51.『白』

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 今、このような醜い姿になってもなお、なぜ稔彦はあたしのそばにいてくれるのだろう。  誰かがあたしのこの顔では、嫁の貰い手がないだろうと危惧していた。  本当に、その通りだ。  きっとどんな男の人も、前抱きついてきた兄の友人でさえ、今のあたしに会えば、声をかけることすらせずに立ち去るだろう。  稔彦も本当は、そうしたいのかもしれない。  けれど少し前にあたしに告白したことや、親ぐるみの付き合いの呪縛や同情心があって、もう気持ちはないけれど世話をしてやらなければと、正義感から付き添っているのかもしれない。  もしもそんなだったら、堪らなく、辛い。  申し訳ないと思うし、解放してあげたいと思う。  稔彦はまあまあハンサムだし、ルックスもよくて、運動神経もいい。  あたしが足枷になって、その人生をつまらない松葉杖のように使うのはもったいない。  自由に生きてほしい。  どうかもうあたしに構わないで。  あたしを捨てて、羽ばたいてほしい。  そうだ。  あたしが消えれば、いっそ消えてしまえば。  消えられたら。  消えられたら。  消えたい。  消えたい・・・・・・。  パチン。  その時、何かが弾けた音がした。  夢うつつにいた和子は、自分が高速でどこかに移動し、引き込まれているような錯覚に陥った。  様々なことを考えすぎて、マグマのように煮えたぎり熱くなっていた頭が、急速にキインと冷えていくのが分かる。  凍るように、寒い・・・・・・。  時空のねじれの中に、落ちていく。  気づくと和子は、またあの『白』の中に立っていた。  あの、暁と別れた直後の海上以来だ。  そして今はこれまでのいつよりも、はっきりと自分の意思を持ったまま、ここに佇んでいる。  恐怖の『白』。  今ならその意味が分かるような気がする。  なぜ、怖いのか。  なぜ、直視出来ないのか。  『白』は、神様の『白』。  神聖な光、影のない光。  それが怖いのは、自分に影があるからだ。  人は本能的に、自分は正しい、良い人物であると肯定しようとする。  けれど、この光の前に立つと、自分の浅ましさ、自惚れ、汚さが全て露にされるようで、自分の悪しき部分、欠点と直接退治するのを避けられなくなって・・・・・・それを認めなければならなくなるのが、怖いのだ。  向き合いたくない本当の自分。  生きていくために、多少の悪いことは皆やっていることだと正当化して、社会のせいにしてごまかしている自分。  ガードレール脇に捨てられたゴミを、自分が捨てたものじゃないからと、拾わない自分。  好みじゃないから、ダイエット中だからと、出された料理をほぼ残してしまった自分。    かなえに悪いと言いながらも、暁への想いを抑えきれず、離れることが出来なかった自分。  そして結局暁の欲求にも応えきれず、曖昧な態度で同居し、そのまま死に追いやってしまった自分・・・・・・。  何という不甲斐なさ。  見たくない自分の全てを晒され、まるで閻魔大王に罪状を次々に言い渡されているような気分になる。  狂ってしまいそうだ。  逃げたい。  いつもならそう思う。  けれど、今の和子は違った。  その全てを、受け入れようと思った。    どうせなら、知りたい。  どこにも逃げ場なんてないんだ。  もう事実から、真実から、自分から、目を逸らしたくない。  暁のいないこの世界で、自分をかばう必要もない。  責められていい。  むしろ厳罰にして、叱咤してほしい。  報いを受けさせてほしい。  情けない自分を、殺すほどに責めてくれたらいい。  和子は白い光を直視した。  もう何も怖くなかった。  失うものはない気がした。  攻撃も全て避ける気はなかった。  ドンと来い、と手を広げた。  けれど光は、その光は、いざ対面してみると、責めているのではなかった。  それは燦々と降り注ぐ春の日の陽光のように、ただ暖かく和子を包んでいた。  太陽が全ての人を分け隔てなく照らすように、その光も平等で、そして優しかった。  光がこう、囁いている気がした。 『愛せ。赦せ。受け容れよ・・・・・・』  誰を責めてもいなかった。  あるのはただ、愛。  そのままの自分を、ひねくれた部分も、つまずく部分も、全てを赦し、受け容れるよう、諭すような愛の光だった。  自分に出来る影も、自分。  それはコインの表裏のように、必ず共にあるもので、絶対に切り離すことは出来ない。  過ちの黒。  希望の白。  その表裏は誰にでもあって、けれどただ1人1人、その濃度の比率が違っている。  白の率が高い人ほど光のそばに存在し、黒の率が高いほど遠ざかっていくのかもしれない。  そうだとしたら、あたしはどの辺にいるんだろう。  どことも言えない。  ただ1つ言えることは、あたしも全ての人間と等しく『生命』を持ち、神の恩恵を賜って存在している、と言うことだ。  そうだ・・・・・・。  それを理解した途端に、和子は自分の周り、いや光の周りに無数の魂が点在し浮かんでいるのに気づいた。
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