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無一文
「あー!全く金がねぇ!」
俺、田中裕樹の渾身の叫びは、夜のバーの妖しい光に消えていった。
「なんだよいきなり。恥ずかしいだろ」
グラス片手に俺をなだめるこいつは佐藤。四十絡みの背の高い男で、ワカメヘアーがトレードマーク。
「なんだよ、お前にガソリンスタンドが今どれだけ苦しいのか分からないだろ!」
「分かるから落ちつてくれ。あれだろ? 今から五年前ぐらいに流れた、新燃料のニュース」
そう。今佐藤が言ったように、今から五年前、中東で石油に代わる新たな燃料が発見された。
発見当時はそれほど世間の話題を集めなかったが、日本の大手自動車メーカーがこぞって新燃料を使う自動車を破格の値段で発売した。それに続くよう
に他のメーカーも同じような自動車を販売し、今となってはガソリンを燃料にして動く車は珍しいものとなった。
「で佐藤、いい金稼ぎがあるって本当なのか?」
先日、自分のスマートフォンにこんな一通のメールが届いた。
『よう田中。久しぶりだな、元気してるか? 風の噂で聞いたんだけどお前のガソスタ経営難らしいな、今金に困ってるか? もし困っていたら、二日後の夜ここに来てくれ』
やけに短絡的で怪しいメールだったが、もしかしたら大金にありつけるかも知れない。急いで財布の中をはたき、何年も着てないスーツを着て来たが。
「まぁ、その話は後にしないか? お互い積もる話もあるし」
「なんだよそれ、早く初めようぜ」
「まぁまぁ」
ここで佐藤を怒らせてはいけない。俺は渋々、佐藤の話に乗る事にした。
「で、舞子とはどんな感じだ、もう結婚するのか」
いきなりのデリケートな質問に一瞬心臓がドキリと鳴る。舞子とは大学時代にできた彼女で、付き合いは佐藤の紹介から始まった。
「別に、ぼちぼちて感じ」
覇気のない俺の言葉に、佐藤は肩をすくめる。
「おいおい、ボチボチは無いだろ、もう何年付き合っているんだ?」
「三年‥‥」
自信が無さそうに俺は右手の指を三つ立てた。
「そろそろ結婚しても良くないか? 実際、舞子も待っているかもしれないし」
まるで俺以上に舞子の事を知っているような素振りを佐藤は見せる。
その素振りを挑発かどうか見抜くことはせず、俺はグラスのテキーラを喉に押し込んだ。
「なぁ、そろそろ良いだろ? 金の話を始めようぜ」
これ以上話したら佐藤に舞子を奪われる気がした俺は、少し荒い口調で話の路線を切り替える。
「そろそろ潮時だな。いいぜ場所を変えよう」
そう言い、佐藤は勢いよくバーテンダーに会計の趣旨を伝えた。
一呼吸置き、バーテンダーは何故か後ろの方に視線を送る。
その視線に共鳴するかのように、後ろで飲んでいた屈強な男たちが立ち上がった。
その様子を見ると、バーテンダーは安心しきった様子で佐藤に伝票を渡した。
「こちらがお会計になります」
一応払われる身として、伝票に視線を落とすと。
『氷代二万円。お通し代十八万円。お酒代十万円』
伝票には確かにそう書いてあった。
「ちょ、こんなのぼったくりだろ!」
「あ!? お前、この金額に文句あんのか?」
後ろで飲んでいた屈強な男が、ものすごい剣幕で凄んできた。
「さ、佐藤、ここぼったくりの店だ!」
泣く泣く佐藤の腰にしがみつく。佐藤はただ呆然と突っ立っているだけ。
もうダメだ。頭の中で少し早い走馬灯が流れ始めた頃。
「お支払いします。現金で」
力強い佐藤の声が聞こえてきた。
「あぁ!? お前三十万持ってんのか!?」
男は佐藤の顔に自分の顔を近づけるいくが、佐藤は臆せず。
「はい、現金で持っていますよ。この通り」
そう言い、砂糖はおもむろに自分んお財布を取り出し、中身を見せた。確かにそこには現金の束がぎっしりと詰まっていた。
「な、なんだよ、しっかり持っているじゃねえか」
「ええ、そちらが掲示した金額です。問題ないですよね?」
あたかも当たり前かのように佐藤は言った。これにはぼったくり側もしてやられたようで。
「もういいからお前ら帰れ!」
男の怒号を尻目に、俺らは店を出た。
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