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どうせ紹介されるなら、女が良かった
空気が違う。
俺は周りの景色を見ながら思う。俺の知っている村は、木々と豊かな土壌に恵まれた田畑
ばかりで、こんな風に冷たい印象を受ける山の中ではなかった。背中に大量の荷物を背負い、首輪につけた鎖で数珠つなぎにされながら、進軍していく。
「……なあ、ウィル。どこに行くと思う?」
俺の問いに同じようにはち切れそうな荷物を背負わされたウィルが言う。
「俺に分かると思うか?」
「全然」
「じゃあ、聞くなよ」
「ただ俺は見たことのある景色だと思っただけだ」
岩肌の見えた緩やかな山を登っている。この道は、村から村への交易に使用されていたことのある旧道だ。数年前、俺は両親と歩いたことがある。その時はウィルも一緒だったから、覚えているだろう。
「それは俺も思っていた。バルサ村を経由する山脈だな。俺は嫌な予感がするぜ」
「ウィルと一緒なんてな。同感だ」
「バルサの村の指導者は好戦的だ。しょっちゅう、身内でいざこざを起こしている。それが敵国の人間になれば、慈悲なんてないぜ。この先の高原でもう一度戦闘がおっぱじめることになるぜ。あとは山脈で、ゲリラ襲撃がて来ないことを祈るのみだな」
「神さまにか?」
「神は常に我々を見守っているからな。もしかしたら、同胞同士の争いを止めてくれるかもしれない」
ウィルが本気か冗談か、判別のつかない顔で言う。
「本気なら、お前の信心深さはバカと紙一重だぜ」
「お前なあ、そんな事言うなよ。お前が捻くれているのは分かるけど、お前に言われると俺の立場がない」
頬の傷跡をウィルが指先で掻きながら、俺の顔を見て大きくため息をつく。
「止まれ!ここで野営するぞ」
兵士が大きく声を貼り、奴隷たちがその声に合わせて、のろのろと足を止める。
「やっとか」
肩に食い込んだ荷物を降ろしながら、ウィルが声を漏らす。俺たちは支持された場所に荷物を降ろし、そのまま一箇所にまとめられる。兵士のテントに囲まれるような場所だ。常に兵士の目があり逃げ出せないようにするつもりらしい。
俺たちは与えられたボロい大きな布を、そこら辺に落ちていた荒紐でくくりつけ、簡単な雨避けを作る。行軍のため運べたテントの数は少なく、俺たちには用意されていないらしい。
「これ、凍死するぞ」
ボロボロの毛布を手に俺はため息をつく。二人で一つの毛布には穴が空き、大人の男二人が包まれるような大きさではない。俺は穴に指先を入れてみせる。
「へえ、予言か?」
「アホ。そんな力あったら、俺は今頃王様だ。見ろよ、アレ」
そう言って、山間に見える植物を顎で指し示す。
「ああ。俺でも分かるわ。雨か、最悪だな」
ウィルが頷き、顔を顰める。雨が降る時にいつも葉が開く植物が、大きく葉を広げていた。大きく息を吹き出せば、少しだけ息が白く見える。夜はさらに気温が下がる。夜風が吹けば雨に濡れた身体からは体温が奪われる。
「せめて少なくても風を避けるものが欲しいな」
俺の独り言のような呟きにウィルが答える。
「穴でも掘るか? 」
「道具もないのにか?スコップは兵士のテントに集められているし、剣は回収されている」
素手で地面をひっかくなんて、どれ程、時間がかかるか分からない。まったく、奴隷というのは心も貧しくなれば、物資も貧しい。
「とりあえず、体調の悪そうな人間や怪我をしている人間は、真ん中に集めよう。むさ苦しいが仕方ねぇ。全員で固まって寝る」
「臭そうだなあ」
自分の服の匂いを嗅いで、ウィルが鼻の頭にシワを寄せてみせる。
「こんな場所で風邪をひくよりマシだろ」
戦場で体調を崩せばどうなるか、 そんなの分かりきっている。
