村の男

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村の男

生まれつき片腕のない男がいた。男は金に困っていた。男は片腕が無いための畑を耕すことができず、その日暮らしの生活を送っていた。 しかしそんな生活も続かず、とうとう死ぬしかないところまで追い詰められた。男は山の中で、首を吊ってしまおうと思い出かけた。誰にも気付かれぬように、奥へ奥へと山道を進んで行く。歩いている途中、男はふと目の端で何かを捕らえた。 男は気になり、何かを見る。そこには小さな祠があった。その祠は真っ赤に塗られており、この色でなければ気づかなかっただろう、と思うくらい小さかった。 男はその祠をじっと見つめた。この祠、どこかで見たことが、いや違う。聞いたことがある。男には、この真っ赤な祠に対して、何かがあるように思えたのだ。 男が首を吊るために来たことを忘れてから数分、ふと昔の記憶が思い出された。それは男が子どもの頃、まだ父親と二人貧しいながらも共に助け合いながら暮らしていた時のこと。 子どもの頃男は、片腕を理由に村の子どもにいじめられており、父親が仕事で家を開けている間は、村のはずれにある爺さんの家に遊びに行っていた。そこに住む爺さんは狩猟で生計を立てており、山であったことを面白おかしく男に話してくれた。また、その爺さんは村では珍しく読み書きもできたので、男は爺さんに教えてもらっていた。 ある日男は、いつも通り爺さんの家に遊びに行った。行くと爺さんはいつものごとく、明るく迎え入れてくれた。その日もまた山であったことを男に話してくれた爺さんだったが、いつもと違いひとつ話すと黙ってしまった。男は、さすがに話を聞きすぎて内容がなくなった爺さんを困らせたか、と思っていると爺さんは男の目をじっと見据えた。 「お前と違ってワシはもうあとがねえ。お前に伝えることしかできん。…お前がもし、金に困り生きていけないと思ったときはなぁ、今から言う事をしたらええ」 男の記憶から、するすると爺さんの話が思い出される。 「村から見える山の中で、一番近くて大きな山があるやろ。その山にはなぁ、女が住み着いとる。ワシが見たときは、まだ人間やったと思うがや。もう違うやろうなあ、あれは。その女はな、金をくれるんや。赤ん坊と引き替えに」 そうだ、赤ん坊と引き替えに金が貰えるんだった。いや違う、赤ん坊じゃなかった、なんだったか、と男はさらに記憶を探っていった。 「その山にはな、女の居場所を示す目印があってな。真っ赤な祠がどこからかはわからんが、山頂まで続いとる。一つでも見つけたらそのまま山頂を目指して歩けばええ」 男は見つけた祠から上を見上げ、歩き出した。すると次の祠はすぐに見つかった。 「ただなぁ、そのまま歩き続けても着かん。祠を辿っていくと一つだけ真っ黒な祠がある。それを見つけたらな、土を詰めた袋を赤ん坊に見立てて布を包む。一つ気を付けないかん事があってな、包む前に何でもいい、できるだけ太い棒切れを一本、横に入れて包むだけでええ。それを祠の前に置いてな、中にある蝋燭に火をつけ夜まで待つ。ここまでは夜になる前に用意しとかないかん」 男はひたすら真っ直ぐ歩いていくと、真っ黒な祠を見つけた。その祠の周りには不思議なことに、まるで植物が避けているかのように、何も生えていなかった。 太陽を見ると、夕焼けにしてはまだ早いが、夜までたっぷり時間があるというわけでもなさそうだった。 男は急いで取り掛かった。水を入れていた皮袋に砂を詰め、包む布がなかったため、腕が無い方の麻の着物の袖を、歯と腕で割いた。ちょうどいい大きさの枝も見つけたので男は、砂袋と枝を包み祠の前に置いた。火をつけるの少し苦労したが、男は準備を終え夜を待つ。 「夜になるとな、明かりにつられて山の上の方から女が降りてくる。こん時は絶対に姿を見られたらいかん、代わりに連れていかれてしまうけんのお。じっと、隠れとくんや。するとな、女が祠に置いた砂袋を赤ん坊と思い込んで持っていく。そん時女が抱えとった袋を代わりに落としていくんやが、その中見るとな、赤ん坊の形した金塊が入っとる。後は女が去っていったら、その袋を取って帰るだけや」 男は思い出し、急いで木の上に登った。 