編入前の話

9/12
前へ
/213ページ
次へ
あの一件から一月と少し経った2月も終盤に入るこの頃。 もう忘れたかと言えばそんなわけはない。 その後も何事もなく平和にいつも通り過ごせていたなら、まだ振り切れたのかもしれない。 しかしそんな事はなかった。 俺は、社交界に出まくっていたのだ。 自身の意思に反して。 以前の生活がもはや思い出せない。 最近は学校から帰るなり支度させられて父に連れ添うのが日常化していた。 父の考えもよくわからない。 俺を後継ぎにすることはなさそうだが、 どの会社がどういう立ち位置で、どの会社に関係しているかなどと これまで一切教えられなかったことを毎日のように詰められる。 ・・・そんなわけで正直、勉強どころではない。 もう受験が目の前に来ているというのに。 「父さん。このままでは合格が危ういのですが。」 車の後部座席に座り、隣に腰かける父に問う。 今日も今日とて俺は父に連れられ、お偉い方々が揃うであろう会食の場に向かっている。 中坊の俺が。 なぜ?と毎回参席者に奇妙な目で見られるが それは俺が一番聞きたい。 「今日は三春もそんな気負わなくていいと思うよ。」 「むちゃくちゃスルーされた・・・。」 息子の受験がどうなってもいいんかい。 これは試練か?無勉強で合格せよと、そういうことなの? 「・・・前みたいな下請け関係の方々ですか。」 あれ以来、園ヶ原のような大企業にはお邪魔していない。 眞鍋関係か朝ノ丘関係の下請け会社ばかりと会っている気がする。 「そうだね。会えばわかるよ。」 いつもこれだ。 絶対教えてくれない。 そういうワクワクは本当にいらないのに。 ふーと息を吐きながら外に目を向ける。 道が空いているのか、あまり止まらず進んでいく。 地理には疎い。 ここが今どこでどこに向かっているのか。 運転手になる人はすごいなぁ。 あ、日が落ちた。 ―――――――――・・・ 騙された。 呆然と店の前で立ち尽くしながら父を虚ろな目で見る。 三ツ星料亭だ。 明らかにいつもより格上。 おかしい。 このレベルは今までにない。 「父さん?」 「なんだい、三春。」 この一月わかったのは、父が楽しげであれば、俺にろくなことがないということ。 色々な大人と話しては来たが、やはり立場が上であればあるほど気は張るわけで 出来れば会いたくないのが本音。 だからといって父に強制されているわけでもない。 「行こうか。」 父が俺の腕を引く。 三春なら大丈夫。 そう言われてるようで、嬉しいから。 だから今日も、俺は父の連れ。 中へ入ると着物を着た方々が丁寧にお辞儀する。 俺、なんで制服で着たんだろう。 いつもはスーツなのに。 あ、父が指定したからだ。 「眞鍋雪次と息子の眞鍋三春です。」 店主なのか恰幅のよい男性が前に出て、深々と頭を下げる。 「ようこそ、いらっしゃいました。ご案内致します。」 広いというものではないが、落ち着いた歴史の感じる内装だ。 長く、幾度か曲がりながら辿り着いたのは 大きな広間だった。 「こちらです。皆様揃われるまでもうしばしお待ちください。」 「ありがとう。」 店主が去っていくと、父はなんの躊躇いもなくなく足を踏み入れ、特に名前が書かれているわけでもないのに 左側の真ん中に腰を下ろした。 「ちょっと早かったね。」 と言う通り、今は誰もいない。 大きな机に座椅子が12あるだけ。 少し多い気もするが変わったことはない。 「三春も座りなさい。」 ほら、とその隣の座椅子を笑顔で叩く父。 なんだろう。 この嫌な予感。 「先に・・・ちょっと、お手洗いに行ってきます。」 父の返事も待たず、 踵を返して部屋から出ると先程歩いていた廊下を逆走する。 絶対に何かある。 逃げるつもりはないが足は止まらない。 出掛ける前に気づくべきだった。 なぜ、父が制服を着て行けと言ったのか。 忘れていた。 父は大事なことをいつも終わってから言う。 仮病でも使うんだった。 