第14話 琥珀色の瞳

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第14話 琥珀色の瞳

 寝室には申し訳程度のバスルームがあった。シャワーから直接バスタブに水が落ちる造りで、セルはすぐに水道管のレバーを開く。一向に暖かいお湯に変わる気配は無いが三センチ程貯めると、セルはシャワーを止め、土足のままそっとバスタブの水の中に足をつける。 『アカツキに行くのね。セイズを呼びに行くのかしら ? 』 『あの不便な移動方法な。なんであいつの移動だけアナログチックなんだろう』  セルの体がズブズブと沈んでいく。頭が浸かるか浸からないかくらいのタイミングで俺達もアカツキに視点が変わる。 『暗い』  おかしい。このアカツキは暗すぎる。いつも俺が行く時よりずっと。  水面からアカツキに降り立ったセルも、刹那、その違和感に気付いたようだった。 「……」  立ち止まって警戒し、辺りを見渡す。 『どうしたのかしら ? 』  いや、つぐみんは自分でアカツキに行き来しないから知らないのか。 『アカツキはダイブしたその瞬間の、人間界の空間と同じ構造の場所に潜るんだ。  セルがダイブしたのは教会のバスルームだったろ ? だったらここもバスルームでなきゃおかしいんだ』 『じゃあ……ここは…… ? 』  俺たち……つまりセルはどこかに迷い込んだ。  屋外だが、どうもバチカン内って気がしない。  乾いた土の道と転がる無数の岩石。その岩石は風化こそしているが、目鼻立ちが確認出来る、何かの石像だ。周囲に植物は少なく暗いからなのか山も見えない。目の前の道は地平線の彼方まで永遠に続いているかのよう。若しくは、左右どちらかに行くしか選択がない。  頭上の紅い月は……予想通り新月だ。 『アカツキで降りた場所が違った事って、ユーマは今まであるの ? 』 『無いな。ただ新月の時は何が出入りしててもおかしくない。降りた場所が悪魔の巣だった事はある』 『……でも、ここはただの道よね。  もしかしたら誰かの記憶か、予知の一種なのかもしれないわ』  本当にそうか ?  アカツキだよな ?  ここは間違いなく。あの血よりも赤い不気味な月。太陽もないこの世界で、何故月が満ち欠けするのかも分からない。  でも、アカツキでこんな事が起こるなんてトーカにもみかんにも聞いたことがない。  目の前のセルも、少し戸惑っているようにもみえる。胸にかけたロザリオを握りしめ呟くように唱える。  多分、何者かに意図的に飛ばされたか、飛ぶような条件があのバスルームに揃っていたのか。  定かでは無いけど、異例だ。賭けてもいい。通常は起きない現象だ。 「……父と子と精霊の御名によりわたしをお守りください……アーメン」  その詠唱に応えるように、風景が霧が晴れる様に流され、変化していく。  先ずは地面がタイルに変わり、匂いが水とソープの混じった空気に。元のバスルームのアカツキに戻って行く。 『何だったのかしらね ? 』  ただの道だった風景に壁が出現し……換気用に付けられた小さな小窓が側に出た。……これでまともなアカツキの空間になった。  さっきのは幻影だったのか ? このバスルームがアカツキでは何者かの巣になってた ? いや、景色が変わるなんてことは無い。  分からない。ただ、今この瞬間のアカツキはいつも通りのアカツキで、月明かりからすると半月くらいか……。  窓から差し込まれる月光が、どうもチラチラと揺らぐ。  その瞬間 !  ゾクッ !!!! 『っ !!!! ぁっ……くっ…… !! 』  強烈な視線に口がきけなくなる。  相手の魔力が強い !  息をしろ ! 過呼吸になる ! 『ふっ ! ふーっ ! 』  目は合わせちゃ駄目だ ! 本能で分かる。  窓の外に丸くてデカい大きな目玉がある。琥珀の様に怪しく光る眼球がセルをジッと視てるようだ。  セルは一度深呼吸をすると歩き始める。  気付いて無いのか !?  セルが移動を始めると、目玉の主の気配が消えた。  思わず、バスタブに手を付いて座り込んだ。息を整えろ。  ここは記憶の世界。俺達には干渉出来ないし、干渉されない世界。ビビる事はねぇ。  ……それにしては、あの存在の生々しさはなんだ ? まるでそこに居たとしか思えないほどリアルで……。 『なんだったのかしら ?  でもここから二人を呼んでくれば、アカツキからいつでも出動出来るわね。  行くわよユーマ』  つぐみんがふりかえり、俺を見てギョッとする。 『ちょっと、凄い汗っ ! 何っ !? どうしたのっ !? 