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序
中学三年は、面白くない。なにしろ受験が控えているから。
今日も試験を前提とした授業ばかり。まだ四月なのに。
早く馬術部に行きたいのに、チャイムが鳴った後まで授業が延びた。
(馬術部の活動、あともう少しなのに)
放課後は貴重なのだ。
外は晴天。葉桜になりかけた桜が舞っている。
かきいん。グラウンドでは野球部が活動をしている。ブラスの練習も聞こえた。
**
「一年のデビュー戦、もうじきだね」
二年生が角馬場にバーを並べているのを見て、はなちゃんが言った。
わたしたちはまだ制服だけど、下級生は着替えている。二年生は馬場の整備をしていた。
五月に小さな大会がある。一年生はそこでジムカーナに参加するのだ。それがデビュー戦となる。
一年生は馬房から連れてきた馬を洗い場に繋ぎ、馬装しようとして、悪戦苦闘している。
「ねえちょっとお願いぃ」
「うわっ、蹴った」
どすんと音がした。
足癖の悪いレッドウインドが洗い場の壁を蹴ったらしい。
幸い、馬の後ろに回っている一年はいないようだった。
「無理しないように」
一年生たちに聞こえるように叫んだ。
四人いる一年生は、一斉にこちらを振り向いた。その時、馬がぶるぶると首を振り回し、手綱を持っていた女子の手を振りほどいた。
「やだっ」
手綱が振り払われたことに気づいた女子は悲鳴をあげた。そうしているうちに、レッドウインドはあっという間に洗い場から飛び出してしまった。
「きゃああー」
と、一年生女子は金切り声をあげ、
「うわっ、まてっ」
と、一年生男子が馬を追って走り出した。
馬は金切り声や追われる気配に驚いて、本気で走り出した。
洗い場から角馬場まで僅かな距離だ。矢のように馬は走る。レッドウインドの赤いたてがみは炎のようだ。
土は乾いており、もうもうと煙が立った。
馬の走る音に馬場の二年生も気づいた。五人いる二年生は、呆然として突進してくる馬を見つめた。
「ああー」
「ったくもう」
わたしとはなちゃんは溜息をついた。
前も脱走事件があったが、その時は大人しい馬で、なんとか丸馬場に追い込むことに成功した。
しかし今は、元気の良いレッドウインドだ。しかも、かなり興奮している。
「角馬場に追い込むかー」
「それしかないねー」
はなちゃんとわたしは馬場の柵をはずした。馬を馬場の中に誘い込むことができれば、校舎のほうに走って行ったり、学校から出たりする事態は避けられる。
何年か前、うちの馬が逃走して、車道を逆走し、町の皆さんに多大な迷惑をかけた。テレビや新聞の記者がきて、逃がした部員や顧問の先生が揃って頭を下げた。「馬に逃げられ、んまぁ大変」なんて呑気な見出しで新聞に載り、馬術部の恥として未だに語り継がれている。
(んまぁ大変)
嫌だ。新聞に載るなんて。絶対に阻止しなければ。
カバンと着替えの入ったナップザックを放り出し、わたしたちは動いた。
はなちゃんが素早く馬場の柵を外している。セーラー服の襟がひらひらと風に泳ぎ、激しく動くとエリマキトカゲみたいに立つ。
今日は風が強い。ばさばさと馬場の周りの木が音を立てるのも、まずかった。
「ほー、レッド、ほー」
馬をなだめるべく声を掛けながら、大股で歩いた。今、馬は目を吊り上げて、馬場の周辺をぐるぐる走り回っている。多分、ちょっとの刺激で別の方角に走り出してしまう。校庭に飛び出し、野球部の練習の中に突っ込むか、ランニングしている運動部の中に飛び込むか――いずれにしろ、事故につながりかねない。
(頼む、うまくいって)
レッドウインドが馬場の柵に沿って、こちらに突っ込んで来る。
よし、良い。はなちゃんが柵を外しているところにもうすぐ差し掛かる。わたしは馬の前にぱっと土を投げた。
目の前に異物を放り込まれ、馬はざざっと激しい音と土煙を立ててストップした。そのまま向きをかえようとするところを狙って、馬の尻めがけて土を投げた。
きゃあっと一年が金切り声をあげる。その声は駄目だ、大会に出る前によく教えておかなければ。
土を浴びて馬は大きく足を蹴り上げた。ばっと激しく土の嵐が起こった。土の礫がわたしの上に降りかかった。
馬が蹴っているところを狙って、また土の塊を投げつける。これで馬を馬場の中に導くことができれば。
(うまくいく)
狙いが決まった。
馬は鼻先を馬場の方に向けた。はなちゃんが柵を外した方角に踏み込んだ時だった。
ばさあああああ。
突風が吹いた。馬場の土は大きく巻き上がった。木々は枝を揺らし、花びらや葉っぱがばらばらと散った。
どごん、と、厩舎のトタン屋根が音を立て、馬場の障害バーがばたんと一本、外れた。
レッドウインドが跳ね上がり、いきなり方向を変えた。まずいことに、校庭や校舎のある方角だった。
だめ、前に回ってー。
はなちゃんが叫んだ。二年生が必死に走ってレッドウインドの前方に回り込もうとしたが、遅い。
どっ、どっ、どっ。
馬は飛ぶように走っている。赤い風が駆けている。
ファイット、ファイット。
ピッ、ピッ。
運動部のランニングの声が近い。木々の間から、赤いジャージが見え隠れしている。
このままでは興奮した馬がランニングの列に突っ込んでしまう。
「だめーっ、そこ、逃げて―」
と、二年生は口々に叫んだ。
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