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「・・・・・・・・・・・・」
和子はパイプ椅子に座ったまま、膝の上に置いた握りこぶしを震わせていた。
何も言わない、言えない患者に、ドクターは同情的な目線を送った。
「・・・・・・まあ、この未曾有の大災害のもとでは、誰もが一様に打ちのめされている。
君が特別不幸だという訳ではない。
流れてきた家屋や土砂に巻き込まれて亡くなった人や、挟まれて手足を切り落とす羽目になった人だっているんだ・・・・・・。
知っての通り、数えきれない人々が命を落とし、行方不明になっている。
それに比べれば、これだけで済んだと思うべきなのかもしれない。
今後の生活は大変だろうと思うけれど、周りに家族や友人がいるなら助けてもらって。
ね、はい。じゃ、次の人・・・・・・」
稔彦に腕を掴まれ、和子はふらつきながら立ち上がった。
その拍子に座っていたパイプ椅子がガシャンと後ろに倒れた。
「あ・・・・・・す、すみません」
「ああ、いいですよ。大丈夫。さあ、はい。次の方、どうぞ」
中年女性看護師の、さらっとした淡々とした口調の中に『あなたは目が見えないから仕方がない』というニュアンスが含まれている気がした。
和子はそれが、親切から来ていると理解しつつも、何だか自分が子ども扱いされているような、下に見られているような居心地の悪さを感じた。
今までだったら、まっすぐに立つことなんて簡単だったし、こんな風によろめいて椅子を倒すことなんてなかった。
でも、今は見えなくて。
出口を探せなくて。
そして何より、ドクターの言葉。
他人事のような、両目に対する無慈悲でクールな見解に、和子は動揺し、手足に力を入れられなかった。
看護師が椅子を戻し、次の患者が座った後も、その場から足を動かすことが出来ない。
「和子、もう出ないと。あっちで包帯、巻き直してもらおう」
見かねた稔彦が和子を誘導しようと手を引いた。
けれど和子の腕は、その行為に反発するように引っ込んだ。
立ったまま、怯えたように和子は震えていた。
「和子・・・・・・」
和子の目の、塞いでいる瞼の皮の隙間から、涙が1つ、また1つとこぼれ落ちた。
どうにも自分が情けなくて、バカみたいに思える。
目は、良くならない。
これからずっと、開くことはなく、光を見ることもない。
そう宣告された気がした。
いや、認めたくないだけで、実際そう宣告されたのだ。
もう海も山も、誰の顔も見ることが出来ない。
自分の手のひらを見つめることも無理ならば、文字や絵を書くことも、そしてトイレも入浴も、介助なしには出来ないのだ。
あたしは、一人ではもう、何も出来ない。
あまりにも動かない和子に痺れを切らし、稔彦は駄々をこねる子どもを扱うように腰を曲げ、努めて柔らかく声をかけた。
「和子?どうした?・・・・・・行こう」
「・・・・・・嫌」
「ここじゃ、他の人の迷惑になるから。とにかく・・・・・・」
「先に行って」
「何言ってんだ。お前1人じゃ・・・・・・」
「行って!」
喉を引き裂くような叫びが狭いテント内に響いた。
診察を待っていた多くの人の視線が、そのただならぬ声に向かって集中した。
人々はテントから飛び出して来た和子を見て、一斉に素直な言葉をもらし始めた。
「ちょっと、見て!あの子の目!」
「うわっ、何あれ?気っ持ち悪い・・・・・・何、どうしたらあんなになるの?」
「ママぁ!あのお姉ちゃん、おめめがくっついてるよ!」
「こら、静かになさい!・・・・・・あんまりジロジロ見ちゃダメよ!」
「・・・・・・あらまあ、可哀想に。女の子なのにねえ・・・・・・」
「はあーー・・・・・・あれじゃきっと、嫁の貰い手に困るだろうねえ」
「本当にねえ、可哀想ねえ」
「・・・・・・っ」
和子は走り出した。
稔彦が止めようと叫んでいたが、それが鼓膜に響くほどに、その声から出来るだけ離れようとがむしゃらに駆けた。
通行人に当たれば謝り、壁にぶつかれば方向を変えて、とにかく闇雲に、前へ前へと進んだ。
そして気づくと、ひと気のない場所にたどり着いていた。
路地裏だろうか。
人々の喧騒が遠くに聴こえる。
壁を伝ってしばらく歩き、そして気を抜いたところで、わずかな石段に引っ掛かり転倒した。顔からぬかるんだ泥土の上にダイブした。
想定外の転倒に身体が反射的に動かず、打ち付けた肘と脛が火が出るように痛む。
けれど和子は、喧騒に混じって微かに聴こえる稔彦の呼び声にハッとし、すぐさま身を起こすと再び移動を始めた。
それはとても、無様な姿だった。
泥だらけでヨロヨロと歩き、大通りに出てはすれ違い様に何人もの人にぶつかった。
その行為に対して人々は眉を潜め、露骨に文句を飛ばす人もいれば、その目に気づき同情し、憐れみ、容赦する人もいた。
何十回と謝りながら、和子はひたすら歩き続けた。
転んだり物に衝突することで、身体のあちこちにアザが出来、壁や塀から飛び出ていた釘などの突起物で切り傷を負ったりもした。
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