兄と弟

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 鼓膜が破れるほどの悲鳴と共に、アシュルトは飛び起きた。  胸に手を当て、荒い呼吸を繰り返す。大量の冷や汗で湿った寝間着が気持ち悪い。掌にはまだ、嫌な感触が残っている。  残滓を振り払うように目を閉じ、深く息を吸う。いつもの悪夢だ。もう何度見たのか数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどに。  アシュルトは毎夜、夢の中で弟を殺す。  着替えを済ませ、城内を早足で進む。悪夢を見た後の癖だ。ただの夢とは言え、確認しなければ落ちつかない。 「おはようございます、アシュルト様。こんな朝早くにどちらへ?」  自分を呼ぶ声に顔を上げると、三人の侍女が機械的な笑みを向けている。アシュルトは足を止めずに答えた。 「おはよう。リオルの工房に行くところだよ」 「そうでしたか。お引き止めしてしまい申し訳ございません」  一人が頭を下げるが、残り二人が小声であの人形王子とか、木偶の坊だとか言っているのが聞こえた。叱責しようとして、やめた。限りがないし、今は彼の安否を確認するのが先だ。  弟は自室よりも趣味のための工房にいることが多い。基本的に鍵はかけず、ノックしても出てこないため、アシュルトは日頃から勝手に出入りしている。  その日も案の定、弟は薄暗い工房にいた。  季節を問わずひんやりとした部屋には、多くの奇妙な道具と、精巧な人形でびっしりと埋め尽くされている。その奥に、僅かなスペースでしきりに手を動かす人形めいた少年がいた。 「また寝てないのか、リオル」  呆れと安堵から溜息をつくと、少年はこちらを振り返った。銀色の睫毛が震え、硝子玉のような赤い瞳がアシュルトを見据える。 「おはようございます、兄上。何かご用ですか」 「……少し、お前の顔が見たくなったから」  お前を殺す夢を見ていても立ってもいられなかった、とは言えない。言葉を濁すアシュルトに、リオルは無表情で頷いた。  リオルはアシュルトの腹違いの弟だ。母の身分が低く王位継承権がないに等しいアシュルトと違い、正妃のたった一人の子で、次期国王であることは周知の事実だ。だが、昔から感情表現に乏しく人形作りにしか関心がないため、周りから『人形王子』と馬鹿にされている。先程の侍女たちのように。  リオルに対して思うことはある。王位だって、完全に諦めがついたわけではない。  だが、可愛い弟でもあった。  ひとりぼっちで人形に囲まれているリオルを放っておけず、何かと面倒を見ている。同情心にも近い愛だが、それでも大事に思っているのだ。無表情ながらも自分を慕う様子を見せる弟に、どうして憎しみをぶつけられよう。  リオルを殺したいなどと思ったことはない。絶対に。  唇を噛んでうつむいていると、青白い手が伸びてきてアシュルトの頬に触れた。 「顔色が優れません。お加減が悪いのではありませんか」  リオルがか細い声で尋ねる。表情は変わらないが、間近にある赤い瞳は僅かに曇っていた。  アシュルトは首を横に振り、笑ってみせる。 「何でもない。それより、お前の方こそまたこもりっきりなのか?未来の国王がこんな様子じゃ不安にもなるぞ。趣味もほどほどにしないと」  アシュルトの小言にふるりと銀色の睫毛が震え、硝子玉の瞳が瞼の下に隠れた。抑揚のない声が応じる。 「……王に相応しいのは兄上です。僕は人形作りしか能のない出来損ないですから」 「リオル!」 「本当のことですよ。誰もが兄上の王位を望んでいる。皆が僕を人形王子と嘲笑っていることも知っています」 「いい、もういいから」  強く遮り、リオルを抱き寄せる。頭はアシュルトの肩に届かず、身体は不安になるほど薄い。人形のようにおとなしくしているリオルの背をトントンと叩き、溜息をついた。 「もうこの話はよそう。そうだ、一緒に散歩でもどうだ?今日はいい天気だよ。お前は白すぎるから、少し日光に当たった方がいい」 「……兄上のお望みでしたら」 「お前ね……慕ってくれるのは嬉しいけど、もう少し主体性を持ってくれ。いざ王様になった時、傀儡王なんて民衆に言われたら目も当てられない」  アシュルトが再び溜息をつくと、リオルはゆるゆると首を横に振った。目を伏せたまま、否と。 「僕は、僕の好きなようにしているのですよ、兄上」
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