2771人が本棚に入れています
本棚に追加
入学前の話
白いウサギは夜に跳ねる。
遊んでいるかのように。
誰も一緒には遊んでくれない。
ウサギは高く、飛びすぎたのだ。
誰も届かないところまで。
けれど、月には届かない。
ウサギは唄う。
あぁ帰りたい。
誰か私を月に帰して。
と。
今日もウサギは飛び跳ねる。
泣いても誰も、気付かない。
――――――――――・・・
眞鍋三春は悩んでいた。
「赤、いや黄色・・・」
目の前には色とりどりのお弁当箱があり、
その手には新調した筆記用具が入った紙袋がある。
そう。入学準備である。
三春の地元から電車で一駅くらいの場所にあるショッピングモールだ。
「早く選べよ。女か。」
「三春。こっちの方がしっかりしてるし、洗いやすいんじゃない?」
近くを通りすがった女性達の目を奪う、園ヶ原明志と坂崎伯人と一緒に。
「おー確かに。でも値段高いよ。」
「大丈夫だよ。明志のお父さん持ちだし。純金製でもいいくらい。」
「それは即日カツアゲされるわ。んーでもやっぱこっちにする。いっぱい食べていっぱい大きくなるんで。」
明志は一時間前からすでに飽きていて、近くのカフェで寛いでいたのだが
何人かに声をかけられ続けた時点で寛ぐのは諦めた。
今は三春が悩んでいる雑貨店の前のベンチで電子新聞を読んでいる。
「いや、しかし悪いな二人とも。折角の休日なのに。」
「全然。人の買い物付き合うのなんて久しぶりだから楽しいよ。」
「いいやつ~園ヶ原だけじゃなくて良かったよ。」
三春は黄色のお弁当箱を持ってレジに向かう。
「お前、俺が金持ってるの忘れんな。」
明志は三春の会計を済ます。
先日の約束通り、三春の入学にかかる費用は全部園ヶ原家が出してくれることになったので
ついでにこういった諸費用も奢りになったのだ。
眞鍋が金銭的に無理なわけではなく
父に負担がかかることを嫌がる三春を考慮しての結果だった。
「わかってるよ。感謝してます。ありがとうございます。でも元から買う予定だったからいいって言ったのに。」
「そんなケチなことあの人がするか。」
「でもさ、払ってもらうなら普通に領収書で良くない?なんで明志が来たの?」
伯人の声に三春も頷く。
三人は出会ってまだ日も浅く、友人と呼ぶにはそれほど距離も詰まってない。
三春も数日前に聞かされた時は疑問しかなかったわけだが。
「あの人の命令だからな。仕方なく来てやっただけだ。一応ここも園ヶ原系列だから様子見でもしてこいって意味じゃないのか。」
どうやら明志自身も詳しくは聞かされてないようだった。
よくわからない状況というのが落ち着かないのかずっとそわそわしている。
「・・・二人とも普段から忙しいんだろ。息抜きしてほしいんじゃないの。・・・なぁそれより一階に美味しいたい焼き売ってるんだけど行かない?」
三階から階下を見下ろして三春は目を輝かせながら指差す。
「好きなの?」
「大・好・物!行こう!俺の奢り!」
「あっ、おいっ!」
二人が何か言う前に三春はエスカレーターで下りていってしまった。
「・・・ガキかあいつ。」
少しイラついているのか明志は三春の後に続く様子はない。
「俺たちもガキだよ。」
諭すような伯人の声に明志は首を降った。
「伯人、前にも言ったが、俺たちはそれを許されてない。悠長なことを言ってられるような人間か?もう高等部だぞ。時間は限られている。」
目を伏せた明志を見て
伯人は何となく、明志の父、英志の考えがわかったような気がした。
焦りすぎて前が見えていない。
――――伯人が明志と初めて会ったのは私立小学校で同じクラスだった時。
親から名前は聞いていたが、当初から彼は誰とも関わらず、本ばかり読んでいたので正直話し難かったように思う。
それでも席は近かったので何回か話しかけているうちに彼のことがよくわかるようになった。
読書しているときは基本的に話しかけてはいけないとか、彼が話している最中に口を挟まないとか。
最初はおおよそ友人と呼べるような関係ではなかったが、次第に笑みも増え、何の隔たりもなく話せるようになったのだ。
それがここ最近はまた眉間の皺が増えて読書の時間も多くなっていた。
何かに急かされているように。
だから、あの日。
三春といた明志を見て驚いた。
まるで昔からの友人みたいに、表情が穏やかで。
もしかしたら、明志には三春という存在が必要なのかもしれないと思った。
あの、不安定で純粋な、心が。
「親からしたらガキはガキだよ。・・・ねぇ明志、まだそんな焦って大人になろうとしなくてもいいんじゃない。三春を見てみなよ。ほら。」
もう一階に着いたらしく、わくわくしながらたい焼きを選んでいる三春がいた。
明志は呆れたように息を吐く。
「あいつは呑気だな。気付いてんのか?自分が一番面倒なこと押し付けられてるの。」
伯人はひっそりと胸の蓋を閉じる。
この男を導かなければならないから。
高みへ。
その為には、利用できるものは利用する。
「三春、そういうのは敏感そうだけどね。わかってるんじゃない?だから不安でいっぱいいっぱいですって顔してる。それを悟られたくなくて必死に隠そうとしてるの可愛いよね。礼創さんがちょっかいかけたくなるのもわかるなぁ。」
ニッコリ微笑んだ伯人に隠れて見ていた女性数人が頬を染める。
明志は内心三春に同情した。
伯人の思惑には気付かない。
「お前・・・また悪い癖が出てるぞ。ここは学園じゃない、手を出すなよ。」
明志の言葉に伯人は目を丸くする。
「学園ならいいんだ。」
「・・・俺には関係ない。俺の仕事の邪魔さえしなきゃな。」
ふーんと怪しげな目で伯人が明志を見ていると三春がこちらへ走ってきた。
両手いっぱいにたい焼きを抱えて。
「はぁはぁごめん!焼き立て待ってた!来ないから適当に買ってきたよ。どれにする??あんこは王道でうまいよな、カスタードもあの濃厚なクリームが、あっ、今期間限定で桜あんもあって」
「「買いすぎ。」」
と、二人は顔を引き攣らせながら言ったが、
結局一緒に全部食べたらしい。
三春はまた嬉しそうに笑う。
その帰り際。
伯人は頑張ってねと、手を振る。
明志は泣かされるなよと、頭を小突いた。
始めこそ少し緊張したが、楽しかったなと三春は胸が熱くなった。
そして、後に思い出すことになる。
二人が如何に優しい人間であったかを。
最初のコメントを投稿しよう!