俺は周りの村人たちに声をかけていく。顔見知りの男たちは頷いて、互いの健康状態を確認している。周りの村人たちを見ると、穴の空いた毛布をどうにかしようと試行錯誤している。なんとかなりそうな様子だ。俺はほっと息をつく。
「……村に残った人はどうしているだろうな」
俺は呟く。
「軍はまだ村にいるからな……上手くやっていればいいが」
ウィルが渋い顔をして答える。
「上手くいくと思うか?」
「いや、全然」
普通に頭を振られる。
「レイがなあ」
俺がため息をつく。テントに一人残すことになった、レイの顔を思い出す。天使みたいに愛らしい顔を、真っ赤にして泣く姿には後ろ髪を引かれた。
ーーなんで、にいちゃん。僕を置いていくの。やだ、やだよ。お父さんやお母さんみたいに居なくなっちゃう。
そう言って、地面に蹲る姿は哀れさすらあった。
ーー置いていかないで。僕を一人にしないで。
レイが俺に振り絞るような声をだす。
ーーなんで、どうしてなの。あいつらのせいでしょう。あいつらが来てから、僕は我慢ばっかりだ。僕、いい子にしているのに。なんで。
レイが白い指先が地面にめり込む。
ーー許さない。絶対、覚えてろよ。
柔らかい髪の隙間から見えるレイの緑の目が執念に燃えていて怖かった。
「一刻も早く村に戻らないと」
村にはまだ、軍隊の一部が残っている。村で大人しくしていてくれればいいのだが。弟と残った村人たちが心配だ。空の上では鷹が大きく翼を広げて旋回していた。今すぐに俺たちもここから逃げ出したい。震えているのは、寒いからだ。残っている軍の人間の事はこの際考えない事にする。
「いけないなあ、可愛い子犬が震えているのは」
俺の後ろから大きな影が現れる。 そして、俺の肩を力強く男の手が抱く。 暖かな獣毛のマントに身体が包み込まれる。俺の横で片目を瞑ってみせるのは、赤毛の男だ。見覚えのある顔だ。顔が近い。
「マクバイトレ、マクバイトレ副将軍だ」
野営の準備をしていた村人たちが騒めく。ウィルは静かに一歩下がり、マグバイトレを睨みつける。
「おいおい、俺はお姫様にでも触ちまったか?」
そう言って、マグバイトレはふざけた様子で両手をあげる。呼吸をするように俺をバカにしてくるから、こいつは嫌いだ。
「何をしているんですか!マグバイトレ副将軍!」
マグバイトレを追って兵士たちも息を切らせて現れる。どうやら、この男は兵士を振り切ってこちらへやってきたらしい。
「勝手に移動しないで下さい! 宿営地とはいえ、敵国の人間もいるんですよ!攻撃されたらどうするんですか!」
「えー、大丈夫だって」
「どこにそんな保証があるんですか!」
「俺が。見ろよ、この美少年を! これが俺を攻撃するとでも?」
そう言って、マグバイトレが俺の顔をぐっと兵士に向ける。何故か、兵士がぐっと言葉を飲み込む。何でだ。顔は関係ないぞ。
「偉い人間は偉い人間らしく振る舞えよ。迷惑だろうが」
今更、敬語を使うのも面倒で、そのままの言葉づかいで答える。マクバイトレはちょっと口元をあげて嬉しそうにする。
「気にしないでくれ。だが、歓迎してくれるなら別だ。紅茶とクッキーでもてなしてくれ。美人と甘いものは、大好物だ」
「そんなもの食った記憶がないね」
酒と肉しか食わない顔しておいて、よく言う。
「副将軍様が何の用事で?」
「奴隷の状況を確認をしにきた。お前たちは作戦の鍵だからな。あと、お前の顔を見に」
「ろくなことに使わない癖に」
嫌味を聞き流したマグバイトレが、にっかりと笑いかけてくる。
「どうだ? 元気か?」
「今晩にも凍えて死にそうだ」
「はあ、なんで?」
心底不思議そうな顔でマグバイトレが俺を見下ろす。
