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儀式
聞いたことのある言葉だと巴也は思った。
例祭の前に行う儀式だったような気がするが、詳しくは覚えてなかった。
叔母が、巴也の様子に気づいて説明した。
「例祭に使う白煌永剣、通称"龍の剣"の剣身が、鞘から抜けるか試す儀式よ。剣身が鞘から抜けたら、世に邪気が蔓延していると言われているけど、もう何百年も鞘が抜けたことは無いからね。何でも、伝承では、過去に一度だけ、抜けたことがあるらしいけど、それ以降、抜けてないし恒例行事みたいなものよ。そうね、いつもなら、神社の血筋で参加するのは、おじいちゃんと私と瑞樹、あと神社に所縁のある人達にも権利があるけど」
その時、琉煌が冷静に言った。
「では、巴也君も参加するんですね」
叔母は全く考えてなかったらしく、目を泳がせた。
「あ、そうか、そうよね。でも、興味無いんじゃないかしら? 地味な儀式なのよ」
巴也は幼い頃を思い出した。
いつもと違う厳しい顔をした父と祖父が禊をして粛々と奥殿に入っていくのを、幼心に不思議に思っていた。今、思えば、その儀式のためだったのだろう、奥殿で何がどう行われているのか興味はあった。
巴也は、うつむいた。
他人と目を合わせるのは苦手だった。
他人に見えないものが見えることで相手に理解できないことを口走り、変な人だと思われ心身を傷つけられる、今までのそんな経験に、つい恐怖や諦めの気持ちが先走り視線を落としてしまう。
「父が奥殿に入っていくのを覚えています。参加できるならしてみたいと――」
「そう、じゃあ、参加ね。まあ、本来ならこの神社を継いでいたのは貴方だものね。本当に残念な事が起きてしまって……」
両親が亡くなったのは、巴也が7歳の時だった。
父親の運転する車の、操作不適事故ということだった
巴也自身もこの事故で重症を負い、大学病院での治療が継続的に必要になり、東京の遠い親戚の家に預けられることになった。
そのまま世話になることになったが、養父母には、巴也と同じ年の子供もいて、居心地は決して、良くはなかった。
神社を継いだことに、叔母は心のどこかで気兼ねする気持ちが残っているのだろう。叔母の顔から明るさが消えた。
「貴方のご両親には本当に不幸な事故だったわ。不慮の事故とはいえ、貴方も重傷を負ったし、幼かったのに大変な事も多かったでしょう」
「あ、僕はもう、体の方は全然大丈夫だし、父と母のことも、今では自分の中で整理できていると思っています」
父自身が起こしてしまった事故なのだ。家族以外に犠牲者が出なかったのは不幸中の幸いといえるだろう。
思いついたように瑞樹が口を挟んだ。
「琉煌さんにも参加してもらったらいいじゃない。研修に来てるんだし勉強になるんじゃないかな?」
叔母も、何か閃いたのか両掌を軽く合わせた。
「琉煌君は神社のことに詳しくて手伝ってくれているし、所縁のある人に入ると思うわ。どうかしら、琉煌君、参加しない?」
琉煌は、落ち着いた様子で答えた。
「では、良ければ――。あと、それとは別に、一つ、お願いがあるのですが」
「何かしら?」
叔母は、どんな事でも承諾しそうな勢いで身を乗り出した。
「例祭の奉納舞で、私に龍笛を吹かせてもらいたいのです」
叔母と瑞樹の瞳が輝いた。
巴也は、アイドルを目の前に、興奮するファンの姿を見ているようだった。
「えっ! 竜笛を吹けるの? おじいちゃんはもう吹けないから、毎年、録音していたものを流していたのよ。もちろんよ! 是非、吹いてちょうだい!」
喜ぶ女性二人を前に、巴也の脳裏には幼い頃の光景が蘇っていた。
記憶にある幼い頃の例祭では、確か、父が龍笛を吹き、母が舞を舞っていた。
本来なら未婚の巫女が舞うのだが、当時、血縁者に相応の者がいないからという理由で母が舞っていたらしいが、とても評判がいいのだ、と誇らしげに父が語っていたのを思い出した。
「私、舞を間違えないようにしなくちゃ! 稽古、頑張るわ!」
瑞樹が弾けるような笑顔で、やる気を漲らせていた。
その時、巴也は、瑞樹が誰に似ているのかに気付くいた。
瑞樹は、悪夢に出てくる巫女に似ているのだ。
最近、頻繁に見る悪夢。
悪夢は、決まって、いつも同じ巫女が登場する。
巫女はどこからか自分の村に向かい、そして、向かった先の村はなぜか殲滅していて、更に、巫女自身も殺されそうになる。
この夢から覚める時は、生き返ったような激しい動悸に襲われるので、目覚めは最悪だった。
だが、偶然、似ているだけだろう。
この平和な世の中、村が全滅するなど考えられない。瑞樹の、明るい笑顔を見ていると、悪夢はただの悪夢なのだと思わずにはいられなかった。
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