日も沈み、辺りは蝋燭の周り以外真っ暗だった。どこらかともなく獣の鳴き声が聞こえる。風の音が通り過ぎ、周囲はまた静寂に包まれる。男はじっと息を潜め、待った。 男が待っていると、これまでと違う音が近づいて来た。ザズ、ザズ、と山の上の方から音がする。 本当に来たのだと、男は驚いた。 音がだんだん近づいてくると、蝋燭の明かりに照らされ、その正体も見えてくる。 そこには想像から外れた、人ではない何かがいた。男は初めて、物の怪と呼ばれる類のものを見た、と思った。それはすんでのところで生き物の形を保っている、と言った方がいいだろう。 その生き物は体を引きずりながらも、明かりを目指すようにして祠に向かってきた。 男は自分の動きを全て押し殺し、その生き物を凝視した。 その生き物は、祠の前に置いた砂袋に気付くと、それまで抱えていた袋を落とした。男はその生き物が早く去ることを願った。 砂袋を抱えた生き物を見ると、腐り果て今にもずり落ちそうな髪からは、口角の上がった口が覗く。男は驚いた、あの物の怪は笑っているのだと。恐怖に身体を支配されないように、己を奮い立たせる。 男はその生き物を見ていると、ふとある事に気が付いた。物の怪の頬に大きな切り傷の痕があるではないかと、男はその傷痕に心当たりがあった。だかその可能性も、この物の怪には関係ない、と思い男はその生き物に目を向ける。 男が見ていると、何か違和感を感じた。さっきまでと違う音がする。男は耳をすました。風が過ぎ去り、ようやくその原因がわかった。 あの生き物から聞こえていたのだ。男はさらに耳をすます。 「…デッ、オデテ、カワ 、カワイ、イネ…オテデッ」 男には確かにそう聞こえた。やはり、もしかしてこの物の怪は…。男の意識は、奥深くにある記憶へと吸い込まれた。 子どもの頃、男はよく父親を質問で困らせていた。一つは、なぜ自分は他の子ども達と違い、腕が片腕しかないのか。 もう一つは、なぜ母がいないのか。 男の質問に対して、父は 「お前のお母はな、お前がもっと小さい頃に病で死んだんだよ」 と言った。 この質問は数回聞くと父が嫌な顔をするため、ある程度すると聞かなくなった。 しかしもう一つの、なぜ腕がないの質問をすると、父は 「お前の腕は生まれつきだ、生えてくることはない。だがな、お前のお母はお前の腕を、おてて可愛いね、いい手だね、ってずっとあやしてたんだ。お前のお母は村で評判の美人でな、頬に傷痕があったがそれでも美しかった。そんなお母が褒めてくれた手なんだ、一本以上の力がある」 と励ましてくれた。男は普段聞くことのない母親の話を、この質問をしたときだけ父が話してくれるため、何回も聞いていたのだった。 男は、母親の話を思い出した途端に涙が零れた。 なぜ今まで忘れていたのか、と。 男はこの山に来てから沢山の記憶が蘇った。もしかしたら死んだ母親が導いてくれたのかもしれない、などと男は思い始めていた、そしてそこに這いずる物の怪は母ではないかとも。 男の頭の中では様々な憶測が浮かんだ。あの物の怪は母で、何かの理由であんな姿になってしまった。それでも何故か赤ん坊を探している。木の棒はきっと腕に見立てて、しかし一本しか入れていない。 男の強ばった体から力が抜けた。そうか、あの物の怪はお母だ。お母があんな姿になっても、俺を探している。そう思うと男はゆっくりと木から降りた。 砂袋を抱え上の方へと行った生き物を男は追いかけた。 進んでいくにつれて蝋燭の明かりは届かず、月の光だけを頼りに男は進む。実際はまだあの生き物に男は恐れていたが、それに勝る母への思いがあった。 奥への歩いていくと、真っ黒な塊がもぞもぞと動いているのが見えた。改めて見るとやはり恐ろしい、と男は思った。しかし男は進む。 その生き物は蹲っていた。何をしているのか見えないため、男はさらに近づいた。 あの物の怪は穴を掘っているのか、いや違うな。何かに顔をうずめてるのか、あれは…。 男がそれに気付き、急いで戻ろうとした時には、すでに生き物も男に気付き、足首を掴んでいた。 「オオ、キナッ、テダ、ネオテッ、オォ」 男の血の気が引いていく。恐怖で固まった体は動いてはくれない。男は真っ黒な塊に飲み込まれていった。 生き物は砂袋を貪り食っていたのだ。 