2.記憶にない町

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 岬までは思ったよりもかなりの距離があった。  都会にフツーに見られる定規で測ったような直線道路などとは程遠く、でこぼこ道が川の流れに沿ってうねるようにどこまでも続いている。    ここでも連日雨の日が続いているのだろう。晴天とはいえ、舗装されていない道は至るところに水溜まりやぬかるみがある。  なるべく乾いている所を選びつつ、和子は歩を進めた。  民宿から歩いて1時間は経っただろうか。  運動部所属でもない和子の筋肉ペッタンコの両足は、既に悲鳴を上げ始めていた。  けれどその悲鳴が聴こえていないかのように、和子は歩調を緩めることなくその先を目指して進んでいた。  気持ちが高ぶっている。  ザワザワと波立って、落ち着かない。  午後3時を回ったくらいだろうか。  太陽は朝と変わらず燦々と照り、木々は鮮やかにその光を跳ね返している。  なるべく木陰を選び、流れる汗をハンカチで押さえながら、和子は慣れない田舎道を懸命に歩き続けた。  サンダルなどで来なければ良かったと、足の親指の付け根や踵部分が腫れ出してから思ったが、後の祭りだ。  もう引き返すわけにはいかない。    気づけば人っ子1人通っていない山道で、自然が美しいと思う一方、こんな所に1人いる自分が危なっかしいようにも思えた。  そしてそうこう考えているうちに、ようやく岬の建物はその巨体を露にし始めた。  目前に迫ってくると、やはりでかい。  タテもヨコも、奥行きも、ドームサイズと言って過言ではなかった。  森の梢に覆われて隠れているため、全体を目にすることは叶わないが、相当巨大であることは間違いなかった。 「どんな金持ちだよ・・・・・・」  『家』と言うより、確かにデザインハウス、なにか美術品のような趣のある建物だ。  シュールリアリズム、と言うのだろうか。  地上から3メートルくらい(1階部分?)は、赤煉瓦の壁がぐるりと、建物全体を支えるように組まれている。  女将が言っていたように工場っぽい雰囲気もある。  そしてその煉瓦の壁の上は、見るものをあっと言わせる風貌だ。  正面は突き出した三角形で、後部にいくほどアーモンド型に丸みを帯びている。  また、外壁の上、奥の中央部分には、超高層ビルを思わせる巻き貝の形に似た不思議な円錐の塔の一部分が覗いて見えた。  全体的に木造に見えるが、パッチワークのように板があちこちに嵌め込まれていて、堅牢で、多少の風雨にはビクともしなさそうな重厚感がある。  そのいびつな壁の間に、ギョロリと睨むたくさんの目玉のような丸窓が、一定の間隔をおいて取り付けられていた。  生き物のような、怪獣のようなオーラさえ感じる。  奇妙な建物だ。  何を意図してこんな設計にしたのだろう。  無作為なようで緻密、細部まで異質な統一感がある。  設計者の、何かに対する異常なまでのこだわりや執着が、この建物の姿に現れているようだ。  ただ1つ、確実に言えることは、この建物はどうみてもこの町には不似合いだ。  もっともどこにあったって、空気にそぐわないかもしれないけど。  何だか異国の、得体の知れない古代遺跡を見ているような感覚。  でも、不気味だけど、どこか懐かしいような・・・・・・。  なぜ、こんな気持ちになるんだろう?  ここに来た記憶なんて無いし、来たはずもないのに・・・・・・。 「・・・・・・和子・・・・・・?」 「えっ」  振り向くと、建物沿いに延びる小高い丘の斜面に少年が立っていた。  逆光で顔が薄暗く、よく見えない。  和子は手のひらで目の上に傘をし、後ずさりした。  息が詰まる。心臓が、急速に早打ちを始める。  間違いない。あの、男の子だ。  顔が赤く、熱くなる。  声が、身体が、足が、震える。  まるで自分の身体じゃないみたいに制御できない。  彼が、今、彼が、あたしの名を呼んだ・・・・・・! 「あ、あの、あたし・・・・・・」  なんて言えばいいんだろう。  『記憶ないんですけど、昔仲良くさせてもらってた暁くんですよね?』とか、絶対言えない。  ただ、1つ確かなのは、彼は、ちゃんとあたしのことを覚えている。  眩しさに徐々に目が慣れて、彼の姿が鮮明になっていく。  まっすぐな黒い髪。  男子にしては少し長めの前髪、短髪。  細面の輪郭の中にバランスよく収まった目と鼻と口。  細いけれど筋肉質な腕が、白いYシャツからうっすらと透けて見える。  思ったより背が高い。  テレビでは顎から下しか見えなかったけれど、彼は確かにマスコミが『絶世の美少年』と騒ぐだけの綺麗な少年だった。  そして見かけだけじゃなく、今まで目にしてきた男子たちとは何かが、圧倒的に何かが違う。  暫く2人はお互いを観察し合いながら、何も口に出せずにいた。  沈黙を破ったのは暁だった。  彼は不機嫌そうに眉を寄せ、首を軽く振ると静かに声を発した。 「・・・・・・どこの誰だか知らないが、ここは私有地だ。出ていってもらおうか」 「・・・・・・えっ?」 「それともうちに、何か用でも?」  和子は驚いて聞き返した。 「う、うちって・・・・・・暁くん、やっぱりここに住んでるの?と、言うか、どこの誰だかって!今、ついさっき、あたしのこと名前で呼んだよね?そうだよ、あたし。10年前までこの町に住んでた泉和子。あたしと、その、スッゴい仲良し!・・・・・・だったんだ、よね?」 「だから?」  暁の表情は変わらない。
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