1,私が作る誰かの日々

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1,私が作る誰かの日々

 月曜午後の国語の授業なんてどうぞ寝て下さいと言っているようなものだ。 先生の朗読という名の子守歌が教室に漂う。それに今日は、時折スッと吹き込んでくる風が哀しいけど温かい秋のにおいがして心地がいい。今眠りにつけばどんなふかふかのベッドで眠るよりも気持ちが良いんだろう。いつもだったらこんな好条件喜んで眠りにつくけど、今日は寝ない。昨日見たドラマが気になって寝ることができない。いや、正しく言うなら昨日見終わったドラマの主人公のそれからの日々が気になっている。  私はドラマや映画が好きだ。そしてどの作品も最終回のその後が凄く気になる。あの人たちはこの後どんな風に生きていくんだろうとか、今頃どんな生活をしているんだろうとか……ずっと考えていられる。だから、登場人物のこれからが想像できる作品が好きだ。そして、昨日見たドラマは特に私の好みのど真ん中だった。  そのドラマは六年前に二夜連続のスペシャルドラマとして放送されたもので、昨日久しぶりに再放送されていた。内容は、四十代の夫婦が仲良く暮らしていたところに突然病魔が妻を襲い、二人での闘病生活が始まるが妻は亡くなってしまうというものだ。言ってしまえばよくある設定ではあった。けれどこの作品は今まで観たものとは少し違った。全編を通して物語の中にほとんど希望が見出せないのだ、特に後編は絶望しかなかった。こういう作品は亡くなるまでの闘病生活を感動的に描くか、残された家族が悲しみから立ち直り前向きに生きていくまでの過程を描くものが多いけど、このドラマはどちらでもなく前編の最後で妻が亡くなってしまい、後編では残された夫がただただ悲しみに暮れる様が約二時間の映し出されるのだ。 後編は妻のお葬式が自宅で執り行われるシーンから始まる。その後七七日の法要があり、百箇日法要が行われる。そういえば昨日初めて百箇日法要が卒哭忌とも呼ばれ、声を上げて泣き叫ぶのを止め現実の生活に目を向けるための区切りとして行われると言うことを知った。ドラマでもその法要に七七日ぶりに親戚一同が介して亡き妻の思い出話をし、晴れやかな表情で帰って行くのだが、夫は終始うつむいて目に溜まった涙をこぼさないようにギリギリで耐えているという様子だった。そして物語は月明かりに照らされた仏壇の前で夫が一人泣き叫ぶところで終わる。夫は全編を通してあらゆる場面で涙を流しているのだがこのラストシーンで一番泣くのだ。なんだか救いようのない話だと思ってしまった。実際、六年前に放送されたときにもこのラストシーンについて賛否が激しく分かれたらしい。でも、私はなんだかこれが現実だよなぁと思って妙に納得したし、とにかく今あの夫がどのように暮らしているか気になって気になって仕方がなくなった。昨日の夜も今の夫の生活をいろいろなパターンで想像していたらほとんど眠れなかった。 あぁ、あの人に直接会えればいいのに、会えなくてもちょっと様子を見るだけでもいいから。 そんなことを考えていると、秋の匂いが私の左頬を撫で目の前が暗くなった。
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