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自分に裏切られるのはショックがデカい
俺はランプを手に、テントに入っていく。薄暗いテントには、むわりとした熱気が漂っている。テーブルには地図が広げられ、何度も検討したのだろう赤い線が幾重にも引かれている。ノートには几帳面な字で、鉱山の簡単な鉱道の見取り図に作戦が書かれている。作戦の部隊単位を表すGがきっとガリエルノ人の奴隷部隊のなのだろう。その記号は赤いペンで正面入り口に配置されている。どうやら計画に変更はないらしい。
俺は寝ている兄貴を起こさないように、そっと小さく息を吐く。
ゆっくりと俺はベットに近づいていく。硬いスプリングのベットは俺が体重を乗せると軋む音を立てる。ここで兄貴に抱かれたのを思い出し、つい眉を顰めてしまう。熱い兄貴の肌の熱を、ドロドロと腹に出された液体を記憶の彼方にしまい込む。
ベットに眠る兄貴は眉間に皺を寄せている。時々、うなされるように唇から声を漏らすのは、悪夢を見ているからだろうか。
「もう、俺が終わりにしてやるよ」
あの日の夢をみるのも、苦しいながら呪いを背負って生きるのも。兄貴の、皆の為になると信じて、俺は自分の太もものフォルスターからナイフを取り出す。その鈍色の輝きは、こんな日が来ないで欲しいと祈りながら、研ぎあげたものだ。
俺はベットに膝をつき、兄貴の横に沿うように体重をかける。ギシリと予想通りベットの骨組みが音を立て、兄貴がその音で目が覚ます。ゆっくり睫毛が上下し、その瞳が開く。
「……ダニー?」
「ああ、なんだ?兄貴」
俺は甘い声で言う。汗をかいて、うなされていた兄貴の頬にかかった毛を払ってやる。寝ぼけていた兄貴の目が大きく、開く。その目が俺の握るナイフを捉える。
「なぜ、ここに!」
兄貴が起き上がろうとする。俺はその動きを予測して、肩を抑えにかかる。
「くそっ」
兄貴が俺の体の下でもがく。力の支点を抑えられると人間は起きあげれない事を俺はウィルに習った。
「何を!」
叫び声を俺は兄貴の口を塞いで止める。ナイフを手にしながら、人差し指を立てて静かにするように唇に当てる。
「静かに、兄貴。すぐに終わるから」
俺は静かに目を伏せる。ナイフを翻し、兄貴が逃げられないように、太ももをナイフで刺す。肉を刺す感触に、ぐっと唇を噛みしめる。苦痛に耐え切れず、兄貴が喉からくぐもった声を上げる。
「……なぜだ、ダニー。なんでお前がこんな事をする!」
兄貴が少し声のトーンを抑えて、眉をひそめる。じんわりと額に脂汗が滲んでいく。兄貴の視線は足に刺さった俺のナイフの切っ先を見つめている。動揺しているが声は冷静で、外の様子を探っているのが分かる。
「俺が聞きたい。どうして、兄貴は俺がアンタを許すと思うんだ」
兄貴が俺に触れようとする手を俺は払いのける。その手に触れたいだが、触れてはいけない。服を掴まれて引きづり倒されては敵わないからだ。俺の今の体は体重軽すぎる。
「村を焼かれた、父を母を殺された。村を焼かれ、家を奪われた。同胞を奴隷にされて、戦場に立たされた。なあ、兄貴。たくさん死んだんだ。俺の大切な人がたくさん、兄貴のせいで死んだんだ」
俺は隠していたもう一本のナイフを取り出す。そして、ナイフが汗で滑らないようにしっかり握り直す。
俺は兄貴の腹に手をつき、親父に似た顔を眺める。兄貴は眉間にシワを寄せながら、厳しい顔つきで俺を見る。優しい兄貴、だが俺の家族を殺した男。その顔を見ていると、ふつふつと腹の底から憎悪が湧き上がってくる。
「許す訳ないじゃないか?親を殺された子供が、家族を失った人間がどう思うかなんて兄貴が一番知っているだろう」
やっぱり俺たちは双子だ。そんなところまで一緒なんだから。
「……やめろ、ダニー。外には護衛がいる。静かに去ってくれ。今なら、何もなかった事に出来る。俺にお前を殺させるな」
兄貴が縋るように俺に言う。太ももを抑える手は少しづつ赤く染まっていく。俺は、ゆっくり首を振る。
「外にいるのが俺の仲間だとは思わないのか?」
「……っ」
兄貴の目がぎゅっと細められる。苦しそうに兄貴が拳を握りしめ、俺に叫ぶ。
「……まさか、そんな。ここまで来て。マグバイトレか!ああ、くそ、やっと巡り会えたんじゃないか。それなのに何故!?」
