2.記憶にない町

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 本館は3階建てで、隣接する別館は2階建て。朝食と夕食は共同の食堂、というか2階の大広間で個々用意するので、要望があれば食べたい時間に調理時刻を合わせることも出来る、と簡潔に説明があった。  しかしこの女将は内心、和子に聴きたいこと(探りをいれたいこと)が山ほどあるようで、民宿の説明は何だか気もそぞろ、と言った感じだった。  2階に上がり案内された『しゃくなげ』の部屋に入ると、開け放された窓からの潮風と、畳特有のい草の香りがつんと鼻を突いた。  荷物を下ろした時に外を一瞥した女将が、ため息混じりに小さな声で呟いた。 「暁(あきら)くんもねえ、昔はあんなんじゃなかったんだけどねえ」 「・・・・・・暁くん?」 「えっ?なんや、てっきりあんた・・・・・・あたしはニュースの真偽を確かめに来たのかと思っとったのに、違うとね」 「・・・・・・?」  煮えきらない和子の態度に、女将の方が痺れを切らす。 「ニュースで見たから来たっちゃなかと?ほら、そこの御船崎高校の女教師が、在籍しとる生徒と籍入れたって言うて騒ぎになったやろ。この辺にも暫くマスコミがようけ来たんよ。でもねえ、あんな女・・・・・・言うたらなんやけど、そがん美人でもなかし、ツンとして嫌な感じで・・・・・・まあ、資産家の娘やから、金には不自由せんやろうけども」 「はあ・・・・・・」 「なんね、あんたまさか・・・・・・ホントにそれが目的で来たとじゃないと?」  歯切れの悪い和子の反応に、女将は拍子抜けしたようだった。  女将は女の直感で、和子からの予約が入った時点で、暁に会いに来たに違いないと思い込んでいたのだ。  そうでなければこんな田舎に女子高生が一人で来るはずもない。  あのニュースの後だし、それ以外ないと思っても仕方がなかった。  和子としても、事実そのニュースの真相が気にかからない訳ではなかった。  けれどここに来た理由がズバリそれかと聞かれると、そうではないような気がした。  ただ猛烈に、この町に来たくなった。  強い引力を感じた。  その方が、真実に近い気がした。  暁という少年のことは確かに気になる。  気になる、とても。  でもまだ思い出せていないし・・・・・・顔さえ頭に思い浮かばないのだ。 「あの・・・・・・そんなにあたし、その暁くん?と・・・・・・仲良かったんですか」  その質問に、女将は呆れたように口をあんぐりと開ける。 「あんた・・・・・・仲良いもなんも、いっつも一緒やったやない。大人になったら結婚するって、子供たちみんな噂しよったのに」 「結婚!」  今度は和子が口を開ける番だった。  未だに『彼氏いない歴』歳の数更新中の自分が、そんな幼児期に結婚宣言をしていたとは。自分でも衝撃の事実だった。  本気で驚いている和子を見て、女将が心配げに眉を寄せる。 「あんた、引っ越してから記憶喪失になったらしいっていう噂は本当やったん?じゃあ、今回は、生まれ育った故郷を見てみたいって、そんなとこかい?ふうん・・・・・・まあ、たまにゃこんな田舎で羽を休めるのもいいもんよ。ゆっくりしていったらよか」  女将はちょっとがっかりしたような笑みを浮かべると、部屋の中央にちゃぶ台を出し、湯呑みにお茶を注いでくれた。  部屋の窓からは深い藍色の海と、点在する島々が見渡せる。  そして先程、女将が遠目に見て眉を潜めた方へと目を向けた時、和子の胸が突如ドキン、と波打った。  西側に突き出た岬がある。  川沿い、海に出る入り江に沿った先、漁港からやや離れた所だ。  その岬の先っぽ、こんもりとした森の奥に何だかいびつな形の、この町にそぐわない巨大な建造物の一部分が見えた。  和子は階下に下っていこうとしている女将を急いで引き止めた。 「すみません、待ってください!あの、あれ・・・・・・あの岬の先端に見える大きな建物は何ですか?」  和子の質問は想定内だったのか、女将は用意していたかのように答えを返す。 「あれは、金城の屋敷だよ」 「金城の、屋敷?」 「さっき話した、女教師の実家。あそこは県でも指折りの金属加工の工場があったんやけど、あそこの主人がなかなかの変わりもんでね。工場が稼働中の頃から、数十年に渡って増築に増築を重ねて・・・・・・今じゃ気味の悪いお化け屋敷みたいな外観になっとる。まあ金持ちのデザイン住宅って言えば、そうも見えるのかも知れんけどね。ここいらじゃ一番の豪邸であることは間違いなかね」 「へえ・・・・・・」  何故か、胸騒ぎがする。  あそこに行ったことがあるような。 「金城の家はここらでは有名な資産家やけんね、御船崎の土地の殆どは、元々あの家の所有やったって話もあるし。  今でも賃貸の収入は結構あると思うよ。不動産業だけでも、一生働かんで裕福に暮らせるくらいはあるはずや。金属加工でも、一時期は全国から発注が舞い込むほどで、相当の利益が出たらしいしな。  今はもう、社長が・・・・・・金城の主人、旦那やけど、もう70を過ぎてボケてきよるらしくて、工場は撤収して余生をのんびり過ごしよるみたいやけど。30人近くおった従業員も数年前に全員解雇されてなあ・・・・・・今、家には家族だけやろうと思う。 まあ、最近は家族が1人増えたから?多少賑やかになったかも知れんけどね。でも、まあ・・・・・・あの旦那は変わっとるし、見つかると厄介やから、ここいらのもんは滅多なことではあそこをうろつかん。あんたもあの辺には近寄らん方が懸命と思うよ」  和子の心を読んだかのように、女将は最後にチクリと忠告をし、階下へと降りていった。  あたしだって、自分の心が警告しているのは感じている。 『行ッテハイケナイ』  けれどもう見てしまった。  あのニュースを見た時と同じように、和子の心はもう、その足の向かう先を決めてしまった。
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