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 消毒液の匂いが立ち込める中、啓介は痛ましい思いでガラスケースの中の晴子を見ていた。晴子はケースの中で涙を溜めて啓介を見ている。 「全くお気の毒ですが、この伝染病にかかった患者はこうしてガラスに閉じこめて隔離するしかないのです。旦那様とお子様に罹患していなかったのがせめてもの救いです。準備ができ次第奥様は隔離施設に移動します。奥様に声をかけてあげて下さい。ただガラスケースには絶対に手を触れないで下さい」  そうガラスケースの中の妻の目の前で救急隊の隊員の説明を聞いて啓介は頭を抱えた。まさか妻までもがこんなことになるとは。世界がこんな事態になるなんて半年前だったら考えられない事だった。  この新型の伝染病の第一報がニュースで流れたのは約半年前の事である。 『某国で発生したこの伝染病は驚異的な速度で広がっている。この伝染病の感染力は非常に強く、いったんこの伝染病にかかると、肺を壊され一週間もしないうちに死亡する』とテレビで伝染病のニュースが伝えられた時、啓介と晴子は他の全ての日本人と同じように、外国は大変だと特に気にもせずいつも通りの生活を続けていた。  そしてそれから三ヶ月経ち日本でも感染者が激増し始めてから、みなと同じように自分の身の回りが心配になり、ネット通販などでマスクや消毒液などを買い溜めしても、彼らは自分達の周りには伝染病にかかった人間はいないし、これだけ消毒に気を付けていれば自分達は大丈夫だと信じていた。  しかしそれから一ヶ月経った二ヶ月前である。とうとう伝染病が啓介の勤める会社のビルで発生したのである。どうやら罹患したのは12階にある部署のものらしい。会社は即日休業を決め、ビルに就業している社員は全員自宅待機になった。啓介はこの突然の事態に動揺したが、彼の勤めている部署が6階である事に気づいた。このビルのエレベーターは1〜10階行きと11〜20階行きとで分かれている。だから自分が罹患する確率はさほど多くない。啓介はそう考えひとまず安心して自宅へ帰ったのである。
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