1話「宿敵」おひさま!

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1話「宿敵」おひさま!

 伝統と文化の街、倫敦(ロンドン)。  この物語は、倫敦のちいさなお屋敷を舞台にお届けする。  9歳のちいさなメイドちゃんと、お年を召した奥様の、1年間の日常です。 「るららーるららーるららららー、春だーよ春ーだよー」  登場したるはメイドちゃん。  クラシカルスタイルのメイド服に、ヘッドドレスという身なり。黒髪黒目の東洋系。  お歌を歌ってご機嫌です。   曲目は今朝ラジオで聞いた一曲。歌詞がぜんぜん違うことには気づいていません。  年代物の掃除機を引きずり引きずり、同じフレーズを歌っています。  ペルシャ織りの絨毯に、掃除機を設置。  今日は金曜日なので、掃除機をかけるのは客間です。  メイドちゃんは優秀なメイドなので、掃除機をかける曜日と部屋のスケジュールも、ちゃんと覚えているのです。  大理石のテーブルに、きらりと光るものを発見。  カメオのペンダントのようです。  奥様はこのように、よくいただき物を放置してしまいます。  それを夕食と一緒にお届けするのも、メイドちゃんの大事なお仕事です。  窓を開くと、さっと風。  イースターが終われば、倫敦はベストシーズン。雨上がりの風もさわやかです。  そのとき。さっと何かが駆け抜けました。 「あ、ダメ、ダメー!」  白と煤が混じった猫です。樽のような巨体です。もじゃもじゃの野良猫です。  いけません。彼奴(きゃつ)が飛び乗ったテーブルには、奥様のペンダントが置いてあるのです。 「ダメー! ダメー! 降りてー!」  バタバタ追い払おうとするメイドちゃんをあざ笑い、ペンダントをちょいちょいつついて――。  ひらり、と窓から飛び出してしまいました。  首にはペンダントがきらり。 「かえしてー!」  勇猛果敢なメイドちゃん、迷わず窓から追いかけます。  ちいさなお屋敷のちいさなお庭。今年も冬を越せなかった薔薇の根元に走り。  ふてぶてしくメイドちゃんを見上げる巨体。 「取り返してごらん」と言わんばかりです。  この挑戦を受けずして、倫敦っ子が名乗れましょうや。  メイドちゃんはぐいと進み出ます。 「かえして!」  強気。 「フシャアアアアッ」  威嚇。  形勢不利。 「にゃんにゃんちゃん、これちょうだいねー」  媚びました。潔く媚びました。  目的のために手段を選んでいてはなりません。  倫敦っ子の常識。シェイクスピアの教育です。教育内容は知りませんけど。  こちらの作戦が効を発し、にゃんにゃんちゃんは逆立てた毛を納めます。メイドちゃんはごくりとつばを飲みます。  ふーっと大きく息を吐き。そーっと大きく手を伸ばし。  肥え太った首に手をかけて。 「えいっ」  ペンダントをひっぱります。 「フギャアアアアッ」  予想以上に首まで太っていました。  チェーンで首が絞まり、にゃんにゃんちゃんは激怒に身を任せます。  バリバリバリバリッ。 「あの子ったら、また掃除機をかけたままほったらかして」  舞台は戻りて。  客間に登場、御年80の老婦人。ヴィクトリア朝を彷彿とさせる、オリーブ色のワンピース。  この背筋を伸ばしたお方こそ、このお屋敷とメイドちゃんのご主人様。掃除機はかかっていないのですけれど。 「ユーリー?」  メイドちゃんを呼んでみます。わんわん泣く声が返ってきました。 「今度は何をしたのかしら」  備え付けのベルを鳴らします。  チリリーンと鳴るやいなや、飛び込んでくるメイドちゃん。 「奥様ああああ。にゃんにゃんちゃんがひっかいたよおおお。いたいよおおお」  事態をすみやかに飲み込んだ奥様。泣きじゃくるメイドちゃんを抱き留めて。 「痛かったわねえ」  と微笑み。 「野良猫の爪はばい菌がいっぱいいるのよ。病院で消毒してもらいましょう」  と、がっしりホールドなさいました。  あわてて「もう痛くなくなりましたあああ」と言うメイドちゃんですが。  奥様はごまかされません。 「常に何かに挑戦するのは、男の子の性なのかしら」  メイドちゃんも男の子ですからね。  すぐに挑戦しては、すぐに負けるメイドちゃん。今日は泣き泣き病院送り。  この日から、メイドちゃんとにゃんにゃんちゃんは宿敵となったのです。   Next Moonlight.  2020/04/09
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