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1.始まりの朝
7月2日
ザアアアアア・・・・・・
ピチョン、ピチョン。
雨樋を伝い落ちた雫が、続けざまに軒下のバケツに波紋を作る。
早くから始まった梅雨は、そろそろ明けても良さそうなのに、なかなか天気予報でお日さまマークは輝かない。
「和子(わこ)!いったい何時だと思ってるの!」
階下から母の罵声が飛ぶ。
心なしか湿気を帯びたブランケットを蹴って、渋々和子はベッドから起き上がり、眠い目を擦りつつ階段を下りていく。
「だって、目覚ましが聴こえなくて」
「言い訳はいいからホラ!もうあんたのだけなんだから」
そう言いながら母は、既に平らげられた父と母、そして2つ上の兄の食器を洗い始めている。
レジのパートが8時からなのだ。
そして和子も、7時40分のバスに乗らないと遅刻は免れない。
遠方の大学に通う兄はもうとっくに出発している。
「もう高校3年だっていうのに、いつまでたってもだらしがないんだから」
ブツブツ不満を漏らす母を尻目に、和子はもう温くなってしまっている味噌汁に手を伸ばす。
味噌汁の隣には豆ご飯、インゲンの煮物。
2日前にテレビの健康番組で、イソフラボンがガン予防になるとか、美容にいいとか言っていたせいだろう。母はそういった外からのもっともらしい情報に弱い。
バナナやヨーグルトの時は1週間くらい頑張っていたけれど、今回はいつまで持つやら。
「はあ・・・・・・だってさあ、またあの夢見たんだもん。あたし、あの夢ほんとダメ。あれ見るとほんと目覚まし意味ない。なんかねえ、見た後、時差ボケみたいになるんだよね。くらくらって言うか」
「海外に行ったこともないくせに」
「だって、ほんとに例えるならそんな感じなの!他に例えようが」
「いいから早く!食べなさい!」
まだ固く、煮えていない部分のあるインゲンをパリポリとかじりながら、和子は大音量で響いているテレビの方に顔を向けた。
少し耳が遠い50代半ばの父は、朝から他の家族にお構いなしに勝手にボリュームを上げる。
父も兄同様に既に出勤していたが、父のお気に入りの朝のニュース番組はそのままつけっぱなしになっていた。
『依然、これらの消えた動物達の消息は分かっておらず・・・・・・』
出た。
またこの連続動物失踪事件だ。
全国各地の動植物園で、様々な種の生き物たちが深夜に忽然と消えてしまうらしい。
動物はオスメスのつがいでいなくなることが殆どで、植物も雌雄が別のものはペアで消えるらしい。
もう何年も前からこの事件の報道は耳にしているけれど、いったい警察は何をしてるんだろう。
しかも大型哺乳類もだって言うから、絶対犯人に舐められているとしか言いようがない。警備も不甲斐なさ過ぎじゃないのか。
「テレビばっかり見てないで、和子。口」
「へいへい」
口を動かしなさい、という命令を『口』という短い言葉で伝えられて、和子は再び椀に瞳を落とした。
あと3分の1の量。
時間はあと15分。
髪をとかしたり、制服に着替えたりもしなくちゃいけないのに、なかなか身体が軽く動いてくれない。
言い訳じゃなくて、本当に身体が重いのだ。頭も、身体も。
昔から・・・・・・いつからか分からないけど、ちょこちょこ見るあの光の夢。最近は頻度が増してきているように思える。
そしてあの夢を見た後は、決まって身体が重だるいのだ。
お化けを見たわけでもないのに、恐怖で鳥肌が立って、身体が強張って、ぎこちない。
何故だろう・・・・・・。
急がなければ。なのに。
「おっはようございまあす!あれっ?和子、まだ飯食ってんの?さすがにこの時間でそれはヤバいだろ、おい」
「・・・・・・またうっさいのが来た・・・・・・」
台所奥の勝手口から、日に焼けた顔の制服姿の男子が現れた。
3軒隣に住んでいる稔彦(としひこ)は、同級で同じ高校というのもあって、ほぼ毎朝迎えにやって来る。
別に頼んでいる訳でもないのに、いつのまにか恒例化していて、母などは大助かりとばかりにその行為に甘える始末だ。
「あっらあ、稔彦くん!いつもいつもごめんなさいねえ!いやあもう、助かるわあ!今朝はもう、一段とダレててねえ」
「余計なお世話だよ」
「何言ってんの!稔彦くんがいなかったら、あんたの今年度の遅刻回数はとっくに2桁越えしてるわよ!お母さんは、稔彦くんが来てくれるようになってから、すっごく楽になったわあ」
サッカー部所属の稔彦は、色黒でたくましい外見をしている。
日々汗している割には思春期特有の脂(あぶら)ギッシュなニキビがあるわけでもなく、どちらかと言うと爽やか系好青年だ。
家は代々続く公務員家庭で、母からすれば言うことなしの好物件でもある。
彼氏でもないのに、どうかと思うけど。
「稔彦くんのとこだったら、いつお嫁に行かせても安心だわあ」
ブッと味噌汁を鼻と口から吹き出した和子を見て、母のその発言に気づいていなかった稔彦が慌てて勝手口から上がってくる。
「おいお前、いい加減にしろよ。あと10分だぞ。分かってんのか」
「はいはい。だから先行ってていいって」
「『はい』は1回でしょう!」
稔彦に急かされた上、母から返事にケチをつけられ、和子は味わうゆとりもないまま残りの味噌汁を喉に流し込んだ。
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