1/1

28人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ

こんな習慣ができたのも、きっかけはアカリたちの住む街で空き巣が多発したからだ。それもすでに居合わせた住人が一人、犯人によってケガさせられていた。 とはいえ、当時はそんな事実を知らされることはなく、街を歩いているときに見かけるパトカーの数や少しアカリを家に一人残すだけでやけに心配する母の表情から異変を感じ取っていた。 そんな街でも、母の夜勤はいつも通りやってくる。 アカリの家は母子家庭なため、母が夜勤のときにはいつも、隣の街に住む祖父母の家に預けられていた。でも、その日は祖父母共通の友人の葬式が遠方にあり、どうしても家を空けなければならなかった。 そのため、そのときばかりは実の父親に預けられることも検討された。離婚しているとはいえ、月に何度かある面会は欠かさず行っている。父とアカリの仲は良く、父はいつでもアカリを預かると言ってくれている。でも、そのときはちょうど仕事が繁忙期で、保育園のお迎えの時間にどうしても間に合わないということで外された。 ということで―― 「すみませんが、今日はよろしくお願いします」 朝、保育園に行くと母がヒロのお母さんに声をかける。そこから行われる大人のやりとりをぼんやりと見上げていると、突然母が頭を下げた。アカリは意味もわからないまま真似をして頭を下げる。 「はい、アカリちゃんをお預かりします」 その声に、アカリはゆっくりと頭を上げる。そのまま見上げてみれば、ヒロのお母さんは笑っていて、母は横でぺこぺこと何度も小さく頭を下げている。 ヒロのお母さんは、母と正反対の雰囲気を纏う。母が冬なら、ヒロのお母さんは春。母が水色なら、ヒロのお母さんはピンクが似合うような人だ。母のことも好きだが、ふわふわと柔らかいヒロのお母さんのことも、アカリは好きだった。 ヒロのお母さんにつられて、アカリも笑顔を浮かべる。保育園は依然として行きたくない場所だが、ヒロのお母さんに会うと自然と笑顔になれた。 「アカリ、いくぞ!」 「えっ、うん」 そうしていると、お母さんと手をつないでいたヒロが手を引いてきた。その顔は少し不満げだ。アカリはそれに疑問を抱きながらもヒロについていけば、ヒロは強引に部屋の中に入ろうとする。それに驚きながらも振り返れば、母たちがこちらを見ていた。 「二人とも、いってらっしゃい」 ヒロのお母さんが大きく手を振る。ヒロは前を向いていて気づいていないようだ。アカリはヒロに手を引かれながらも、もう片方の手で小さく振る。そうすると、ヒロのお母さんの隣で母も小さく振り返しているのが見えた。 そして、両方とも手が下ろされる。すると、少し背中を丸めた母とヒロのお母さんが何か話している。よく見かけるその姿に、アカリは目を離すとヒロの背中を追いかけることに専念した。 ヒロと初めて出会ったあの日から、アカリの隣にはいつもヒロがいる。絵本を読むのも、園庭の遊具で遊ぶのも、ヒロと二人。たまにヒロは他の子たちから誘われるけれど、アカリの隣から離れることはなかった。 アカリはそれが嬉しくもあり、少し申し訳なくもあった。でも、自分から離れることはできない。 そんな二人の様子が、母親たちにも伝わったのだろう。アカリが気づいたときには、母親同士で挨拶し合う姿を見かけるようになった。 無口な母と、おしゃべり好きなヒロのお母さん。正反対だけれど、傍から見た感じは仲良さそうだ。挨拶だけだったのが、少し立ち話をするようになり。今では保育園のない日にヒロの家族と水族館に行ったり、ヒロとお母さんがアカリの家に遊びに来たりするようになった。 今まで母と、たまに祖父母と父しかいなかった世界が急に華やいだ。アカリの顔に笑顔が咲くことが多くなったのは、ヒロたちのおかげだ。 二人、一緒に部屋に入る。そうすると、一度手を離し、棚に荷物を入れていく。今日はいつもと違い、お泊り用の大きな荷物が一つある。それを先生の手を借りながら整頓すれば、ヒロが走って近づいてくる。 「ヒロくん、今日はアカリちゃんとお泊りなんだね」 楽しみだね、と先生がヒロに話しかける。アカリは最後の一押しをすると、そっと扉を閉めた。 やっと、入れ終えることができた。アカリは母の真似をして一息つくと、ヒロの方を向く。アカリの隣に立つヒロはキラキラと目を輝かせて笑うと、空いたアカリの手をすぐにつないだ。 「うん! おれ、たのしみ!」 声とともに、ぎゅっと結ばれた手に力が加わる。それは、ヒロが大切に思ってくれる気持ちの大きさのように感じられた。アカリは同じくらい握り返すと、照れながらも小さく笑う。 「ふふっ、今日も二人は仲良しね」 そう言うと、先生は他の子に呼ばれて離れていく。 棚の前でヒロと二人になる。時間の経過とともに教室の中で遊ぶ子どもたちが増え、騒がしくなっていく。アカリは恥じらいながらもヒロを見つめれば、晴れた日の空のような笑顔が自分に向けられている。 「きょうは、ずっといっしょにいれるな」 その言葉に、アカリは大きく頷いた。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加