「周りを見ろよ。奴隷にはテントもないんだ。今日はこれから雨が降る。これじゃあ、風が吹いたら俺たちはビショビショだ。毛布だけだと凍死する」
「 雨なんて降るのか?」
「空気が湿っている。それにグルの葉が大きく開いている。この植物は雨で水分を多く吸収するために、雨の前には葉が上向きに開くんだ。今夜は雨が降る。こんなボロっちい毛布じゃ、皆体調を崩す」
「ふうん」
顎先に指先を当て、マグバイトレは屈んで、興味深そうに植物を突っつく。
「こんなので本当にわかるのか?」
「俺たちは農耕の民だ。天気が読めなくてどうする」
「まあ、お前が言うなら、そうなんだろう。おい、テントを少し分けてやれ。兵士を詰めりゃなんとかなるだろう」
「はあ。ですが、奴隷の為にですか?」
「死なれちゃ困るだろう、急げ」
マクバイトレが兵士に声をかける。兵士は勢いよく敬礼すると、伝令のために兵舎に走っていく。 俺は驚いて、男の彫りの深い顔立ちをまじまじと見上げる。
「なんだ。男前に見惚れているのか?」
「いや……いいのか?」
正直、意外だ。俺たちは奴隷だ。そんな人間に便宜を測っていいものなのか。
「いいさ。お前たちに死なれたら困る。それにそれぞれの奴隷の処遇は、俺たちに任されているんだ。それに俺は偉いからな。俺を叱れる人間なんて、バルバットロウぐらいだ」
急に出てきた名前に息を飲む。都市部の有力者との繋がりなんて無かったもんだから、バルバットロウなんて名前聞いたことがない。兄貴は随分とめかし込んだ名前になっている。自称か、それとも有力者の養子になったか。兄貴の性格を考えると、バルバットロウなんて名前を自分から名乗ったりしないだろうから、後者だろう。
急に黙り込んだ俺の顔をマグバイトレが覗き込む。
「なあ、なあ子犬ちゃん」
「ああ? 子犬って呼ぶな」
俺の名前を知っているだろう。
「俺は今日いいことをした」
マグバイトレが胸を張ってみせる。
「なんの事だ?」
「今、お前に言われて、便宜を図っただろう。こういう時は、大体ご褒美を貰えるもんだ」
「餓鬼かあんたは」
「男はいつでも餓鬼さ。ママの温もりが必要なんだ。ところで俺のテントは風避けに抜群だが、どう思う?」
「そうだな」
巫山戯た物言いだが、マクバイトレの提案に俺は少し考え込む。俺の周囲には、こちらを伺う村人たちがいる。衣類は擦り切れ、怪我をしているものも多い。顔には疲れが滲んでおり、生気が感じられない。マグバイトレは俺たちを直ぐに殺すつもりはないだろうが、それでも俺たちはきっと冬を越える事ができない。そろそろ、俺は踏み込まなければいけない。
「いいぜ」
にっこりと笑みを作り、顔を上げる。マグバイトレがちょっと驚いた顔をする。
「いい子にするよ、俺。そしたら、ご褒美くれるんだろう?」
俺はマグバイトレのマントの端を引くと、そのまま耳元に唇を寄せる。
「紹介して欲しい人がいるんだ」
マグバイトレの目が動揺に赤く揺らめく。それから、綺麗な二重の瞼が上下し、すっと細められる。
「へえ」
マグバイトレの唇が上に上がる。
「お願いだ。マグバイトレさん」
俺はマグバイトレの首にそっと手を絡ませる。その灼熱の瞳をじっと見つめる。男の瞳の中の炎の種火が燃え上がるのが見えた。
頭の中を子供の頃の兄貴の顔が浮かんでは消える。真っ直ぐな黒髪を綺麗に横に分けて、窓枠に腰掛けて、読書する姿。俺が悪戯をした時に、酷く叱る姿。俺の嫌いなニンジンを皿に入れてやった時の仕方ないなあ、と笑う姿。
双子の癖に兄貴は俺より出来がよかった。
最後の時、兄貴は俺を見捨てようとしなかった。だから。だから、俺は。
ーー俺は兄貴に会わなければならない。
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