』 『……いや、もういなくなった……ゲホッ……』  腕の鳥肌をバババと撫でつける。今も気持ち悪くて仕方がない。 『大丈夫カ ? 』 『ジョル……』  そうだ。こいつなら……ルシファーの眼を持つこいつなら……。 『今の悪魔に気付いたか ? 』 『うん。イタ。でも姿は視え無かった。気配はユーマの方からしてタ』 『……そっか……』  姿までは無理か。  でも、セルがどんなに策を練っても、少なくともこの時から悪魔はセルの行動をお見通しだった訳だ。  ********** 「そう。どうしてもわたしたちを入れないつもりなのね ? 」 「実際教会で働いてるのに、認められないなんて」 「どうするの ? 」  セイズとガンドに言い寄られ、セルも頭を抱える。 「マグヌスに頼んで緊急事態の時にアカツキを経由して被術者の側に来れるようにするしかない。  だって……おそらくお前ら抜きでは祓えない」 「神父だけでは祓えない悪魔ねぇ……。それは……ウォルター神父は知ってるの ? 」 「何も気付いてない。  ウォルターが俺に泣きついて、お前たちの立ち入りを許可すればいいが……。  ……それでも、被術者が最優先だ。その時は追放されてでもお前たちの力に頼ると思う」 「柄にもなくヒーローみたいな事言うんだね。  ま、そこまで覚悟してるなら良いよ。俺達も勿論やってやるよ ! 」  ガンドが不敵に笑い セイズも頷く。  ミアはぬいぐるみに結んでいたサテン生地のリボンをテロりと解きセルに突き出す。 「これを」 「リボン ? 」 「魔法かけておいた。そのリボンを消費すれば、いつでもゲートを作ることが出来る。アカツキにいるわたし達を呼び出す時に」  この頃はもうガッツリ魔法を学んでんだな。ビール抱えて、霊なんていないってメグに言ってたあのミアが。おぉ、なんか感慨深いぜ。 「分かった」  そこまで話したところで、ガンドがセルに忠告をいれる。 「その事なんだけど、ミアはアカツキに待機させたいんだ。アカツキでも何か悪魔の動きがあるかもしれないだろ ?  それにアカツキにいる間はマグヌスがずっと側でゲート番をする訳だから、扉のそばにいれば一番安全なんだよ」 「それは構わないが……。  実はここに来る今、おかしな場所に飛ばされた。もしかしたら敵は予想外の能力があるかもしれない。  マグヌス、ミアを頼む」 「うむ」  アカツキを悪魔が出入りしているならスルガトのマグヌスは知ってるはずだよな ? 何がいつ出入りしてるか……それを把握するのがゲートの番人の仕事だ。  もしくは白薔薇城にある『地獄の門』。そこを通れば地獄から悪魔は出てこれるが……その場合、式場に現れたリリス同様にタールの足跡と焼け爛れた匂い、何かしらの痕跡があるはず。だが、報告書とやらにはそれが無かったと……。  タールの痕がもしあったら白薔薇の責任になる…… ?  ゲートを行き来したらスルガトが気付く……どちらかが嘘を言ってる可能性は…… ? 「じゃあ、最終打ち合わせ。  俺は最後まで二人が教会に入れるように、交渉は続ける。でもどうしても……どうしてもそれが叶わずに、更に被術者が限界だと判断したら、このリボンを使う。  だからアカツキから召喚された時は、他の神父や立会人に妨害されたり、取り押さえられたりするかもしれない。けど、何とか制圧される前に、RESETだけはかけて欲しい。  かなり無茶な事を言ってる自覚はあるが、そうするしかない」 「許可がおりないならそうするしかないわね」 「ふん。やってやる。そして言わせてやるさ。『最初から呼べば良かったですね』ってさ ! 」  隣でその会話をするセル達を眺めながら、つぐみんは「うぅーん」と腕組みして考え込む。 『でも、それって……本当にギリギリの瞬間よね』 『だろうな』 『今は夜の十一時ダロ ? なら明日から悪魔祓いするノカ』  そうだ。大目玉の悪魔。あいつが主軸に憑いてるのは間違いない。強力な奴だった。  でもバスルームにいたって事は、パトリシアにはポゼッションしていない。加えて枢機卿は、奴の目的は同席してる聖職者が狙いだと言っていた。  枢機卿は神への下克上だみたいなこと言ってたけど、本当にそうか ? 聖職者にポゼッションするのが目的なら…… ? ならばバチカンに出入りするような神父に取り憑くはず。それこそ手始めに枢機卿に憑いたりだ。  けれどその先は ? 憑いてどうする ? 敵の身体乗っ取ったから勝ち ! みたいな喧嘩してる訳じゃないだろうに。  他にもなにか……。 『あ、BOOKが……』  顔を上げると、視界がどんどん白い光に包まれていく。  