その声はまるで悲鳴のように俺の耳に響く。
「なんでだろうな……」
俺はポツリと呟く。
「兄貴が将軍なんかじゃなきゃ良かったんだ。平凡な村人なら」
そして、それは俺も同じだ。
転生したら、兄貴は将軍で俺は奴隷だった。その立場が、誰かに願われた過去がある限り、俺たちは一緒にいることなんて出来る訳がなかった。せめて、知らない場所で幸せに願う思いは、兄貴自身に切り捨てられた。
俺は怒っているんだ、兄貴。
兄貴の幸せを願う気持ちと同じくらい。俺はアンタを許せない。
アンタが兄貴じゃなきゃ、簡単だったんだ。村人総出で反乱を起こして、すぐに殺してやる。だが、兄貴なんだ。俺の大事な兄貴だから。
俺は許そうとしたんだ。兄貴がもし考え直してくれるなら、もう村に手を出さないと約束してくれるなら……俺は兄貴を許そうと思った。救おうとした。
村人たちの非難を受け、裏切り者と罵らようとも、それでも良いと思った。それで、村人も兄貴も生きているなら。それで。
でも、駄目だ。駄目だったよ、兄貴。アンタはガリエルノを許さない。だから、俺もお前を許さない。俺は俺だけじゃない。俺は、村人の指導者だ。村の意識の代行者だ。村人を殺そうとするお前を俺は許してはならない。
こうなるかも知れない。そう思ったから、俺はアンタに言えなかったんだ。アンタが余りにも可哀想だから。俺たちの為に、苦しい思いをして復讐をしていたのに、実の弟である俺に殺されるなんて……アンタが余りにも救われないから。だから、俺は決して、自分の正体を明かさないと決めたんだ。敵国の人間に殺されたなら、ただの不幸だ。だけど、守ろうとした存在に殺されるなんて、アンタがやってきた事が全部否定するなんて、最悪だと思ったからだ。
でも、もういいな。兄貴、もういい。俺はアンタの弟だよ。
どうか苦しんで、精一杯後悔して死んでくれ。それが我々の望みだ。俺の望みだよ、グロウス。
アンタの幸せを願う、馬鹿ダニーを殺したのは、きっとアンタだ。
「俺を殺すのか。俺がガリエルノの聖域を侵攻する将軍だから。俺を殺せば、それで解決するとでも? 俺のような人間は沢山いる。戦いが続く限り、ガリエルノと神聖国の溝は埋まらない。いくら和平を結ぼうとも憎しみ合う根本を解決しない限り、すぐに戦いは再開する!」
兄貴が肩を捩って逃げ出そうとする。力で押し返されないように、さらに体重をかける。
「それでも、俺たちは救われるんだ。アンタがいなければ」
軍隊は撤退し、俺の村はもとの静けさを取り戻す。それからの生活は大変だろう。だが、人は生きている。家族が、恋人が、友人が。一人でも失うものが少なければと俺は思う。もう二度と、兄貴と同じような、俺と同じ人間がいないように。
クソみたいな男だ。こいつのせいで、戦いは起こり、そして多くの人間がくるしんだ。
ーーでも、俺の兄貴だから。
だから、せめて俺が苦しまないように殺してやる。なぶり殺しになんてさせるものか。
昔、俺の手を優しく導いてくれた、俺の双子の兄弟だから。
兄貴の罪は許されない。けれど、せめて苦しまないように。
ーー俺の手で殺してやる。
俺にはもうその位しか兄貴にしてやれないから。
兄貴の顔に焦りが浮かぶ。
「俺は死ねない!たとえ、お前をでも殺される訳にはいかない!」
俺が本気だと悟ったのだろう。身を捩り暴れた拍子に俺は後ろに跳ね飛ばされる。ベットの上で体勢を整えた兄貴が、チェストの引き出しから短剣を取り出す。軍人らしく素早く構えられた短剣が俺に向けられる。だが、怪我をしたせいで力が入らないのだろう、足場の悪いベットの上で体勢が崩れそうになっている。
俺は腹筋に力を込め、跳ね返るようにベットの上に乗り込む。狙うは急所、兄貴の首筋だ。
「ダニー!」
俺を咎めるような声が聞こえる。そんな声聞きたくない。もう、俺は止まることが出来ないのだから。望まない事を行う。もしかしたら、これが今の兄貴の気持ちなのかもしれないと、少しだけ思った。
兄貴が身を捻り、短剣で俺のナイフを弾く。
「ちっ」
金属が跳ね返る音がする。腕力では敵わない。そのまま、弾き飛ばされそうになったナイフを手の中で回して、握り直すと、再び、兄貴に向かう。
俺の一撃は軽い。だから、確実に届かせないといけない。
