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家に帰るとすぐに翔太は自分の部屋に入っていった。佳乃も自分の部屋に戻って荷詰めを始める。クローゼットの中には年季の入った洋服が幾つも並んでいる。思えばもう随分と長いこと佳乃は自分の為に服を買っていなかった。家を出ることもほとんど無いので買い足す必要もない。
それにしても、これは流石に。二十年選手のワンピースを広げながら佳乃はため息を一つ吐いた。決して貧乏なわけではない。2LDKは翔太と二人で暮らすには大きすぎる間取りだ。子どもの教育費なんかもかからないので、比較的裕福な家庭と言って差し支えないだろう。けれども無駄な物は買わない主義の翔太に合わせて佳乃も生活必需品以外は滅多に買わない為、家には新品と言えるものがほとんどない。
自分を着飾らなくなったのはいつからだろうか。新婚当初は、それでも恥じらいを持っていた気がする。スーパーに行くだけでも必要以上に化粧をしてタンスから洋服を引っ張り出していたはずだ。一体いつから。
コンコンコン、というノックで佳乃が我にかえると、ドアを開けて翔太が入ってきた。
「何?」
「いや、これ」
そう言って差し出した手には小さな箱が乗っている。
「あ、そっか」
佳乃が受け取って箱を開くと、小さな宝石のついた指輪が収められている。結婚のプロポーズをしたのは佳乃からだった。記念日にちょっといいレストランに連れていってもらった後、リビングのソファでくつろいでいる時にこの指輪を渡した。感が鈍い翔太はそれでも何の事か気付かず、佳乃が結婚という言葉を口にして初めて驚いていた。
「いいや、持ってて」
もらっといて、の方が良かったかなと言った後に思ったが訂正する程でもないだろう。
「そうか」
翔太は両手で箱を受け取って頷き、そのまま部屋を出ていった。
長らく中断していた詰め作業を再開した佳乃だったが、去り際の翔太の何ともむず痒くなるような表情を思い出し、小さくため息を吐いた。
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