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それでも和子は、人に頼ったり、道を尋ねたりということはしなかった。
ただ、自力で歩き続けた。
涙が、止まらなかった。
たくさんの人が周囲に溢れているのに、そう感じることは出来るのに、なぜか1人で生きているようだった。
そしてむしろ、本当に1人になってしまいたかった。
誰にも会わず、誰にも頼らず1人で、ただ1人でじっと出来る場所を探していた。
数十分が経過して、もう足が限界に近づいた頃、和子はどこかの学校の体育館裏にたどり着いた。
そしてそこに積まれた多くのガラクタに足を取られ、転倒し、そのまま中に倒れ込んだ。
体育館の内側からは、何と言っているかまでは分からないが、人々の話し声が聴こえる。恐らくここも避難所の1つなのだろう。
そこから出た不燃ごみを集めた場所なのだ。
不要になった段ボールや家電製品、濡れてボサボサに毛羽だった毛布、プラスチックゴミなどが、無造作に積まれていた。
腰からその雑多な中に落ち込んだため、すぐにはそこから抜け出すことが出来なかった。
力を入れれば脱出するくらい何ともないことなのだろう。けれど、力が入らなかった。
今の自分にはお似合いの場所だった。
和子はそのまま天を仰いだ。
霧雨が降り続いている。
生ゴミのつんと鼻にくる臭いが、湿気に覆われてパワーアップしているように感じた。
ゴミの隙間に、誰かが食べかけのゴミなんかを捨てているに違いない。
じっとしていると、動き続けていて荒くなっていた息が、少しずつ落ち着いてくるのが分かった。
けれど、頭の中はぐちゃぐちゃに荒れたままだ。
受け入れられない現実、認めたくない現実があった。
和子はこれまで生きてきた中で、最も絶望を感じていた。
これほどまでに生きていることが怖いと思えたことはなかった。
どれくらいその場所にいただろうか。
霧雨は変わらずしとしとと降って、和子の肌を水滴のベールで湿らせ続けている。
少し風がひんやりとし、遠くから微かに炊き出しのいい匂いが運ばれてきたことで、夕方、もしくは夜になったことを悟った。
母が心配しているだろうと思った。
けれどまだ帰れなかった。
1人でいさせてほしいと思った。
誰かに世話してもらったり、同情してもらうこと・・・・・・それが、これから一時的ではなく、死ぬまで続くのだと思うと、それが何だか堪らなく嫌だと思った。
今まで生きてきた、生きていたままの自分で、これからも生きていきたかった。
当たり前の生活を、そのまま送っていきたかった。
なぜ、それが叶わなかったのだろう。
なぜ、こんな目に遭わなければならなかったのだろう・・・・・・。
和子はあの船上での争いを思い出した。
暁、かなえ、金城氏・・・・・・。
そもそもの火種は、和子だった。
和子さえいなければ、何も問題は起きず、2人が死ぬこともなかったのだ。
「暁、くん・・・・・・」
熟れたトマトのように腫れ上がった和子の両目から、再び涙が溢れた。
暁のことを思い出し、和子は声を上げて泣いた。
あの屋敷で冷たく追い払われた日。
・・・・・・成り行きで泊まることになって、稲妻の光る中抱きしめられた夜。
洞窟の階段で溺れかけていた時に伸びてきた腕。
好きだと告白してくれた時の、真剣な顔。
その全てはまだ、昨日のことのように鮮やかに脳裏に蘇ってくる。
なのに、なのに・・・・・・。
暁は死んだ。
もういない。
もうあの瞳を見ることも、あの腕に抱かれることもない。
結局彼を救うことは出来なかった。
彼のために何も、してあげられなかった。
反って自分の存在が彼を苦しめ、死に追い込んだのだ。
「・・・・・・あたしのせいで、あたしの・・・・・・あたしが、あたしさえ、いなければ・・・・・・」
もう、彼はいない。
どんなに嘆き、後悔しても、彼は2度と戻ってこない。
世界中で最も愛し、最も愛してくれた人は、もうここに、この世にいないのだ。
悲しみが、悔しさが、切なさが、堰を切ったように溢れ、そのあまりの勢いに、和子は自分の胸が圧迫され、息が詰まるように感じた。
暁の死からもうひと月が経ち、とっくに受け入れていたつもりだった。
けれど今になってそれが強がりだったこと、直視せず逃げて、ごまかしていただけだったということが分かった。
まるで昼間に会った暁の母のようだ。
この現実から逃げたい。
邪魔のものは全て排除して、考えないようにして生きたい。
『生きろ!』
暁は言った。
あの日、あの船から。
けれどその現実は、想像よりも遥かに過酷で、厳しすぎるものだった。
和子は自分のハーフパンツのポケットに、朝、女の人から受け取った手紙が入ったままになっていることに気づいた。
事務員のような淡々とした口調で、女の人は和子だということを確認すると、何だか嬉しそうに『あなたを世界でただ1人、信じられる人だと言っていた女の子からですよ』と言い、和子の手のひらにその手紙を握らせた。
詳細を聴こうとした時、稔彦が間に入ってきて、そのまま女の人はいなくなってしまったのだ。
結局、誰からの手紙か、聞けずじまいだった。
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