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「家を出るぞ、瑞月」
そう陽介が告げた時、瑞月は、何を言われているのかわからない、という顔をした。
瑞月にしてみれば、以前と変わらない日々が続いているのだろう。が、それは間違っている。間違っているのだ。なぜなら両親は死んだ。団欒は永遠に失われたのだ。今も毎晩のように繰り返される団欒めいた何かは、全て過去の再現だ。かつて両親が揃うたびに出された鍋。もうこれで何日目だ。もはや数える気にもなれない。日によって中身が変わるのはこの際問題ではない。毎晩のように繰り返される同じ光景。同じ会話。ここには、そう、過去しか存在しない。
すでに失われたものの再現に躍起になるのは、生きた人間の在り方とは言えない。
「もうアパートは借りてある。そこに、明日から俺とお前の二人だけで暮らすんだ」
「二人? じゃあ、父さんと母さんは」
「置いていく」
「どうして」
「どうして? 死人だからにきまってる! あの二人は事故で死んだ。死んだんだよ。でも、俺とお前は生きてる。生きてる人間は、昨日と同じ今日を生きちゃいけないんだ」
陽介の渾身の言葉に、しかし、瑞月はやはり訝しげに小首を傾げた。悪意はないのだろう。が、その無自覚さが陽介は苛立たしかった。生きている人間なら誰しも共感しうる自明の事実が、この弟には何一つ伝わらないのだ。
生きているのに。陽介と一緒に今日を生きているのに。
「何を言って……わからないよ、兄さんの言葉。僕、頭悪いから……」
「わかれよ! 馬鹿でもわかるんだよこんな話は!」
肩を掴み、それこそ馬鹿みたいに弟の身体を揺さぶった。開かない扉を無理やりにもこじ開けるように――だが。
「どうして……だって、せっかく帰ってきてくれたのに。い、今は視えないかもだけど、でも、きっと兄さんにも視えるようになる、僕にだって、視えるようになったんだから……そうすれば、また、四人で……」
「……そうじゃない」
そういうことじゃないんだ。なぜ、こんな簡単なことが伝わらない。
「とにかく、明日には家を出る。今夜中に必要な荷物をまとめろ。……さもなければ、お前とは金輪際縁を切る」
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