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「巴也か?」
林の方角から、笑みを浮かべた老爺が杖をつきながら歩いてきた。
巴也は、白髪の腰の曲がった、父を思わせる朗らかな笑顔を見て、その人が祖父なのだと分かった。
祖父の直ぐ後ろには、細身の中年女性がいて、時折、祖父に手を添えていた。
女性は巴也に気付くと軽く会釈した。
祖父が言った。
「ああ、和也だったか、元気しとったか、どこ行っとったんかの」
女性が口を挟んだ。
「お父さん、この人は巴也君よ。和也兄さんの息子さん。ごめんなさいね、認知症で時々、分かっていないの。えっと、巴也君でいいのよね?」
「あ、はい」
面影のある女性の顔を間近に見て叔母だろうと思った。
「巴也だったか。例祭の準備の人手が足りんでな、よろしく頼むわな」
叔母の眉尻が微妙に下がった。
「人手は例年通りで間に合うのよ。今年になって突然、巴也君の名前を繰り返すものだから、おじいさんも年だから巴也君に会っておきたいんだろうと思って私が貴方に電報を打ったの。何も手伝わなくていいのよ。久々なんだから暫くうちの家でゆっくり過ごしていらっしゃい」
「ありがとうございます。暫く、お世話になります」
予定では例祭が終わるまでだったが、手伝いが無いとなるとそう長居するのが少し気が引けた。
巴也は、ふと、先程の青年の事を思い出して周囲を見渡した。
いつの間にか、あの青年は消えていた。
巴也は叔母に尋ねた。
「あの、さっきここで、神社の事に詳しい僕くらいの年齢の男の人に会ったんだけど知ってますか?」
叔母は、少し考えた。
「ああ、多分、琉煌君ね。神社に研修に来ている大学院生よ。彼、神社のこと詳しいし色々と手伝ってくれてるの。うちに寝泊まりしてるから夕食の時に会うと思うわ」
「そう、ですか」
祖父は空を見て微笑んでいる。この様子では、巴也の事はあまり覚えていないように見えた。
叔母が、じゃあ、後でね、と言って、祖父の背を軽く促し、神社の方へと歩いて行った。
巴也は、大きく息を吐いた。
十数年ぶりの祖父と叔母には、懐かしさよりも緊張感を強く感じた。
琉煌という青年も、名前を聞いても以前に会ったかどうかは思い出せなかった。
勘違いだったのだろう、と巴也は思った。
巴也が案内された夕食の席には、既に、祖父と琉煌が並んで座っていた。
祖父は、隣の琉煌に何か話しかけたげな顔をしていたが、琉煌は特に気にせず、巴也に部屋に入ると視線を向けてきた。
巴也は2人に対して軽く頭を下げると、そそくさと祖父の隣に座った。
何かを言おうと思ったが、言葉が直ぐに出てこなかった。
ふと、祖父が琉煌に話しかけた。
「どうかのう。明日は晴れるかのう」
琉煌は普通に答える。
「明日は晴れるが、今日より冷える」
「ほお、そうか、そうか」
祖父は、皺だらけの顔を縮こませて楽しそうに笑った。
琉煌はいつから神社にいるのだろうと、巴也には、祖父と琉煌が随分と馴染んでいるように見えた。
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