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「そういえば、例の噂ってなんだよ!」 後ろのテーブル席の若い二人組が騒いでいる。静かな雰囲気を邪魔されるのは心外だ。苛立ちを隠せず舐めていた飴をかみ砕いた。 「最近よく来るんだよねあいつら。でかい声で騒ぐから迷惑しててさ。注意してこようか?」 「いや、いいよ。」  こちらに気づくこともなく若者達は続けた。 「なんかさ、小耳に挟んだんだけど、お前東京に喫煙所が存在するって噂知ってっか?しかもそこじゃ煙草も買えるって話だぜ。」 「え、何それ聞いたことねえ。」 「なんだよそれ!」 思わず声を上げてしまった。他愛のないただの噂話かもしれない。しかし細胞レベルで煙草という単語に体が反応した。若者ふたりは、ビクッと背中を震わせると恐る恐る久雄の方を振り返った。 「あ、いや。実はさ俺大のヘビースモーカーでさ、喫煙所があるとか話してるから、つい、」 こうなってしまったからには後には引けない。二人のテーブルに近づいた。 「あ、あぁそうなんすね。俺らも少し吸ってたんすよ。」 左耳にピアスを開け、顎髭を蓄えた青年が言う。 「あ、そうか。で、その噂って??」 「どこだっけな、あれ。確か居酒屋の店員が言ってたんだよなぁ。どこだっけ。ほらお前とも一回行ったことあるじゃん。あのレモンサワーがうまいとこ。」 向かいに座っているパーマの男に尋ねた。 「あそこじゃね?池袋の…」 「それだぁ!名前はえっと、「みよし」だ。」 髭の男は高らかに声を上げる。 「ごめんありがとね、おっさんが邪魔したね。」 「軽く小耳にした程度なんで本当かわかんないっすよ?」 「ああ、いいんだ。」 元の席に戻り残りのコーヒーを平らげた。心の底から何かがふつふつと沸いて出てくるのを感じた。噂でもいい絵空事でもいい。煙草が吸えるかもしれない。そのかもしれないにかけていいほどにヤニに飢えていた。   代金を支払い外に出た。空は青からオレンジに移り変わる途中だ。雲の隙間から差し込む光が街を照らす。いつもよりほんの少し軽い足取りで家路についた。
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