ナイフを右脇に構え、柄の底に手のひらを当て、そのまま押し出す。兄貴は再び、俺のナイフを防ごうと、自分の顔の前に短剣を構える。俺のナイフの切っ先は真っ直ぐ、兄貴に向かう。兄が、衝撃に備えて身構えるのが見える。反応がいい、流石兄貴。俺より戦いの才能はありそうだ。ナイフを兄貴の随分前で大きく凪ぐように横に振る。
「なっ」
宙で空ぶったナイフに気を取られた兄貴を横目に、ベットのシーツを掴み、そのまま思いっきり上に引き上げる。兄貴の視界がシーツによって隠される。
これで兄貴はどこからナイフが飛んでくるかわからない。
「俺の為に死んでくれ。グロウス!」
シーツの隙間から兄貴の顔が見える。兄貴は目を見開いて見ていた。どうか、今度こそ幸せに。
「……ダニぃいいい!」
兄貴が叫ぶ。母さんと似た薄墨の瞳には、きっと俺の姿が写り込んでいる。金髪で緑の目の憎しみを瞳に移して、涙を湛えたそんなガリエルノ人の顔が。俺の面影などどこにもない筈だ。
俺はナイフをそのまま勢いよく突き立てる。手に柔らかなものを引き裂く感触と骨のようなものに当たり、切っ先が跳ね返る感触がする。俺はそのまま、体重をかけ強く押し込む。
「はあ、はあ、はあ」
自分の色素の薄い髪から汗が滴り落ちているのが見える。首筋にひやりとした刃物の感触が、俺の背筋をゾクリとさせる。
同じように息を荒らげた兄貴が、俺の下で胸を上下させている。片手で乱暴にシーツを掴み、伸ばした腕には短剣が真っ直ぐ突き出されている。鋭く尖った剣先が俺の皮膚を破り、ツプリと血の雫を浮き上がらせる。
俺のナイフは兄貴の顔のすぐ横に刺さり、頬に裂傷を作っていた。傷からは血が漏れ出し、シーツを赤く染めていく。
確実なタイミングだった。俺のナイフは間違いなく、兄貴の首を切り裂くはずだったのだ。だが、俺の腕は勝手にそれて、兄貴にかすり傷をつけただけだ。
ーー駄目だ、殺せていない。もう一度だ。
今すぐナイフを引き抜き、すぐ横にある兄貴の首に当てて、引き裂かないと。
兄貴は何故だか、俺を見つめて動かない。今がチャンスだ。
ーー殺せ、殺せ!
村人たちの声がリフレインする。仇を取ってくれと頼まれた。復讐してくれと言われいた。ああ、簡単だ。今まであんなに敵と偽って同胞を殺してきたじゃないか。殺したくなんてなかった。だが、仲間を守るためには殺さざる得なかった。そんな風に俺を苦しめたのはこの男だ。
「……っ、なんで。どうして!動け!」
俺は喉から声を振り絞る。
ーー動け、動いてくれ!
兄貴に突きつけられた短剣は俺の首を切り裂こうとしている。早く、早くしないと俺が殺される。
だけど、どうしてだろう。腕が震えるばかりでちっとも言うことをきかない。動け、動けっ。必死に脳に命令を送るが、ちっとも言うことを聞かない。
「どうして……」
俺は襲いくる絶望で顔を歪める。俺はベットに刺さったナイフから手を離す。みっともないくらいに手が震える。
村を焼かれた。両親を殺された。村人の思いを託された。マグバイトレには両国の未来を、ウィルには幼い頃の約束を。すべて背負って、ここにいる筈なのに。兄貴が憎い、どうしようもなく。俺から二度目の全てを奪おうとした。守らなきゃ、俺が皆を。なのに。
何て、間抜けだ。腰抜けだ。こんなやつじゃ、きっと。兄貴を殺せない。
「あああああ」
俺は絶望の声を上げる。自分の顔からダラダラと汗が吹き出るのを感じる。もう、今すぐ消えてしまいたかった。吐きそうな気分だ。
脳裏にこびりついた思い出が、寂しそうに笑う兄貴の顔が思い浮かぶたびに、沈んでいく。駄目だ。許しては、いけない。そう、決めたのに。
ーー俺は兄貴を殺せない。
何だよ、それ。そんな事ってあるか。必死に考えて、納得したふりをしてきた。仕方ない、兄貴は悪いことをした。だがら、俺が止めないとって。
その決心を鈍らせないように、俺の大事なものを巻き込んだ。マグバイトレもウィルも村人も、全部。全てを俺の重石にして、体を引きずるようにしてここに来たのに。
どうして、この手は動いてくれない。
ーー自分が自分を裏切るなんて。そんな事あっていいのか。
俺は兄貴を殺さなければならない。だって、周りは皆、俺が兄貴を殺すことを望んでいる。けど、俺は。俺は、俺は兄貴を殺したくないんだ。
そんなの一体どうすればいいんだ。
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