兄と弟

4/5
前へ
/7ページ
次へ
「え……」  掌を見つめ、ついで庭師を凝視する。もげた箇所から真っ赤な液体が流れ出し、パキポキと音を立てて庭師の身体に亀裂が入ってゆく。だが、庭師は顔色一つ変えず、アシュルトの方を見ようともせず、リオルを糾弾し続ける。  一歩、後ずさる。血の気が引いてゆく。吐き気を堪え、アシュルトは顔を強張らせた。まるで、……まるで。  よくできた人形みたいじゃないか。 「アシュルト陛下こそ正義の王!万歳!バンザイ!ばん……」  言葉が途切れた瞬間、赤い液体を跳ね飛ばし、庭師の身体が砕け散った。  それが合図だった。  アシュルトたちを取り囲んでいた人間の体がひび割れ、赤い水を噴き上げながら砕けてゆく。侍女の首が飛んだ。兵士の腕が落ちた。大臣の目玉が飛び出した。身体から切り離されたパーツは塵と化して、アシュルトの上に降り注ぐ。  それからしばらくして、真っ赤に染まった薔薇園は、永遠に静かになった。  アシュルトは自分の手を見つめた。赤く汚れて、寒くもないのに震えている。夢と、同じ。 「兄上」  声につられるようにして顔を上げた。  赤い雨はリオルの上にも降りかかっていたが、不思議と彼は美しかった。血をかぶってひっそりと佇む姿は、赤く染めた白薔薇のよう。  リオルは淡く微笑んで、緩く腕を広げた。 「さぁ、兄上。悪い子の僕を殺してください」  頬を染め、夢見るように囁く。赤い瞳がとろりと溶けた。 「僕は悪い子なので、禁忌とされる魔術に手を出し、城の人間全てを人形とすり替えました。ここにいた者はもちろん、父上も母上も、兄上の母君も。みーんな、お人形です。人間より人形の方がずっと綺麗でお利口ですから」  アシュルトは喘ぐように息を吸った。……頭が、馬鹿になったらしい。今ここで何が起きたのか。リオルが何を言っているのか。一つとして理解できない。  ただ、今のリオルが人形王子でないことだけは確かだった。 「でも、兄上はそれをいけないことだと仰いました。悪魔の所業だと、罪を償わなければならない、と。なら、僕は罰を受けなければなりませんね。兄上はいつだって正しいのだから」  さぁ、兄上。  柔らかな微笑を浮かべ、リオルがもう一歩近寄る。  本当に、何を言っているのかわからない。リオルがわからない。自分はいつもの夢でも見ているのだろうか。  アシュルトは震えながら弟を見つめた。そう、弟だ。アシュルトから王冠を奪った弟。けれど、自分だけを慕う可愛い弟。  夢の中で、数えきれないほど殺してきた。もう十分だ。 「私は……お前を、殺さない」  ひび割れ、恐怖の滲んだ醜い声が落ちた。それがアシュルトの精一杯だった。  一つ、二つ、リオルは緩く目をまばたかせ、笑みを消した。軽くうつむく。 「そうですか。あなたはまた、僕を殺さないと言うのですね」  ぬるい風が吹き、ひらりひらりと赤い花弁が舞う。いつかのどこかで見たような光景。  リオルは項垂れたまま、音もなく歩み寄ってくる。 「僕を、守ってくれるのですね」  もう声も出せず、ただ頷く。震えは増すばかりだ。  ふと、アシュルトは左胸に手を当てた。  脈は、なかった。  こんなにも怯え混乱しているのに、鼓動が感じられない。見つけられない。ますます震える手を強く押し当て、必死に脈を探していた時、 「ダメですよ、兄上」
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加