下北沢のホーンテッドアパート

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下北沢のホーンテッドアパート

 内見を終えた客と、その付き添いの仲介業者を玄関先で見送ると、ようやく僕は、ぶはぁ、と大きく息をついた。 「……緊張したぁ」  基本的に僕たち大家が所有物件の内見に立ち会うことは少ない。鍵は大抵、物件近くの管理業者に預けていて、鍵の管理や貸し出しの許可も含めて業者に任せているからだ。ただ、何事にも例外はあって、例えば、物件に長年棲みつく幽霊さんの許可なくしてテナントを入れることができない場合、どうあっても〝視える〟人間の立ち合いが必要になる。  その立ち合いの役目をようやく終えた僕のMPは、早くも空っぽだった。 「瑞月さんって、本当に人と話すのが苦手なのね」  にやにやと、どこか楽しそうに僕の顔を覗き込んでくる桃子さんに、僕は泣きそうな気分で「はい」と答える。  僕に言わせれば、人は大きく二種類に分けられる。他人と話すことが楽しくてたまらない人と、逆に、他人と話すこと自体が苦痛でしょうがない人と。僕はやっぱり後者で、以前、この屋敷について調べた時も何が一番苦痛だったかというと、やっぱり近隣住民への聞き込みだった。  今日も、いかにも都心の仲介業者らしいイケイケなノリのツーブロック仲介マンと、やはりイケイケなノリの創作イタリアンのオーナーという組み合わせに中てられた僕は、立ち合いの途中から早くもメンタルのゲージがマイナス値を叩き出していた。 「そうなんです。きっと、兄さんが全部持って行っちゃったんですよ、母さんのお腹の中で、僕の分のコミュ力まで」 「こみゅりょく?」 「ええと……対人能力といいますか、社交性と言いますか」 「ああ、社交性のことね。でも、それを言えば瑞月さん、私とは最初から普通に接してくれたじゃないの」 「あれは……まぁ……」  それは単純に、桃子さんが死者だからだ。  基本的に僕は、生きた人間よりも死者と語らう方が気が楽だ。彼らの多くは会話の相手に飢えていて、僕が話しかけても嫌がられるケースは少ない。ただ、生きた人間はそうじゃない。彼らにしてみれば、口下手で引っ込み思案な僕はむしろ鬱陶しいだけの陰キャだ。しかも、突然視えない相手と会話をはじめる変質者。 「そ、そんなことより、いかがでしたか、さっきの方は」  すると桃子さんは、むぅと眉根を寄せ、吐き捨てる。 「駄目ね。不合格」 「えっ?」 「まず服装からして駄目。何よ、あのピエロみたいな服。あんな馬鹿みたいな服を着て歩くような人間が、この格式高い五津のお屋敷に見合う店を開けるわけないじゃない。私、嫌よ。赤とか青とか黄色とか、お屋敷を絵本のお城みたいに塗りたくられるのなんて!」 「いや、それはさすがに杞憂が過ぎるのでは……」  とはいえ、今の客のファッションセンスが壊滅的、もとい極端に前衛的だったことは否めなくて、レインボーカラーのワンピースにタイツ、エナメルのブーツという、歩くゲーミングPCみたいな風体の客に僕が抱いたのは、やはり「ないな……」という身も蓋もないお気持ちだった。  ましてや桃子さんは戦前生まれの女性だ。ああいった奇抜すぎるファッションに拒絶反応を示してしまうのも、仕方ないといえば仕方ないのだろうけど。 「まぁ……審査では落としておきますから、どうか安心してください」  最終的に入居の可否を決める権限は僕たち大家にあるので、僕らが入居の申込を突き返せば賃貸契約は成立しない。その僕らも、桃子さんの許可なくしては入居者を募ることができないので、この屋敷に限って言えば、最終決定権は桃子さんにあると言ってもいい。  その桃子さんが、来る客来る客いちいちケチをつけて拒むものだから、募集を始めて一ヶ月が経つ今もいまだに空室の状態が続いている。……うう、辛うじて一階フロアを貸し出す許可は得たものの、結局これも無理ゲーじゃないか。代わりに二階に住まわせてもらっているし、おかげでノマドみたいな移動生活から解放されたのは嬉しいのだけど。 「まぁ、私に黙って店子を入れても、気に入らなければ実力行使で追い出せば良いのだし――それよりコーヒーが飲みたいわ、瑞月さん、お願い」 「え、えぇ……」  多少慣れたとはいえ、少年ジャンプの連載タイトルよりもころころと変わる彼女の機嫌はついていくだけで精一杯だ。とはいえ、せっかく取り戻してくれた機嫌をわざわざ損ねる理由もない。僕はキッチンに向かうと、さっそくケトルに水をセットする。  すでにライフラインの修理は終えているものの、キッチン自体は今も未改修のままだ。これは桃子さんの許可が降りないからではなく、入居者が決まった後に改修するつもりでいるからだ。 「いい匂いよね、これ」  ミルサーでコーヒー豆を挽いていると、隣で桃子さんがすんすんと鼻を鳴らす。