化けて出るから

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 気づくと、横になって目を閉じていた。どれだけの時間が経ったのか、サイドテーブルに置かれたグラスの氷は溶けきっている。まだ、窓の外は暗い。  身体を起こす。頭が重い。視界に霞がかかったようになっている。  何度か瞬きを繰り返してから、額に手をやった。そのとき、 「馬鹿じゃないの?」  声。ドアの方。聞き覚えのある声。眼球を動かすと、頭の奥が痛んだ。  息が詰まる。ドアにもたれかかるようにして、彼女が腕を組んで立っている。喪服のような、黒いワンピースを着ていた。  彼女は呆れたような顔でため息をつくと、柳瀬の方に歩いてくる。もどかしいほど、その歩みはゆっくりだった。 「どうして?」  絞り出すようにして、ようやく声が出せた。非現実的な、目の前の光景。彼女の顔に、笑みが浮かんだ。 「言ったでしょ?化けて出るって。まああのときは、私が死んだ後に貴方がすぐに別の女を作ったら、っていう仮定の話だったけど」 「そうだったか?」 「ええ。でも、どうにも貴方が情けないから、出てきちゃった」  相変わらず、はっきりと響く声だ。もともと白い肌だが、微かな血の色が浮かんでいる。霊安室で見たときの、青白い彼女とは別人だ。  柳瀬が立ち上がろうとするのを、彼女が手で制した。グラスを手にして、一度部屋を出て行く。  夢か。  彼女の背中を目で追いながら、そう思った。珍しいことではない。何度も、彼女の夢を見たものだ。  足音。彼女が戻ってくる。手には、新しい氷の入ったグラス。  隣に腰掛けると、流れるような手つきで、水割りを作り始めた。その横顔の懐かしさに、鼻の奥が痛くなる。  気取られないように必死に耐えていると、目の前にグラスが差し出された。  微笑み。彼女の瞳は濡れていた。 「まだ、呑めと?」 「一度目覚めると、しばらくは眠れない体質でしょ?呑めば、楽に眠れるわ」 「話したいことが、ある」 「無駄よ、どうせ。どれだけ話そうが、足りないんだもの」  無意識に、グラスを口に運んでいた。懐かしい味が、流れ込んでくる。一息で飲み干した。  それを見届けた彼女は、柔らかな所作で立ち上がり、柳瀬に背を向けた。 「おい」  慌てて声をかけるのへ、 「貴方もいい加減、水割りなんかに拘るのはやめて。バーテンじゃあるまいし。ロックかストレートで適当に呑んでればいいのよ」  震え。声も肩も、伝わってくる心さえも震えている。  グラスを置き、立ち上がろうとする。しかし柳瀬の頭が、急に重みを増した。上から押さえつけられているみたいだ。たまらず、ベッドに倒れ込む。  視界の端で、彼女の背中が遠ざかっていく。 「待ってくれ」  喘ぐような自分の声が、耳に返ってきた。視界が、ぐにゃりと歪む。目も開けていられない。手。伸ばそうとしたが、動かなかった。 「じゃあね」  待ってくれ。  声にすら、ならない。
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