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「お帰り。リーゼロッテ」  アパートに着くと階段の上から声をかけられた。もう具合はいいのだろうか。  ベルはとととっ、と軽快に階段を降りてくる。 「調査は進んだのかな」 「一応」  それはよかった。と言うと、ベルはとんとん階段を昇っていく。 「リゼ、ちょっといいかな」 「何」  後を追って私も階段を昇る。ぎしぎしという嫌な音が足元から響く。閉じられたお向かいさんのドアの前にベルは立っていて、眼鏡の奥の目はドアを真っ直ぐに見つめていた。私が階段を昇り切ったのを確認すると、ゆっくりとドアを指し示す。  怯えているような、それでいて冷たいような、作り物みたいな視線が私に向けられた。 「リゼ、開けて」 「私が? だってここって開かずの間みたいなものなんじゃ」 「開けてみてよ」  ベルが熱心に言ってくるので、私は恐る恐る手を伸ばした。どうしていきなりそんなことを言い出すのだろう。 「……あれ? 開いた。すごいベル。どうして開くって分かっ……」  ベルはとても怖い顔で私を見ていた。私は女の子だし、特別身長が高いわけでもない。けれど、ベルの方が身長が低いから軽く見上げる形になる。下から上目遣いに睨まれると怖いよ。  手にした研究ファイルをぱたぱたと動かして、ベルは開いたドアを見る。 「研究ファイルを解読した。分かったよ。書いてあったこと全部」 「さすがベル、あったまいいー」  差し込む夕日にベルの眼鏡が怪しく煌めく。 「リゼ。君が作られた者だね」  ……え?  時間が止まったかのようだった。何を言われたのだろう。言われたことを聞き取ろうとした。そして、聞き取れたことを理解しようとした。理解、できなかった。  実際はほんの少しの時間だったのだろう。けれど、私が声を発するまでに要した時間は酷く長く感じられた。 「ちょっと待ってベル、突然何を言い出すの」 「君が、錬金術師ルーカス・クリューガーの遺した鍵なんだ」 「意味が分からないよ。私、人間だよ?」 「じゃあ、何でこのドアを開けることができたの」 「何でって」  ベルはドアにかけられた錠前を指差す。それはよく見る番号式南京錠だった。 「どうしてこの鍵の番号を知っていたの」 「それは」  完全に無意識だった。こんな鍵が付いていたなんて今気が付いた。 「書かれていた座標の位置からルーカスの遺産のありかがここだって分かったんだ。それと、これ」  ベルがファイルを開いて資料を私に見せてくれた。そこには『実験体:E‐06 リーゼロッテ 食物を運動エネルギーに変換する機関を応用』と言う文字と、少女のスケッチが描かれていた。その女の子の顔はいつも鏡に映っている私の顔とそっくりだ。 「嘘でしょ……」 「君の頭の中に錬金術師による行動規定(プログラミング)が残っていたんだよ」 「そんなの、こんな、まぐれかもしれないでしょ」 「まぐれじゃないよ」  ベルの表情は冷たい。 「研究室に行った時、君、その日記を見付けたよね。でも、どうやって番号式南京錠のかかっていた引き出しを開けたの」 「え」 「いつも階段を昇り降りしていて変だなって思ったことなかった? 僕が歩いてもどうにもならないけれど、君が歩くと軋むよね」 「それはベルが小柄だから」 「大家さんが歩いても軋まないのにかい」 「そうなの……?」  あの大家さんは女の人にしては身長もあるし恰幅もいいから、かなり体重はあるはずだ。目分量で考えるとどうやったって私の方が軽いはず。 「機械仕掛けの君の体は見た目よりも重いんだよ。僕達はついつい人造人間に気を取られてしまっていたけれど、大事なのは機械人形だったんだ。君がルーカスの遺したオートマトンだ。さあ、遺産を」  促されて、私は部屋の中に入る。そこは研究室と同じような、様々な実験器具の並ぶ部屋だった。奥にもう一つドアが見える。歯車や鎖が埋め込まれた珍妙な細工が張り巡らされている不気味なドアだ。 「きっとあの向こうだね。リゼ、覚悟を決めて。君は機械人形だ」  嫌だ。認めたくない。私は人間だ。どうか、さっきの番号式南京錠がまぐれでありますように。  私はドアノブに手を伸ばす。けれど、びくともしなかった。やはりまぐれだったのだ。……まぐれ、なのだろうか。 「開かないよ」 「おかしいな。僕の導いた結果では、これで開くはず」  ベルは資料を捲って捲って、捲って、最後の紙を指で撫でる。 「これ以上は、何も……」 「ベル、隅っこになんか書いてある」 「ん。本当だ。でも、半分に割れていて読めないな」  ちょっと待てよ。  私は日記を開く。最後の記述があるページ、そこには中途半端な文字のような何かがある。ベルの持っている資料を重ねてみると、切れ目がぴったり合った。 「『愛しい我が子よ、その頭脳で私の宝に辿り着け。君の道は大切な相棒が開いてくれるから』……。リゼ、日記を僕にも見せてくれないか」  私が答える間もなくベルは奪い取るようにして日記を読み始めた。読めているのだろうか、という速さでページをどんどん捲っていく。 「なるほど。つまり、ルーカスは人造人間を作って、プレゼント……相棒として機械人形をその子に与えた。道を開くのは機械人形で、宝を手に入れるには人造人間が必要なのか。……んん? 機械人形がリゼなんだったら、人造人間はどこに?」 「ベル。その子ね、預けられていた施設は私達のいたところなの」 「へえ、そうなのか」 「三年前に出て行ったって。十五になったから。いつも一緒にいた子を連れて」  ベルの顔が青くなる。眼鏡の奥の目が動揺して震えていて、困ったように私を見上げている。  私達はとんでもない答えを見つけてしまったのかもしれない。 「書いてあったことは分かるでしょ。小柄で、目が悪いって」 「導き出される答えは……。いや、嘘だ、そんなわけ」 「ベルがホムンクルスだよ。他に考えられない。私が調べて考えた内容は、ベルが人造人間だってことなんだ。ベルが言うように私が機械人形なら、もう、間違いないよ」 「ああ、僕の頭もその答えに辿り着いてしまった。けれど、僕は自分が人間であると言うことを知っている。時には僕にだって間違いはあるというわけで、今回の件は調査し直して……」  ベルの手を掴み、ドアノブを握らせる。 「何をっ」  力一杯ベルの手ごとノブを捻ると、内部から針が出て来てベルの指先を傷付けた。滲み出て来た血がノブに吸い込まれ、施されていた歯車が勢いよく回り出す。鎖が蠢き、部屋中に駆動音が鳴り響く。  そうして、ちいさく「かちゃり」という音が聞こえた。
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