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離婚届を出した次の日の朝、佳乃(よしの)はトントントンという音で目を覚ました。
んー、と大きく伸びをしながら枕元の時計を見ると8時を過ぎている。今日は土曜日。特に早くから起きる必要も無かったが、日頃の生活リズムが染みついた身体は、これ以上の惰眠は欲していないようだった。
ベッドから出てカーテンを開けると、昨日の雨が嘘のように綺麗な五月晴れの空が広がっていた。晴れやかな気持ちで部屋を出てリビングへ向かう。佳乃を眠りから現実へ連れ戻した音は、翔太が野菜を切る音だった。
「おはよう」
「ん、おはよう」
背後から声をかけると、エプロン姿の翔太は振り向いて応えた。
「珍しいね」
「まぁ、たまにはね」
そう言うと翔太はまたトントンと軽快なリズムで野菜を切り始めた。日頃の役職を取られた佳乃は、テーブルの上のリモコンを手に取りテレビをつける。
「もうすぐ出来るよ」
翔太は包丁を止めないで言った。
「うん」
手持ち無沙汰な佳乃は、ソファに座ってボーッとテレビを眺めた。自分の星座である双子座は六位にランクインしていた。ラッキーアイテムは黄色い傘だと言われて、晴れの天気を少し残念に思っていると、
「出来たよ」
とキッチンから声がした。
「へー、結構美味しいじゃん」
「ありがと」
食卓に向かい合った二人は、いつもと変わらぬ様子でいつもより少し遅めの朝食を摂る。
「ねぇ」
新聞を読み流しながら、ご飯を食べている翔太に佳乃は話しかける。
「ん?」
「なんで突然作ろうと思ったの?」
「んー、ま、たまにはね。それにお前が出ていったら、自分で作らなきゃいけなくなるんだから」
そう言うと、翔太はまた新聞を読み始めた。
それもそうか。当たり前のことを訊いたな。佳乃はサラダのきゅうりを見つめる。随分上手く切れている。一人暮らしの長かった翔太は、元々料理をする方だったのだろう。考えれば当然のことばかりなのに何かが頭の片隅で引っかかる。
読みつつ食べつつやっている翔太より先に食べ終わった佳乃が席を立つと、紙面に目を向けたまま翔太が口を開いた。
「置いといて。片付けるから」
うん、とだけ返して佳乃は自分の部屋に向かう。廊下を歩きながら考える。何だろうな。良いことなんだけど何かが違う。上手く言い表せないけれど。
部屋に戻った佳乃がずっと読もうと思っていたが積ん読になっていた小説を読み始めて数ページ程で、リビングの方から流し台の音が聞こえた。
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