50.少女からの手紙

1/3
前へ
/154ページ
次へ

50.少女からの手紙

 夜は更け、体育館の周囲からは徐々に灯りが消え始めた。  和子は身体が促すままに眠りに落ちていこうとしていた。  その時だった。  和子が飲み込まれているガラクタの周辺に、丸い光が差し込んできた。  和子はその光に気づかなかったが、誰かが砂利道を踏んで近づいてくる気配を感じ、反射的に顔を背けた。  その動作で誰かが声を上げた。 「あれえ?違うかなあ。人、いるよね?あそこ・・・・・・犬とか猫じゃないよね。人、だよね・・・・・・」 「はあ?マジで言ってんの?お前。あそこはごみ捨て場やろうが」 「でも、ほら・・・・・・見て、女の子だよ。そうだよ、ほら、ほら!和子ちゃんだよ!間違いないって!」  どこかで聞き覚えのある男女の声だった。  そして少女の方が和子のそばに駆け寄ってきた。 「大変!びしょびしょだよ!武夫、手伝って!こっち、こっち!」  次の瞬間、和子はその少女の連れの男に荒々しく腕を引っ張られ、そのまま背におぶられた。  少女が『武夫』と呼んだことから、御船崎で会ったガタイの大きな少年、幼馴染みの武夫を思い出した。ならば一緒にいるこの少女は、恋人の千恵美に違いない。 『余計なことしないで!放っといて!』  そう口にしたかったが、長時間飲食をせず、衰弱しきった和子の声はあまりにも細く貧弱で、それはただの息漏れにしかならなかった。  また、体育館裏のこの場所には電灯もなく、和子の抵抗しようとする歪んだ顔さえ、2人には見えなかった。    わずかにもがく和子の手足など全く気にも止めない武夫は、そのまま千恵美と共にどこかに歩き始めた。  そしてそのうちに、武夫の温かい体温が、和子の冷たく強ばった肌を柔らかく解し出した。  氷が角を落として溶けていくような心地よさだ。  いつのまにか和子は気を緩め、そのまま眠りに誘われていった。  和子が連れてこられたのは、千恵美の家族が滞在している避難所の一角だった。  和子や稔彦が住んでいるところとは違う町内会の公民館で、十数世帯が仕切って生活を送っている。  和子が目覚めて上半身を起こすと、すぐさま雀のように甲高い少女の声が耳元に響いてきた。 「あっ!和子ちゃん!起きた?気分どう?」 「・・・・・・千恵美、ちゃん?」 「そう!スゴい!千恵美だよ!よく分かったね!」  見えていないことを知っている上で、声で自分だと気づいてもらえたことに感心し、素直に喜ぶ千恵美に、和子は何だか少し、苛立ちを覚えた。 「どうして・・・・・・」 「昨日の晩のこと、覚えとるかなあ。  武夫が担いできたんだけど。あ、和子ちゃん、まだ熱あるみたいだから寝とっていいよ。無理せんで、うん。  その、今ね、武夫が和子ちゃんのお母さんのとこに報告しに行ってるから、大丈夫」 「え・・・・・・」  余計なことを・・・・・・と言おうとして眩暈がし、それに気づいた千恵美の介助で和子は再び横になった。  悔しいが、身体が思うように動かない。  そうこうしているうちに、千恵美の方から事情の説明があった。 「昨日ね、稔彦くんが和子ちゃんを探し回ってるところに偶然居合わせてね。  あたしたちもね、稔彦くんと一緒のレスキュー船に乗って御船崎からここまで避難して来たんだよ。  武夫なんかは船で意気投合してすっかり仲良しになっとったし、それで和子ちゃんのことも聞いとったしね。  だから今回も、和子ちゃんがいなくなったって聞いて、じゃあ一緒に探そうかってなって。  で・・・・・・あちこち手分けして見て回って、もう暗いから明日にしよっかーって、言ってた矢先に体育館裏で偶然・・・・・・」 「放っといてくれたらよかったのに」 「え?」 「あたし、まだ1人でいたかったのに・・・・・・」  和子は無愛想に、絞り出すように不満を呟くと、両腕を顔の上に被せて隠した。  まだ全く、心の整理がついてない。  こんな状況で、母はともかく稔彦と顔を合わせることになるのが嫌だった。  自分勝手なことは分かってる。  助けてもらったことも。  あのままあそこで一夜を明かしていたら、危険だったかもしれないことも。  千恵美は和子の潰れた瞼から流れる涙と、その現実を受け入れられずにいる姿を見て、しばらくは何も言わず、同情的な視線を送っていた。  しかし数分後、大きなため息と共に本音が漏れた。 「和子ちゃん、ホントに変わっちゃったね。  昔はそんな、マイナス思考じゃなかったのに。和子ちゃんはいつも、前向きでキラキラしてた。  世の中のいいところばかりに目を向けて、そういうのを探すのが上手で、あたしはそんな和子ちゃんの笑顔や生き方が好きで憧れとった。  そんな風になりたかった・・・・・・でも、人って、変わるんやね・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・」 『何でも大好き和子ちゃん』  おかっぱ頭の、歯茎丸出しで笑う快活な少女が和子の脳裏に浮かんだ。  以前、千恵美たちと再会した頃には思い出せなかったけれど、記憶のほとんどが蘇った今となっては、その子は和子の中で、今現在の自分に繋がる道の同線上に立っていた。  それは間違いなく自分自身で、呆れるくらいに自分の意思で動いていた過去の自分だった。  
/154ページ

最初のコメントを投稿しよう!

39人が本棚に入れています
本棚に追加