K-1

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K-1

香の職場は、今日もガランとして人が少ない。 S県警察本部刑事部捜査一課のフロアは、デスクの数は刑事の数と同じだけ揃っているので、数十名いる刑事の分だけデスクの山が広がる。しかしデスクの主は多くは着席しておらず、ほとんどが出払って寂しいものだ。それだけ事件の数があるということで、警察官の香にとっては決して喜ばしいことではない。 それなのに、香は不謹慎にもどこか浮かれていた。数日ぶりに会えた恋人――井上稜(いのうえりょう)がすぐ隣にいて、周りに人はいない。疑似的な――二人きりの時間を持てたからだ。 「……報告は以上ですか? 五島(ごとう)さんたちはまだあちらに残ってるんですよね」 ここは職場だ。上司と部下の顔をなるだけ崩さないよう、事務的に話す。隣に立つ井上を見上げるたび目がハートになってしまいそうで、だらしない自分を戒める。 それなのに――上司の座る事務椅子のすぐそばに立ったまま報告を挙げる井上は、目が合うたびに甘い視線を寄越す。 憎たらしいぐらいの色男ぶりに、香の努力はもろくも崩れ去りそうだ。香の薄茶の目はさっきから蕩けている。 殺人事件を扱う刑事の二人が職場で平気でイチャついていられるのは、香たち三係が担当した、県東部で起きた放火殺人の被疑者が一昨日無事送検されたからだ。事件解決後でなければ、いくら恋人同士でも職場でニヤけたりはしない――はずだ。 「はい。今日中には引き上げるそうです。……で」 井上がふいにしゃがむ。少しだけ香との距離を縮め、小声で話し出した。 「今夜の飯、どこにする? ヅカさんたち戻ってきたらたぶん飲みに行くと思うから、本部の近くはやめといた方がいいと思う」 大胆な恋人は、職場で今夜のデートの打ち合わせを始めた。上司の香は怒らなければならない立場だが、周りに人は少ない。香も声を潜めて答えた。 「じゃあ……うちの近くにしよっか。うちまで帰ると夕飯が少し遅くなるけど、お腹もちそう?」 顔を寄せて小声で話す二人の前を、総務課の男性職員が通りかかった。しかし二人に気を留める様子はない。刑事は普段から内緒話が多いのだ。 「う~ん、少し減ってきたけど我慢する。香の家の近くのイタリアン? あそこのピザこの前食べはぐったのやっぱ悔しかったから、今夜はあそこにしようよ」
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