一旦休憩か。セルがBOOKを閉じようとしてるんだ。 『……随分、小分けに見せるわね』 『いや、案外体感してないだけで、もう夜遅いと思うぜ』 『気になるから続けて観たいのにぃ』  そんな他人の過去をテレビドラマのような感覚で……。 『ユーマ、大丈夫カ ? 顔 青いゾ』 『ああ。大丈夫。さっきの変な気配が気味悪くてさ……』  そこでふと思う。  バスルームの悪魔。あれは俺が客観的に記憶で観ていたから気付いただけで、セルはなんのアクションもなかった。だからアカツキでおかしな場所に飛ばされても危機感が無かったのかもしれない。  だとしたら……。 『ジョル、つぐみん。俺が今視た事とか、セルには言わないで貰えるか ? 』 『え ? いいけど』 『なんでダ ? 』 『俺達は過去を観てるんだぞ ? だからBOOKの原理では、セルが視てないものは観れ無いはずなんだ。これは客観的に観れるから勘違いしがちだけど、セルの体験した事しか観れないはずなんだ』 『……よく分からないけど。  セルが悪魔の存在に気付いて無かったのに、私たちが気付いたのはおかしい事だって言うの ? 』 『ああ』  なにか、あの悪魔は気味の悪さを感じる。大悪魔とか戦力的に強いとかではなくて、タチが悪いというか……。日本の妖怪のような『理不尽』が一方通行でまかり通る嫌な類の存在。 『ユーマがそう言うなら、従うわ。直感は大事よ』 『サンキュ』 『俺も喋んナイように頑張ル !! 』  会話が切れるか切れないかのところで、俺たちの意識は、自分の座り込んだ紫薔薇城の本棚の椅子へ戻ってきた。  ゆっくり目を開ける。  いくらふかふかの椅子とはいえ、身体が痛い。 「おかえり」 「いででで。今何時だ ? 」 「BOOKを開いてから十分くらいかな」 「十分 !? それしか経ってないの ? 」 「俺も迷ったんだけど、ユーマが顔色悪くなってうなされてるようだったから起こしたんだ。泣くやつとか、顔を顰めたりとかはする人多いんだけど……うなされてるのはちょっと心配だから起こしたんだよ」  喋るなって二人に忠告したばかりなのに、言えるわけねぇ ! 「あぁ。いや、なんか、あの。二人がさ。セイズとガンドが拒否られたのが意外って言うか ? なんか教会の考えにイライラしたっつーか ?  そ、そう言うのが不満で出たのかなぁ ??? 」  俺。俺何言ってんの !? もぉぉっ !! ポンコツのくせに変なとこで鋭いのやめてくれ。 「ほ、ほ〜んと。わたしも、てっきりみんなで行ったのかと。だって最初はそう言う流れだったしね。イタリア来てからハイ ダメデスって、そりゃないだろって感じよね〜 ! 」  つぐみん流石。けど、動揺しすぎだろ ! 「俺、腹減ったカラ、丁度良かった !! 」  ジョルは……うん。こいつなりに話逸らしてくれてんだろ……。 「まあ、もう夕食の時間でもおかしくないしな。食事しながら話でもするか」  どうする…… ?  今、俺が考えてる事は正しいのか ?  出来るのか ? 『全ては神の思し召し』。そんな言葉が真実だとしたら、俺がBOOKを観る事も、今考えてる事も……神の思し召しか ? キリスト教徒でもないのに ?  考える時間が必要だ。 「たった十分でもすげぇ疲れたよ。  残り、明日でも良くね ? 」 「俺は構わないけど。つぐみんとかジョルは予定とかない ? 」 「だだだ大丈夫よ」 「じゃあ俺も大丈夫ダ」 「なら、夕食とって今日はゆっくり休もうか。十分とは言え、体感は観た時間だけは進むから、疲れて当然なんだよ」  確かに疲労感はあるな。歩いてる訳じゃないから足が棒ってのとは違うけど……。昔、インフルエンザを拗らせて入院したことがある。あん時に似てるな。いつも漫画読んだりゲームしたりして、風邪ひくと学校行かなくてラッキーって思ったけど、あの時はただ病院のベットでぼんやりしてるだけで時間が過ぎるのが早かった。漫画を読みたいともゲームをしたいとも思わなくて、気が付くと寝てて、起こされるといつの間にか飯の時間で。懐かしい。あの頃は寝たらアカツキに行くなんて無かったな……。  疲労感もそうだけど、なんか頭が朦朧としてる。他人の記憶を移植するようなものだから、恐らく副作用みたいなものなんだろう。  なんにせよ、時間が取れてよかった。  あの生々しい悪魔。多分、この先のBOOKにも出てくるだろう。  だったら先手を打ってやる。
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