あと少しで先程の正面口に着こうかと言うところで 携帯を持った青年が運悪く入ってきたので俺は備えつけの調度品の影に隠れた。 見えないように壁に体を押し付けて、様子を伺う。 べつに隠れる必要はないのだが。 しんっと従業員が静まり返っている。 俺たちの時とは空気が違う。 「・・・あぁそうだ。それでいい。その話は前に言ったはずだ。今度の調整に掛けてもらう。・・・では、すまない、また明日。」 ・・・見たことがある。 新聞で。 短く切り揃えた黒髪。知的な眼鏡。薄い口、カッチリとしたネクタイ。 彼は。 「一ツ橋慶誠(ひとつばしけいせい)だ。父の一ツ橋公誠(ひとつばしこうせい)は少し遅れる。」 一ツ橋ッッ!! 三大財閥のひとつ! 子宝に恵まれた一ツ橋家、その中でも跡継ぎ最有力と言われる「一ツ橋慶誠」は次男にして長男より優れた能力を持つとか。 確かに凄く出来そうな雰囲気ある。 父から聞いた話を総動員させて一ツ橋慶誠さんの情報を集めた。 父さんよ。この人くる時点でもう場違いだよ俺。 周りがピリピリするのも無理はない。 段々こちらに近づいてくるその圧だけで尻餅つきそうだ。 どうする。 他に道はない。 挨拶しに行くか。 隠れてるのがバレたら失礼だ。 と、足に力を入れたものの俺が前に進むことはなかった。 もたれていた壁がなくなったのだ。 当然俺は後ろにひっくり返る。 なんだ? 不思議と痛いことはなかった。 この感覚を最近味わったような。 とんっと背中が触れたのは温かい布。 同時に朝焼けのような黄土色した髪が俺の頬を掠めて 独特の甘い匂いに包まれる。 その匂いで思い出す。 そして見上げる。 「久しぶり。三春ちゃん。」 この人を見るたびに太陽のようだと思う。 そしてたまに月のように冷たいことも知ってる。 「お久しぶりで、す・・・・・・朝ノ丘礼創(あさのおかれいそう)さん。」 驚き過ぎると人間、驚けない。 もうお分かりかと思うが、彼は朝ノ丘、眞鍋直属の会社のご長男。次期後継ぎ様だ。 まじで? この人まで来るの? どうなってるの、今日の会食。 もうすでに恐ろしんだけど、父さん! 「余所余所しいねぇ。昔みたいに創にいちゃんって呼んでよ。」 呼べるか。 この人とは何度か会っているのだ。 俺がヤンチャ時代の時に。 その頃はそんな偉い人だとは全く知らなかった。 ただの意地悪なお兄さんだと思っていた。 今は立場が全然違う。 もう天人さまの域だ。 「呼びません。あと登場の仕方、心臓に悪いんで止めてください。」 どうやらここは少人数用の客間のようだが いつから居たんだこの人。 さすがにずっと背中を預けているわけにも行かず、起き上がろうとするが 「ぐぇっ」 見た目華奢な体のどこにこんな力が・・・と思うくらい押さえ込まれている。 「つれないねぇ。」 楽しそうに目を細める礼創さんを恨めしげに見る。 俺ではどうにもならない。 誰か・・・ と切実に願っていれば 「・・・礼創。何をやってる。」 救世主! だが、その声に俺は今度こそ飛び起きる。 俺が後ろに倒れた衝撃で気付いて来てくれたのだろうか。 「ありゃ。ちょっと慶誠。邪魔しないでよー折角感動の再会だったのに。」 どこがだよ。 感動ポイントどこだったんだよ。 「時と場所を考えないか。」 ごもっともである。 「おや、そちらは・・・」 今気づいたのか 慶誠さんがようやく俺を視界に入れる。 俺は体がガチガチだ。 どういう状況なのこれ。 前は一ツ橋。後ろは朝ノ丘。 こんなことある? 「あ、すみません。お初にお目にかかります。眞鍋三春です。」 眞鍋、と聞いて慶誠さんの眉が上がる。 「あぁ例の。始めまして、一ツ橋慶誠だ。よろしく。」 スッと差し出された手にドキドキする。 あ、握手だ・・・ すごい・・・有名人と握手だ・・・ 一ツ橋慶誠と言えばもう一つ思い出したのが弓道だ。 全国1位になったこともあると聞いたことがある。 こんな機会は滅多にない。 グッと握り返してぶんぶん振る。 すると何故か反対の肩が痛む。 「三春ちゃん、僕と会ったときより嬉しそうだねぇ。」 