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Ⅱ
意気込んだのはいいものの、何も起こらないまま午後になった。
「ああー、もう、嫌だ嫌だ。誰も依頼になんて来ないよー」
「ベル、五月蠅い。そんなのいつものこと」
「どうして僕達、探偵なんてやっているんだろう」
ベルは大きな机に突っ伏す。
疑問はもっともである。私達は二人で、三年前からこの探偵事務所を営んでいる。ベルが探偵で、私は助手だ。アパート自体は古いが、立地は悪くない。けれど誰も来ないのだ。
いや、依頼自体はあるにはある。それは、ペットの犬が迷子なので探してほしい、とか、夫の浮気現場を押さえてほしい、とか。けれど私達が求めるのはそういう依頼ではない。
欲しいのは事件。調べたいのは犯人。
不謹慎だと言われようが構わない。殺人事件とか、強盗事件とか、そういうものを調査したいというのが本音である。まるで探偵小説の主人公のような、そういう活躍をして、街の人々からの賛辞をこの身一杯に受けたい。受けたい。受けたい、ものすごく。
しかし、私達は自分達がどうして探偵事務所なんてものを構えたのか分からない。
何か街の人達の役に立つことをしよう。そうして辿り着いたのが探偵で、小説のような事件を毎日毎日待っている。
気まぐれで始めたのだから、やめたっていいのだ。けれど続けている。どうして私達は探偵を続けるのだろう。やめてしまえばいいのに。
「お客さんも来ないし、私お出掛けしてくるね」
「え」
「夕ご飯のお買い物だよ。そんな悲しそうな顔しないでよ。戻ってくるから」
「絶対だよ」
「分かった分かった」
縋り付いてきそうなベルを適当にあしらって、私は事務所兼住居を後にする。踏みしめる度にきしむ階段を下り、通りへ飛び出す。
今日のご飯は何にしようかな。
ヴルストは外せないよね。ああ、そうだ、キャベツの漬物がなくなっていたから買っておかなきゃ。そうだな、ジャガイモは有り余ってるから芋団子を作ろう。イモ潰して小麦粉と混ぜてすぐ作れるからね。中に玉ねぎとベーコンでも混ぜておけばベルも文句はないだろう。よし、ヴルストとクヌーデルとザワークラウト。玉ねぎもいっぱいあるからスープにしよう、オニオンスープくらいすぐ作れるよ。
市場で買い物を済ませ、クーヘンも買って帰ろうかなどと考えていた私は人だかりを見付けて立ち止まった。ざわざわと賑やかな人々の向こうに警察の姿も見えた。
「あの、何かあったんですか」
近くにいた男性に尋ねると、彼は眉間に皺を寄せながら答える。
「亡くなったんだってさ」
男性は野次馬の先にある建物を指差す。
「あそこで一人暮らしをしていたおじいさんが亡くなったんだって。聞く話によると有名な人だったらしいよ。こんなに野次馬が集まるんだからね。けど俺は知らないなあ。知る人ぞ知るって感じらしい」
「そうですか」
有名人ならば明日の新聞におそらく載るだろう。今ここに突っ込んでいく必要はない。私は袋を抱え直して人混みを離れる。
そして、見知らぬおじいさんの冥福を祈りつつ、クーヘンを買ってから事務所兼住居へ帰った。
○
朝、ポストに放り込まれた新聞を見て私は驚愕した。おじいさんのことについて一面トップで報じられているではないか。
『錬金術師 不老不死の研究を続けるも成果表れず死去』
『自宅から怪しげな遺言書見付かる』
新聞をテーブルに放ると、ベルも一面を見て目を丸くした。
「え、これ近所だね」
「そう。昨日買い物行った時に野次馬いっぱいいたよ」
「面白そうな匂いがするじゃないか、どうして様子を見てこなかったんだよう」
「早く戻らないとベルが五月蠅いから」
「むう」
ベルは不服そうに膨れながらも、紙面を眺めて「錬金術師か……」とぶつぶつ呟いている。興味でもあるのかな。
それにしても、今の時代に錬金術師なんて珍しい。錬金術など過去の産物であるのに、これほどまで大々的に報じられているということは本当に金を作っていたのだろうか。可能なのかな、そんなこと。不老不死の研究をしていたと新聞にあるから、そこに注目が集まっていたということか。
朝ご飯の食器を洗っていると、後ろでベルがうんうん唸っているのが聞こえてきた。まさか事件? この錬金術師が死んだのは実は殺人事件で、探偵としての勘が働いているのか。
なんてことを考えていると玄関のドアが強く叩かれた。
「リゼ、お客さんだ。依頼かな」
「どうせ水道料金の徴収とかそういうのだよ」
しかし、ドアを開けた私の前に現れたのは水道局の職員ではなかった。
探偵事務所歯車堂を訪れたのは三人の男だった。
事務所の応接室へ通し、お茶を出すと三人は揃ってありがとうと言った。
一人目は新聞記者。錬金術師の遺言書について調べていて、私達にそれを手伝ってほしいという。
二人目は役場の職員。錬金術師の遺産があるのならば確認が必要だから、遺産の隠し場所を私達に見付けてほしいという。
三人目は錬金術師。死んだ錬金術師の弟子で、遺言書に疑問があるから私達に調べてほしいという。
ベルは部屋で一番高い椅子にふんぞり返って座っている。三人の依頼人は初めベルが探偵だと聞いて驚いていた。それもそうだろう。こんな十代の小柄な男の子が探偵だなんて。しかも助手が同じくらいの歳の女の子、というか私だと言ったら、彼らの驚きは二倍になった。
「とりあえず遺言書を見せてもらえますか」
弟子がジャケットのポケットから封筒を出す。ベルに差し出したので、私はベルの後ろからそれを覗き込む。
『宝は隠し場所 隠し場所を示すのは鍵 鍵は作ったもの』
何だこれは。全然分からない。暗号だろうか。
さすがのベルも頭を抱えている。
「お三方の依頼、結局はみんな錬金術師の遺産を探しているんですよね。纏めて受けちゃいますよ。報酬は三人からそれぞれ貰いますけどね」
……そんなこと言っちゃって大丈夫?
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