編入前の話

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編入前の話

春も終わり、空気は一段と暖かいものに変わる。 すでに梅雨は各地で始まりこの学園に訪れるのもそう時間はかからない。 三分の一ほど開いた窓の隙間から風がふわりと香る。 雨はまだ降らない。 春の陽気が名残惜しそうに去っていくようなそんな匂い。 混じりけのない黒髪がさらさら揺れて心地よさそうだ。 眞鍋 三春。 今時の高校生にしては珍しくピンっと背筋の伸びたその少年は 2つ瞬きをして、前に座る猫背に話しかけた。 「寺町くん。」 びくりとその背が揺れて、ゆっくり後ろに顔を向ける寺町と呼ばれた少年。 なかなかに寝癖がひどい。 「・・・ナンデスカ?」 何故かカタコトだった。 そしてすごく嫌そうな顔をしている。 「ちょっと相談があるのですが。」 うすら笑顔を浮かべながら三春は手を合わせた。 寺町少年は眞鍋三春が苦手だった。 元から面倒事には敏感で、三春には特に関わりたくなかった。 彼は特殊なこの学園の中でも特に特殊な「編入生」だから。 ―――――――― 始まりはどこからかと言われたらそれは人にもよるが、三春は始まりは父からの突拍子もない提案からだろう。 しかしそれを語る前に、眞鍋三春という少年の境遇を軽く紹介しておかなければならない。 まず、この国には世界にも名の知られた三大グループ企業が存在する。 「園ヶ(そのがはら)」。 「一ツ(ひとつばし)」。 そして「朝ノ(あさのおか)」。 三春の父、眞鍋雪次(まなべゆきじ)が経営者たる眞鍋不動はこの「朝ノ丘グループ」の中にある 三春は所謂「いいとこの子」だったのだ。 現在は。 というのも三春は養子である。 昔は今では考えられないほど光のない生活をしていたのだが、 その経緯については追い追い話そう。 養子とはいえ、雪次には実子が二人いるのだが 祖父代から続く眞鍋不動でも確実な地位を得たのは雪次の代であり、その実子なこともあって、二人はとても優秀だった。 今はどちらも海外にいて、いずれは長男が跡継ぎになるであろうと噂されている。 三春も迷惑かけないように努力はしていた。だがとても兄には敵わないしそれでいいとも思う。 父も望んでいないから。 だから三春は普通の公立小・中学校に通っている。 高校もそのつもりだった。 会社とは関係なく普通に過ごしてほしいと、父が願ったから。 そんな三春が雪次から呼び出されたのは、高校受験も間近に迫った年始頃。 大豪邸というほどの大きさではないが、一般的に見れば「裕福」としか思えない眞鍋邸の長い廊下を一切の緩みなく、 まるで今から面接に向かう就活生の如く 三春は歩いていた。 そしてある部屋の前で立ち止まる。 「失礼します。」 部屋はすでに招き入れるように開けられており、 三春は躊躇いなく足を踏み入れた。 とは言え、父の書斎は毎回緊張する。 昔のヤンチャ盛りの時に叱られた記憶しかないからかもしれない。 三春そっと落ち着かせるように息を吐く。 雪次は小難しそうな書類にペンを走らせて、三春が入ってくると同時に散らばっていた書類を纏め上げた。 「勉強中に悪いね。」 少し白髪混じりの髪を軽く撫で付けて雪次が顔を上げる。 笑みが浮かんでいた。 三春の強張りが柔らかくなる。 機嫌が良さそうだ。 「大丈夫です。今日の分は終わったとこなんで。」 「順調そうで何より。君のことだから余計な心配かもしれないが無理はしないように。」 「わかってます。・・・それで用事というのは?」 休日だと言うのに色々書類を抱えた父が呼び出すのだ、何か大事なことなのだろう。 と三春が身構えるも 雪次はずっとニコニコしていた。 「実はね。明日、園ヶ原グループでちょっとした祝賀会があってね。」 そういったパーティーなどによく雪次が参席していることは三春も知っている。 が、 「それと俺が関係あるんです?」 基本的に雪次は会社の話を三春にはしない。 恐らく聞いても答えてくれない程度には避けられていた。 だから余計に 雪次の消えない笑みが恐い。 「あぁ三春さえよければ一緒に行かないかい?」 「・・・は?」
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