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雲一つない青空の下、庭園ではひしめき合うように薔薇が咲き誇っていた。鮮やかな花の群れの中を弟と並んで歩きながら、アシュルトは内心首を傾げる。つい最近までは薔薇など咲いていなかったはずだ。雪で花が駄目になってしまわないか心配していた記憶がある。
しばらく考え込んでいたが、薔薇の色彩と濃密な香りに包まれるうちにどうでもよくなった。美しい花々に囲まれておいてしかめっ面など、あまりに無粋だろう。
アシュルトは純白の薔薇に顔を寄せ、上機嫌で言う。
「私はやはり白薔薇が好きだな。何ものにも染まらない高潔さ、それでいて華やかな佇まい。花の中でも最も美しい」
「……ええ、兄上には白薔薇がよくお似合いです。けれど、赤もよいとは思いませんか」
抑揚のない声に振り向くと、リオルは赤い薔薇を一輪手にしていた。握る手は薔薇の棘で傷だらけで、とろとろと真っ赤な血をこぼしている。
目を見開き絶句するアシュルトに、リオルは小首を傾げた。
「綺麗でしょう?どんなに穢れた人間でも、その血と心臓は有用で美しい。それと同じ色をした薔薇はより一層……」
「馬鹿、やめろッ!」
リオルの言葉を遮り、血まみれの手から薔薇を叩き落とす。行き場を失った小さな手をつかみ、引き寄せた。
「何やってるんだお前は!こんなに怪我して……」
「少し血が出ただけですよ。痛くありません」
「そういう問題じゃない!私は……」
脳裏に血濡れの夢が蘇り、ぐらりと足元が揺れる。
あれは夢だ。アシュルトは何があっても弟を殺さない。リオルはあんな風に笑ったりしない。
悪夢の残滓を振り払い、アシュルトはリオルを抱きしめた。
「……お前が自分を大事にしないから、心配なんだ。あまり不安にさせないでくれ」
絞り出すように告げるが、リオルは何も言わない。身じろぎ一つしない。
生来の人形めいた様子に、アシュルトは内心ほっとしていた。弟の危うさが自分にあんな悪夢を見せているのだと思えるから。決して、妬みや憎しみからではない、と。
あやすように優しく背をさすってやりながら、囁く。自分自身に言い聞かせるように。
「何があっても、私がお前を守ってやる。だから、もっと自分を大事にしてくれ。お前のためじゃなく、私のために」
腕の中でリオルの肩が僅かに跳ねた。だが、それきり何も言わない。
アシュルトは抱擁を解き、ハンカチで簡単に止血をする。城に戻って手当をしようとリオルの手を引いて歩き出した時、くすくすという笑い声が聞こえてきた。
「人形王子がまた馬鹿をやっているわ」
「血まみれだ、血まみれだ。ああ嫌だ、庭が汚れちまう」
「王様に相応しいのはアシュルト様だ。あいつは木偶の坊だ」
くすくす、けらけら、笑い声があちこちから響いてくる。侍女に庭師、料理人、大臣まで。気づけば大勢に囲まれていた。
アシュルトはリオルを庇うように引き寄せ、顔を強張らせる。多くの人間がリオルを馬鹿にしてきたが、ここまで露骨な野次はさすがに初めてだ。
周囲をきつく睨み据え、叫ぶ。
「お前たち、どういうつもりだ?リオルを王子とも思わぬこの侮辱、ただで済むとでも思っているのか?首を刎ねられたくなければ即刻散れ!」
アシュルトの怒りに嘲笑がピタリと止む。だが次の瞬間、けたたましい笑い声が上がり、いっせいにリオルを指さした。
「人形王子は悪魔だ!」
「首を刎ねて、心臓を引きずり出して、手足はバラバラ!真っ赤な血は素敵なアート!」
「殺しましょう、アシュルト様!いいえ、国王陛下!我らが正義のお方!」
「陛下、あの悪魔を殺してください!」
「私たちを救ってください!さぁ、陛下!」
ケタケタ、くすくす、カタカタ、きゃはは、ガタガタガタ。
笑って、嗤って、召使たちはリオルを断罪し、アシュルトを崇める。悪夢のような光景に吐き気がした。
「……いい加減に、しろ」
呻くような声は、鼓膜が破れるほどの喝采に飲まれて霞む。殺せ、殺せ、首を刎ねろ。悪魔を殺せ。正義の王として、弟を裁け。
カッと頭に血が上り、アシュルトは近くで喚いていた庭師に詰め寄り肩をつかんだ。
「いい加減にしろッ!私は弟を殺さない!絶対に……」
ポキリ。
庭師の腕が折れて、粉々に砕け散った。
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