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「楓子(かのこ)、遅刻するわよ」
「はーい!」
リビングから母が呼んでいる。急いで制服に袖を通す。こういう時に限ってボタンがスムーズに引っかかってくれない。
「ご飯は?」
「もう時間ないよー」
顔の前で手を合わせてごめんなさいのポーズをする。仕方ないわね、そう言って母はお弁当を渡して来た。
「行ってきます!」
「お兄ちゃんに挨拶しなさいよ」
玄関に向かおうとしていた体の向きを変えて、私は床に置かれた座布団の上に座った。兄ちゃんの笑った写真と家族の写真が花に囲まれて並んでいる。その隣には大きな白い箱。
「行ってきます」
手を合わせて、目を閉じて。ここに居る兄ちゃんに挨拶をする。
そして、目を開けたのと同時に走り出した。
「行ってらっしゃい」
玄関のドアを開け、腕に巻いた時計を見る。電車が発車するまであと五分。家から駅までは走ればギリギリ五分くらいの距離。
『どうせ間に合わないからゆっくり行けよー』
頭上からそんな暢気な声が聞こえてくる。
「誰のせいで遅刻ギリギリになったと思ってるのよ!」
私は暢気な声の主を睨みつける。
『兄ちゃんが死んだから……?』
そうだ、兄ちゃんが死ななければ。手を合わせる時間が駅に向かう時間になっていただろう。
「違うよ! 兄ちゃんが怖い話するからじゃん!」
私は早く眠りにつきたかったのに、幽霊のお友達に聞いたとかいう恐怖体験を聞かされて寝坊したのだ。
「こうして毎日話してるからあそこで行ってきますっていう必要もないのにー」
赤信号に止められて私は手を膝についた。今まで遅刻なんてしたことないのに。
「兄ちゃんが思ってるより、私、ちゃんと生きていけるよ」
そう言って兄ちゃんを見ると、悲しそうな顔をしていた。
引っ込み思案でいつも兄の後ろについていた私。そんな私が心配で、私にだけ見えるようになった兄。
そんな兄が死んで明日で四十九日が経つ。
『それでも兄ちゃんは心配だ』
四十九日が来たら、兄ちゃんは天国に行ってしまう。未練があれば地縛霊になる。このままだと。兄ちゃんは私のせいで天国に行けなくなってしまうかもしれない。
『今日は遅刻確定だしな』
「だからそれは兄ちゃんのせいだってば!」
私が大きな声で言ったせいで、同じように信号を待っていたおばあさんが不審そうにこちらを見た。
『あともうちょっと時間をくれたら生き返れそうな気がしたんだけどなぁ』
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