彼らには、味覚と同じように嗅覚もある。むしろ桃子さんに限れば、僕なんかよりずっと鼻が利く。というより、香りの感性が豊かなのだろう。先日も、彼女にキンモクセイの香りというものを教えてもらった。秋口に香る、あの甘く爽やかな香り。その正体を知ることができたのは彼女のおかげだ。  やがてお湯が沸き、紙フィルターを敷いたドリッパーに挽きたてのコーヒー粉をセットする。それを少量のお湯で軽く蒸らすと、十数秒待ってからふたたびお湯を注ぎ入れる。  そうして出来あがったコーヒーを、さっそく彼女に差し出す。それを桃子さんは、カップの縁を啄むようにちょこんと啜ると、満足そうににっと笑った。  死者たちの食事は、この一口で事足りる。味や香りはもちろんだけど、それ以上に、誰かに捧げられたという事実それ自体が重要なんだそうだ。だから食べ物や飲み物は、基本的に一口で構わないし、何なら、パッケージに軽く口づけるだけでいい。よく墓前や仏壇に、故人が好きだった食べ物が置かれているけれど、あれはあれで一応理に適った習慣ではあるのだ。  ただ、死者の視えない人間ならともかく、視えてしまう僕は、これが彼らの食べ残し、飲み残しであることを意識しないわけにはいかない。いや、別に汚いとかそういう話ではなく、むしろこの場合は逆で…… 「無事かぁ瑞月いぃぃ!」  ドカン! と玄関の方で乱暴に扉の開く音がして、僕は危うくカップを落としかける。それまでは比較的上機嫌だった桃子さんの顔がみるみる曇って、そろそろ苦言の一つでも飛び出すかと思われた頃、それに先んじてキッチンのドアがバン! と開かれた。  朝晩が冷え込みはじめた今日この頃、さすがに『不労所得』Tシャツは控えてくれるかと思いきや、今度は『不労所得』パーカーにジャケットというふざけたスタイルで出歩きはじめた兄さんは、今日も今日とて例の格好でどこかに出かけていた、らしい。 「瑞月! 無事だったか!」  その兄さんは、僕を見つけるなり大股で歩み寄ると、僕の頭をくしゃりと撫で、それから首や肩、腕をひとしきり撫で回した後で「はぁぁ」と盛大な溜息をつく。 「よかった……てっきり桃子に投げ飛ばされちゃいないか心配していたんだ」  そして兄さんは僕の手からカップを奪い取ると、当たり前のようにずずっと啜る。奇しくもそこは、今しがた桃子さんが口をつけた場所でもあった。 「……あ」 「んだよ瑞月。完成間近のドミノ倒しが地震で崩壊しました、みたいな顔して」 「あ、あうう」  何だろう。別に何を盗られたわけでもないのに、この、途方もない喪失感は。 一方の兄さんは、そんな僕に構うことなくずびずびとコーヒーを啜ると、半分ほど飲みきった後で無造作にテーブルに置く。 「そうだ。さっそくだが明日、やるぞ」 「……え」  まさか。いや、まさかもへったくれもない。兄さんが唐突に「やる」と言い出した時は、理由は一〇〇〇パーセント、あれだ。 「こ、今度は、どこの物件……?」 「ああ、ほら、こないだ話してた下北沢のアパートだよ。一棟まるごと出るっつーリアルホーンテッドマンションだ」 「ああ……あのオカ板の」  ちなみに、本物のホーンテッドマンションには一度だけ連れていかれたことがある。おどろおどろしい雰囲気にびびり散らし、一緒に入った兄さんに散々笑われてしまったのは今思い出しても素敵な想い出だ。もう二度と行かない。 「ああ。管理会社に問い合わせたところ、退去理由……というか、霊障はどの部屋も似たり寄ったりで、こいつは単独での犯行だと俺は睨んでる。まぁ、詳細に関しては現地で確認するまで何とも言えねぇが、霊障さえ何とかすりゃ客付けには困らねぇ優良物件だし、ここはとっとと除霊してさっさと収益化したいとこだよなぁ」 「そ、そうだね……ここの一階も……あ、いや」  慌てて口を噤んだのは、桃子さんの冷ややかな視線を感じてしまったからだ。  そうとも、彼女は悪くない。たとえ彼女の選り好みのせいで一ヶ月以上も借り手がつかずに維持費等で赤字を出し続けていたとしても、それは彼女のせいじゃない。強いて言えば、彼女の眼鏡にかなう客を紹介できない仲介業者のせいだ。うん。 「だな! ここもさっさと賃貸に出してぇのに、どこぞの昭和生まれロリババアがあれこれ注文つけるせいで――あひゅう!?」  突然兄さんの口から変な悲鳴が漏れて、見ると、桃子さんが鬼の形相で兄さんの両脇をごにょごにょとくすぐっていた。 「ちょ、あひゃ、やめっ、脇はっ、弱いっ」  が、なおも桃子さんはくすぐる手を止めない。まぁ、あれだけ堂々と地雷を踏み抜いておいて、この程度の報復で済んでいるだけマシ……というか、むしろ羨ましいな、この刑。 「ひあっ、ほんと、やめっ、ああんっ」  うん……やっぱり羨ましい。
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