが出来なかった。  その時は傷を受けた直後でもあるし、腫れているせいもあるかもしれないと自分を納得させたけれど、それからずっと、この包帯を取れずにいる。  もしも、また光が見えなかったら。  包帯を取っても、何も視界が変わらなかったら。  うつむく和子の首元で何かがキラリと揺れ、それに気づいた母が懐かしそうに目を細めた。 「あら、その琥珀のペンダント、まだ身につけてるのね」 「あ、うん。これはもう、ずっと・・・・・・」  和子は手探りでペンダントトップを指で摘まみ、持ち上げた。  それを見た母は、何だかおかしなものを発見したかのように目を擦った。 「え?あら?それ・・・・・・」 「え?」 「和子ーーーーっ!」  ドタドタと床を踏み鳴らす荒々しい足音が聞こえ、和子は慌ててペンダントを胸に滑り込ませた。  どこかから急いで走ってきた稔彦は、和子に近づくなり腕を掴み、息を荒げて叫んだ。 「今日の当番医、眼科のドクターだって!行こう!」  あんぐりと口を開けたままの母を残し、稔彦は問答無用に和子をその背に担ぐと走り出した。  避難所近くのテントには臨時の療養所が出来ていて、日替わりで様々な科のドクターが診察を担当してくれている。  ドクター自身も被災している場合が多いのだが、医療用具を掻き集め、出来る範囲での診療を行っていた。  長い列に並んで1時間ほど待った後に、和子は名を呼ばれ、汚れて薄茶に染まった包帯を久々に解いた。  海からの救出後、船上でたまたま居合わせた看護師の女性に簡単な処置をしてもらって以来で、本格的にドクターに診てもらうのはこれが初めてだ。  和子は、目を開けることが出来なかった。  やはり、恐れていた通り、あったのは包帯があった時と同じ漆黒の、何の表情もない暗闇だけだ。  ただ微かに、闇が明るくなった。  けれど、それだけだった。  初めて和子の両目の状態を目にした稔彦は、驚きで言葉を失くした。  そして固唾を飲んで見守る中、ドクターは眉にシワを寄せると「ふう・・・・・・」と重いため息をついた。  和子の両目は横一直線に延びた傷に覆われていた。  自然治癒の本能からか、皮膚の保護本能なのかは分からないが、上下の瞼の皮が傷を覆うようにいびつに癒着し、その奥の瞳を完全に隠している。  瞼がくっついているから、和子は目を開けることが出来なかったのだ。    ドクターは静かに、低い声で言った。 「傷を受けた直後に、すぐに適切な処置が出来ていれば、多少は良かったかもしれないけれど・・・・・・詳しくはレントゲンを撮るか、切開してみないと分からない。  でも、見たところ・・・・・・この深さ・・・・・・眼球事態がわずかにえぐられているように見える。角膜を損傷している可能性も高い。  手術出来る環境がこの先整ったとしても・・・・・・酷だけれども、元のように見えるようになる、と言うことは、現時点では・・・・・・。  とりあえず、これ以上悪い菌が入り込まないように清潔を心がけて。  それにしても、この傷は・・・・・・何か大きな事故に巻き込まれでもしたのかい・・・・・・?」
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