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巴也は、目が…覚めた。
そこは、毎朝、見ている天井だった。
横から見覚えのある顔が覗き込んできた。叔母だった。
「あっ、巴也君!良かった!目覚めたのね。貴方2日間も眠っていたのよ」
反対側から知らない顔も覗いてきた。
「もう、大丈夫だね。どこか痛い所はあるかね?」
巴也は、頭が少しぼんやりしていたが、起きようと思えば起きれそうだった。
聴診器を巴也の胸に充てながら、医師が不思議そうに言った。
「大出血のわりには傷が浅くてね、しかも、もう治りかけているんだ。本当に、奇跡…としか言いようがない。どうだい?右手は動かせるかい?」
巴也は、包帯の巻かれた右手に、少しずつ力を入れて動かした。
痛みはほとんど無く、指もちゃんと動くし感覚もある。いつも通りに普通に動かせた。
「…大丈夫です」
ぼんやりと、記憶が戻ってくる。
舞を舞ってー、意識が遠くなりー、それで、2日も眠っていたようだ。
舞は最後まで舞えたような気がするがー、それとなく、口に出して聞いてみる。
「…僕は、最後まで舞えましたか…?」
叔母さんが急に顔を歪めた。なぜか泣きそうな顔をしていた。
「ええ!最後まで、完璧に舞えていたわよ」
「…そうですか」
舞い終えた記憶が夢でなかったことに安堵する。
少しずつ、意識がはっきりしてきた。
琉煌と巴也、2人で剣の舞を舞い遂げることが出来た。長年の願いが叶ったー。
そういえば、琉煌は今どこにいるのだろう?
「琉煌は…?」
叔母の言葉が急に詰まり、暫くして、涙声で話し始めた。
叔母の体が微かに震えていた。
「彼は…彼は例祭の後、急用とかで自宅の方に戻って…、そこで心臓発作で倒れて、そのままー」
巴也は固まった。
叔母は泣いていた。
「貴方達、本当に凄かったのよ。舞を観て、誰もが感動して泣いて、凄い、素晴らしいってー…!」
叔母の話は、もう、巴也の耳には入ってこなかった。
巴也は、起き上がれるようになったら、直ぐに東京に戻ろうと決めていた。
崇龍会員や村人達は、ひっきりなしに見舞いに訪れた。
巴也の体の調子を気遣い短時間ではあるものの、誰もが目を輝かせて、舞の余韻を語り、巴也と琉煌を賞賛し、琉煌の訃報を悔やんで帰っていった。
取材をしたいという記者やマスコミの人が、神社に殺到していた。
その中には例の雑誌の記事を書いた記者もいたが、改めて真実を書かせて欲しいと、その上で、この神社の良さを広く世に報せたいと神妙に申し出ていた。
神社には、龍の剣を見たいという参拝客が押し寄せていた。
だが、例祭以降、剣は鞘から抜けることは無く、一通り神社を観光すると肩を落として帰っていった。
村は、良い意味で評判になり、頻繁に人が訪れ、日常では考えられない賑やかさを見せていた。
市からは咎めもなく、是非この機会に、村や神社を盛り立ててくれとだけ連絡があった。
巴也が東京に戻る日、叔母や瑞樹、崇龍会会長達が見送りに揃った。
彼らは巴也に、口々に、君には龍神のご加護があると、神社に戻り舞を続けて欲しいと話した。叔母も承知しているのか微笑んでいた。
だが、巴也は、ほんの少し、無理に笑みを作るだけだった。
誰もが心配そうに、名残惜しそうにして、巴也を見送った。
秋の風が時折、参道の木々を揺らしていった。
その度にどこからか、銀杏の葉がひらひらと舞落ちた。
天は高く、青空は、雲一つ無く、晴れていたー。
巴也の心は、曇天だった。
胸は空洞だった。
頭は氷塊だった。
目に映るものに何の感情も湧かなかった。
聞こえるものに何の解釈も得られなかった。
何もかもが虚しかった。
大事なものが欠けたまま、時間だけが過ぎていた。
ただ一つー。
このまま、もう二度と琉煌に会えないのだろうか。
もう二度と、会うことはできないんだろうかー。
引っかかっていることがある。
琉煌が握りしめてくれた巴也の右手ー。
右手の怪我で、僕は死んでたんじゃないだろうか。
琉煌は、僕の代わりに逝ったんじゃないだろうかー。
それとも、自分の役目が終ったと、自分の世界に帰っていったんだろうか。
君の世界ー。
龍神のいる世界へ…。
巴也の脳裏に、何か、よぎった。
足が元来た道を引き返す。
自然と駆けていく。
琉煌と初めて会った日に案内してくれた場所、そこは龍神の霊が宿る池で、龍神の瞳の色に因んで名付けられたー。
青藍池を見た時、巴也は驚いた。
初めて訪れるような、神聖な池の様子が広がっていた。
夢の中で見た天の世界、あの世界の一角にあると言っても過言ではない、それ程に清らかに輝いていた。
赤い、まだら模様は消え、代わりに、池底まで見通せそうな澄み切った碧さが、周囲の林を鏡のように映していた。
浅瀬では小さな魚が群れをなして泳ぎ、湧き水の造る水面の小波が木漏れ日に煌いていた。
山鳥が実でもつついているのか時折、枝が小さく揺れ、明るくさえずっては黄金の葉を池に散らしていた。
落ちた葉は水面で風に揺られ、生きているかのように、ゆっくりと回転していた。
厳かな雰囲気が、聖域を俗界と、より区別していた。
身体をふらつかせながら、巴也は池の畔にしゃがみ込んだ。
澄んだ美しさに池の水に触れ、すくってみる。さらさらと指の間から零れていく。
零れ落ちて出来た幾重もの弧の先で、光が視界に入った。
池の中で、雄大に流れる美しい光ー、それを見て、巴也は、次第に視界がぼやけていった。
目から溢れるものを拭う。
拭っても、また、ぼやけていく。
銀色の光がー…。
大きくて長い銀色の光が、悠々と池の中を流れているー。
堂々としていて、凛として、温かく優しい、龍神のー、琉煌の魂ー…。
後ろで砂利を踏む音がした。
祖父だった。
祖父は、杖をつきながら巴也の隣に立つと笑って言った。
「龍神様が戻られた。満足そうじゃのうー」
巴也も微笑もうとした。
でも、出来なかった。
巴也は、子供のように、しゃくり上げた。
「琉煌…、夢でもいいからさ、会いにきてよ…」
返事をするように、水面に、銀の光が射した。
琉煌は、僕に会いに…来てくれる。
巴也は、何度も涙を拭った。
琉煌は、次元を超えた世界を、行き来出来るー。
僕は、次元を超えた世界を、垣間視ることが出来るー。
僕も、君に会いに行く、必ずー。
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