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 「仕事はショックに対する最良の薬である」と書いたのは、アーサー・C・クラークだっただろうか。まさにその通りだと思う。離婚してからの私は、私のアイデンティティであるピアノ教師の仕事に明け暮れた。  私に最初にピアノを教えたのは母だった。そもそも、ここでピアノ教室を最初に開いたのは母だったのだ。私はそれを引き継いだ二代目、と言えるのかもしれない。  そして父は高校の国語の教師だった。二人の教育者の間に産まれた私は、ピアノのそれはともかく、人に物を教える才能には恵まれていたらしい。自慢じゃないが私の代になってから評判もぐんと上がったし、生徒数も増えた。おかげで自宅を改築し、7型のグランドピアノを一括で購入して置けるくらいにまでになっている。  だけど。  私の代になってからこれまでの十八年間、通算で二百人ほど教えてきたが、世界に通用するような才能を持った生徒に出会うことはなかった。たった一人の例外を除いて。  高科(たかしな) 瑞貴(みずき)
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