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「ボクシングから水墨画への振れ幅を考えると、水墨画の次に書道というのは、やや意外性に乏しいな」
すっかり男の手順を理解したお爺さんは、そんな辛辣なことを考えつつも、やはり言われるままに書を街で売り、思いがけない額の金に換えた。そして男はお爺さんに、
「街でろくろと粘土を買ってきてもらえませんか?」
と次の頼みごとをした。ろくろはだいぶ値が張ったが、できあがった陶器が思いのほか高く売れたので、お爺さんに不満はなかった。
街から帰ってくるなりほくほく顔で売上金を数えているお爺さんに、男は突如なにかを思いついたように言った。
「お二人にお願いがあります」
いつもとは違う神妙な出だしに、老夫婦は揃って背筋を伸ばした。
「明日からは私に、食事を与えないでください。私は自ら用意した一日一食で、明日から生活をします」
またぞろ何かを買ってきてほしいと言われるに違いないと決め込んでいたお爺さんは、この風変わりな要求にちょっと拍子抜けしたが、特に自分らの負担になる内容でもなかったので、異議もなく老夫婦はこれを承諾した。
しかしその日から、男はまったく部屋から出てこなくなった。なにやらもぞもぞと体を動かしている音と深い呼吸音は時おり聞こえるものの、中で何をしているのか、老夫婦にはさっぱりわからなかった。
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