礼創さんが俺の肩に手を置いていた。 ち、力がすごい。 いててて そういうことするからだよ。 前では慶誠さんと握手。 後ろでは礼創さんに肩を掴まれるという、どんどんわけのわからない状況になっていく中。 先に手を離したのは慶誠さんだった。 「礼創、お父上は?」 慶誠さんが礼創さんを呼び捨てしていることに違和感。 記憶のなかで礼創さんを呼び捨て出来ていたのはその父上だけだった。 同級生だからと言って易々と呼べる相手ではない。 さすが一ツ橋。 「ん?さぁ後からくるんじゃないの。慶誠とこは?」 礼創さんは何を思ったのか俺の肩から頭に手を移動した。 そしてグシャグシャに撫で回されている。 止めてほしい。 「少し遅れるようだ。すまない。」 慶誠さんは興味がないのかノーリアクションだった。 増々、頭が悲惨になる。 「ま、仕方ないんじゃない。そっちはそっちで大変だからね。」 「まだ下火ではあるが、動き出しているようだ。そちらも気を付けた方がいい。」 「そうなったら一回解体した方がいいんじゃない?と僕は思うけどねー」 「それは父達が決めるだろう。俺たちはまだその位置にいないからな。」 「ま、いずれは、ね?」 「あぁいずれは。」 難しい話をしながらお互い笑い会っているが、目は笑っていない。 その間、やっぱり礼創さんはずっと俺の頭をひたすら撫で回しているし。 もう最悪だ。 俺は何も出来ない。 会話に入れるわけもない。 ただただ髪形がおかしなことになっていくのを甘受することしかできないのだ。 けど。 もし・・・この二人の間に入れるやつがいるとしたら。 思い付くのはただ一人。 ダークブラウンの髪が似合う、 実年齢とはほど遠い容姿の。 「――――なにやってんですか?二人して。あ、もうひとりいたのか。」 そうそう。 失礼なやつ。 園ヶ原明志。 「園ヶ原!?」 「うるさいな。」 ついに揃ってしまった。御三家が。 その真ん中にいる俺って何。 場違いにも程があるのでは。 ・・・・・・うん。去ろう。 と、なんとかこの場を逃れようとしたのだが、礼創さんが頭をギリギリと押さえ付けているので無理でした。終。 「明志。久しぶり。ごめんね、この間のお披露目会行けなくて。その時知り合ったみたいだね。三春ちゃんと。」 ハハハと笑っているが分かりやすく愛想笑いだ。 こわい。 「お久しぶりです、礼創さん。いえ、お気になさらずにお気持ちだけで。そちらもお元気そうでよかったです。あぁ、礼創さんも随分と仲がよろしいようですね。そこの眞鍋三春と。」 慶誠さんの後ろから現れた園ヶ原が礼創さんに頭を下げるが、そんな顔出来たんだというくらいの笑顔でこちらを見ている。 あ、愛想笑いだ。こっちも確実に。 誰が収拾つけるのかこの三人。 結局、園ヶ原もまともな人間ではない。 まともな人間と言えば。 「明志、慶誠さんにも挨拶しなよ。」 突然のよく通る声にびっくりする。 今まさに頭に浮かんでいた人物が 園ヶ原の肩口から現れる。 相変わらずニコニコした坂崎伯人だ。 いや、この面子だとさすがに存在感が大人しい。 「・・・べつにいいんじゃないか?」 慶誠さんはこの中で一番高身長なので、余裕で園ヶ原を睨み下ろしていた。 俺ならチビる。 「いいわけあるか。貴様いつも俺に対して態度悪いぞ。」 「親同士が仲良くないとそうなるよね~あるある。」 礼創さんはヘラヘラ笑ってる。 あんたはいつまで頭を弄ってるんだ。 いい加減禿げそうなんだけど。 とは言えない。 さすがに居座りすぎたのか、先程から従業員の方々がハラハラとこちらを様子見していた。 それに気づいたのか伯人が声をあげる。 「そろそろ向かった方がよろしいのでは?」 と、腕時計を見ながらそう促した。 さすが出来る男、坂崎伯人。 俺は一言も声が出なかった。
/213ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2771人が本棚に入れています
本棚に追加