50.少女からの手紙

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 けれどなぜ、そうやって生きていたのか。  それが今の自分では完全には理解出来ず、彼女は随分と遠い位置に立っている気がする。  なぜ彼女は、昔の自分は、それほどまでに前向きに、清らかに全てを捉えて生きていけたのだろう。  その思考は今の和子には完全に消えていて、またそのようにこれから行動することは、とても不可能に思えた。  そしてそれを強要するような、期待するような千恵美の言葉に、和子は露骨に不快感を表した。 「人は成長するんだから、学んで変わっていくのは当然だよ。昔のあたしのことはもう言わないで。あたし、もうその頃のあたしじゃないんだから」 「うん、そうだよね。そうだけど・・・・・・でも」  千恵美は肩に掛けていた丸みのある赤いポーチから、ヨレヨレになって黄ばんだ数枚の紙を取り出した。 「冨美さんも、がっかりすると思うな」 「はっ?」  和子は驚いた。  今ここで、千恵美の口から、同郷でもない冨美の名が出てくるとは思いもしなかったからだ。  二人は接点がないはずだし、誰かが千恵美に冨美のことを話すと言うのもあり得ない。  和子はずっと、誰にも冨美のことを話してこなかった。  毎年送っている手紙だって、家族にバレないように投函していたし、稔彦だって、いじめに遭っていた時、仲裁に入ってくれたことはあっても、深くは知らないはずだ。  ただ1度だけ、あの船の中で暁に話しただけだ。    千恵美は少し申し訳なさそうに頭を下げて言った。 「ごめん。あのね、昨日運ぶ時、和子ちゃんのポケットから手紙が落ちて、拾ったんだけど泥水の中に落ちちゃってね、そのままにしとったら読めなくなるかもしれんから・・・・・・悪いとは思ったけど、乾かそうと思って、中の紙を広げたの。  封筒の中には2通の手紙が入っとって・・・・・・そのうち1通が冨美さんからだった。もう1通は、その冨美さんが入所してた施設の方からの手紙。  それで、文字が大丈夫かどうか確認しようとして、読んで、その・・・・・・和子ちゃんの大切な友達なんだろうなって、思って・・・・・・」 「冨美ちゃんからの手紙だったの?  それで・・・・・・それで、中身は、何て書いてあったの?」  あの事件から5年、毎年手紙は出しても、その返事を受け取ったことはない。  それなのに今、この時になって、どうして届いたのだろう。  千恵美は和子の勢いに圧倒されつつも、要望に応えるべく、手紙を開くとゆっくり読み始めた。 「じゃあ、読むね・・・・・・」 『聖職者や平和主義者が必ず迫害を受け、困難を強いられるように、あんたの人生も決して平穏なものとはならないだろう。  でも、あんたは諦めてはならない。  あんたは闇にとっての光のようなものだから。  あたしはあんたが死ぬほど大嫌いだけど、あんたが光として存在する世界なら、世界っていうのは割と、捨てたもんじゃないんだと思う』 「・・・・・・それで?」 「終わり。これだけだよ」 「え・・・・・・?どういうこと?」  和子は混乱した。  冨美が何を言いたかったのか、何を伝えたかったのかが分からなかった。  千恵美は和子の顔色を窺うようにして、もう1通の手紙に手を伸ばした。 「それじゃ、もう1通の、施設の方からの方、読むね」 『いつも冨美さん宛に手紙を送って下さり、ありがとうございます。  冨美さんは態度には出しませんが、毎年心待にしていたようで、必ず目を通していました。  ただ返事は、書くようにいくら勧めても笑ってごまかすばかりで・・・・・・私は、あなたが一方的な文通に疲れて、いつか送るのをやめてしまうのではないかと危惧していました。  していました、と過去形なのは、冨美さんがあの大水害の後から行方不明になっているからです。  実はあの8月3日に、施設は波に飲まれ、今も建物の全てが水没しています。  ほとんどの入居者が避難出来ないままあの日を迎えました。  私は所用があって、たまたま施設を離れていて無事だったのですが・・・・・・その災害の後、しばらくしてから私に冨美さんからの手紙が届いたのです。  どうやらあなたが2日にテレビで会見をされた直後に書かれたもののようなのですが、私はその会見を、残念ながらみておりませんし、冨美さんがどんな想いからこの文章を書いたのかも正直分かりません。  けれど、ご本人であるあなたなら、きっと何かを悟って下さると信じています。  これは推測ですが、冨美さんはもしかすると直感で災害を、自分の死の可能性を感じ取っていたのかもしれません。だからこの手紙は遺書のようなものなのかもしれません。  全く誰にも心を開かずに生きてきた彼女からの最期の言葉です。  冨美さんは以前1度だけ、あなたの手紙を受け取った際、「この世の中で信じられるのはこいつだけ」といったことを言われていました。  あなたがこの手紙の内容を真摯に受けとり、適切に読み取って下さることを、そしてその言葉を今後の人生に生かしていただけることを、心から、切に祈ります  鰆樹少年少女更正保護施設   職員 杉本常子』  
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