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++ 「ただいま」  声に出して言いながら鍵を開けた部屋は暗い。ダチくんは出かけて帰っていないということだ。  テーブルの上に冷凍食品が入った荷物を置きながら、小さく溜息が出た。 「サーティオーバー」  意味は違うけれど、そう言った厚木さんの声だけが耳の中で反復する。  あのあと、厚木さんと課長は慌ててオフィスを出て行った。  電話を切ってすぐに 「山下が交通事故にあった。救急車で病院に向かってる。大丈夫、命に別状はないからアミちゃんは帰って」  そう言ってくれた。  でも私の心の中では、もしかしたら山下くんは慌てていたのかもしれないという思いが責任を感じさせる。  私のせいではないけれど、そこに私が存在していたせいではある気がした。もし2課の営業庶務が私でなければ。  人の運命なんて出逢った人間で変わると思うから。  山下くんは私の三歳年下のダチくんより年下。そう思ってまた少し溜息が出てしまった。  サーティオーバー、私はもうすぐ30歳になる。  買ってきた冷凍ピラフを電子レンジに入れる。  古い電子レンジのウィーンという音を聞きながら、ちぎったレタスを二つのサラダボールに盛る。一皿にラップをかけて冷蔵庫に入れた。最近、毎日している作業だ。  ここのところ、ダチくんは私が帰る時間に家にいない。  ダチくんが会社を辞めてすぐの頃は家事を手伝ってくれたけれど、失業保険がおりだしてからは毎日どこかに出かけている。  古いレンジの中でお皿が回っている。最近の電子レンジはお皿なんか回らない。これは私が一人暮らしを始めたときに買ったものだから、もう本当に高齢レンジ。 「俺が買うよ」、この古い電子レンジを見てダチくんがそう言ったのは、彼がこの部屋に帰ってくるようになってすぐだ。あの頃はダチくんもサラリーマンだった。  チンという音に我に返る。冷蔵庫から缶ビールを出したとき、ダチくん用にちぎって盛ったレタスが見えた。 「いただきます」  そう言ってスプーンを持った途端、スマホが鳴る。 「はい」 「山下です」  気弱そうな声がスマホの向こうから聞こえた。 「山下くん!大丈夫なの?」  咄嗟に声が大きくなる。 「はい。すいませんでした。経費精算の件、厚木さんに叱られました」  消沈した声のトーンに厚木さんがしっかり注意してくれたことがわかる。 「『迷惑も心配もかけたんだから電話しろ』って」  相変わらず弱弱しい声。 「もういいよ。ただ経費出たら毎日精算してね、溜めずに」  はいすいませんという蚊の鳴くような返事が聞こえる。 「でも大丈夫?今月 自己啓発の資料購入してるでしょ?お金ないんじゃない?」  私の質問に 「購入してました。でも厚木さんが助けてくれました。精算は課長が特例で経理課長に直談判してくれるって」 「そう、よかったね。もう帰ってるの?」 「いえ、1週間入院です」  結構、重症だ。 「そうなの、お大事に」  ありがとうございますと言って電話は切れた。  交通事故・・・ダチくんと半同棲のような今の生活を始めた頃はそんな心配もしていた。でも彼が会社を辞めてほとんど部屋にいるようになって、失業保険が出始めて遅く帰ってくるようになってからはそんな心配もしなくなっていたことに改めて気づく。  私が寝てからいつの間にか帰ってきて、いつの間にか隣で寝ている。朝、冷蔵庫を開けると昨日準備した食事は無くなっている、そんな毎日が続いている。  朝、ベッドの中から 「アミちゃん、いってらっしゃい」 って声が聞ければいいほうだ。 「交通事故・・・まさかね」  自分の呟きがはっきりと聞こえる部屋で、ついているだけのテレビから失恋ソングが聴こえてきてテレビを消した。なのに切ない男性ボーカルの声が残響にように耳に残る。涙は出ないけれど溜息が出てしまった。  ダチくんと出逢ったのは彼がまだ芸大映像科の学生の時、たまたま行った友人のライブハウスでフロアのバイトをしていたのがダチくんだった。床に置かれていた誰かの鞄に躓いて、私の頭からやきそばをぶちまけてくれた。  考えてみればドジでまぬけな出逢いだ。フロアは暗かったけれど。 「でも一生懸命だったんだ」  思い出しながら声に出していた。そうだよ、一生懸命だったんだ。謝るのも、課題の作品を作るのも、いつだってダチくんは一生懸命だった。  仕事だって最初はそうだった。好きで入った映像制作会社で制作とは関係ない部門に配属されて少しだけイジケてたけど、それでもいつか制作部門に異動するんだって頑張ってた。  ダチくんが会社を辞めたのが、半年前『それは一生ありえない』って会社の先輩に言われたからだってことも重々わかっている。だから転職してまた頑張るんだと思っていた。  でも数日前、久しぶりに一緒に食事をしていたとき、 「俺、このまま就職せずにユーチューバーになろうかな」  そう言ってテレビを見ながらカレーを食べるダチくんのことが、私は急にくすんで見えてしまった。  夜、やっぱり私が眠ってから帰ってきたダチくんが、ベッドに入ってきたのがわかった。 「おかえり」  そう言った私に少し驚いて 「ごめん、起こした?」  慌てて言ったダチくんに私は言ってしまった。 「ダチくん、別れようか」
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