男を見なくなって1週間、村では男が住んでいた家をどうするか話題になっていた。 今日もおしゃべり好きの女達が、村の井戸の周りに集まっていた。そこに1ヶ月前に越してきた若い夫婦の女房が加わる。 若い女房は早く村に慣れて、もうすぐ生まれるお腹の子どものためにも、住みやすい環境にしたかった。そのためにも、他の女達と打ち解ける必要があった。 「皆さんおはようございます。どうされたんですか」 「おはよう、赤ちゃんいるのに大変ね。今あの家がどうなるのか話してたのよ」 「あの家は大変だったものね」 「そうそう。あの男も急に消えましたからね。誰のものになるのかしら」 「あの男?」 若い女房が質問すると、女達の中でも1番年配の女が嬉嬉として話し始めた。 「あなたは若いから知らないけれど、この村は昔ね、山から下りて人を食う物の怪に、村人が襲われていたのよ。当時は物の怪退治とかで弱らせていたみたいだけど、弱ったらその分人を食って補おうとするから、対策として当時の村の長老が物の怪と約束したの、20年おきに生贄を捧げますと。そしたら食べる人間が確保されて、物の怪の被害も落ち着いたらしいのよ。最初は1番年上の人が生贄になっていたみたいだけど、どうもその物の怪は食べたものに合わせて成長するみたいなの」 「成長ですか?」 「ええ、だからその物の怪がだんだんと知恵をつけてきたのよ。約束も破るようになったり、言葉巧みに人を誘き寄せたりしてね。だから今は生贄の条件が変わったのよ」 「どうなったんですか?」 若い女房がきくと、今度は1番おしゃべりな女が答えた。 「赤ん坊を生贄にすることになったの。成長もしないし、逆に弱らせることもできるからってね。」 するとおしゃべりな女は、また思いついたと言わんばかりに急いで話し始めた。 「ほら、さっき話してた男。あの男はね、生贄になるはずだったのよ。生贄になる赤ん坊はね、親が悲しんでしまうから、親へせめてもの救いになるように片腕だけ切り落とすのよ。その片腕を我が子の忘れ形見にっていう意味でね」 話を聞くにつれて若い女房は、この村に引っ越したのは間違いだったのかもしれないと思い始めていた。 「その男も生贄になるはずだったのよ。けど直前になって母親が、お願いだから自分を代わりにいかせてくれってきかなくて。結局母親が代わりになったのよ、あのときは大変だったわ」 この人達は本当に子どもの親なのか、と若い女房は疑問に思った。こんな村だなんて思わなかったと、若い女房は初めて村を見た時のことを思い出す。たしか、子どもたちが楽しそうに遊ぶ光景を見て、幸せそうに支え合う夫婦を見て、自分達もああなりたいと若い女房は思ったのだ。しかしその願いも叶うかはもう分からない。ただ若い女房は、できる限りの事はしたかった。普通に暮らせるようにと。 「そんなことしていたら、子どもが居なくなったりしないんですか」 「そいうときは代わりの物を詰めて置いておくの、鉄とか石と、とにかく固いもの。金のときもあったわ、何も知らない奴に取られていたこともあったわね」 代わりに、と聞いて若い女房は少し息苦しさから解放されたような気がした。 「あったわね、あのお爺さんでしょう。本当にあのときは困ったわ」 女達は昔を思い出し盛り上がっていた。 「あの、その人はどうなったんですか?」 「どうもこうも私達が何かをする前に前回で味をしめたのか、また山へ行って行方不明になったわよ」 「きっと連れていかれたのよね、あの人知らなかったみたいだから」 「全員が知っているわけではないのですか」 若い女房は女達の話に一抹の不安を覚えた。 「全員が知っていたら大変な事になるでしょう。だから関わる人達だけの秘密なのよ」 「では、なぜ私に、話したのですか」 若い女房は一気に血の気が引いていくのがわかった。周りの女たちから視線を感じる。しかしこれは自分の青ざめた顔を見ているわけではない、と若い女房はわかった。女達の視線はもっと下に刺さっている。 「今年で20年なのよ、だからあなたにお願いしようと思って。ちょうど生まれるでしょう」 若い女房は、できる限りの事はしたかった。しかし、すでに何も残されてはいなかったのだ。
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