初心に戻って

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「お疲れ様でしたー……お先に失礼します」 「おさきしましたぁ」 昼過ぎに業務を終えて退社する頃には、疲労が溜まっていた。 谷口さんは宴会予約係と話をして帰るようで陸が名残惜しそうだった。 仕事しながら陸の様子を伺う。 これが思っていたよりもハードで驚きを隠せない。 「はぁ……疲れた」 「悪かったな、任せちまって」 「いえ、それは全然問題ないんですけど……結構大変、ですね」 全く知らない当の本人はパンプキン人形の手に噛み付いて遊んでいる。 もうすぐ小学生って……この陸が? 想像もできない。 「パプキンまずぃ」 「バカ野郎、当たり前だろ?」 松本さんの優しい声色に俺の方がドキッとする。 年始も近く寒いこの時期にはコートを着込んでも手や顔が冷えてくる。 そっと陸に手を差し出してみれば、手袋に包まれた小さな手で握ってきた。 俺も陸の親、と考えるだけで嬉しい。 まさかゲイの俺がこんな幸せに恵まれるとは思ってもいなかった。 「陸、優斗に初めて会った頃より背が伸びたな」 「のびたっ、ボクもおとな!」 「はは、気が早えよ」 そういえば、以前より高くなっている気がする。 頼もしさも少し付いてきたのだろうか。 陸のランドセルを予約している店は職場から徒歩圏内にあり、しばらくすると見覚えのある5階建てのビルが目に入った。 「あ、あそこですよね。予約してる店」 「ああ、3階だよ」 陸の選んだランドセルは人気の新作だったようで、早い時期から予約していなければ購入できないものだと聞いていた。 そのせいか陸はいつになく嬉しそうに飛び跳ねながら俺の手を握っている。 「あんまはしゃぎすぎるなよ、滑るぞ」 「ランドセルっ、ランドセルほしい!」 エサを心待ちにしていた犬のようだ。 やっぱり嬉しいものなんだな……ランドセル。 自分自身がどうだったか、正直よく覚えていない。 確か初めの頃は、1人で背負えない俺のために克彦が手を貸してくれていたっけ。 あいつ、やっぱりちょっと良い奴なんだよな。 最悪な奴だとはいえ、単純な俺には本心から嫌うことができない。 って、もう思い出したくもないけど…… 「__お待ちしておりました。松本様ですね」 店内は壁掛けのランドセルや入学の為の衣装が飾られていて、懐かしい気分になった。 うわ……ランドセルで7万もするのか。 安い物でも4、5万は下らない。 これを兄弟分購入してくれていたのかと思うと、あんな親でも感謝せざるを得ない。 「ゆしゃんこれ、ほしい」 「ん? どれ」 「おさかな」 ランドセルに付ける親指サイズのバッジ。 陸はとにかく魚が好きだ。 イラストだから可愛いのだろう。 魚と言っても、種類がいくつかあってどれも可愛らしいデザインだ。 「どれがいいんだ?」 「このきいろいの、とサメっ」 「良いよ」 財布を取り出して店員に声をかけようとした時、「優斗」と呼ばれて立ち止まる。 「出さなくていいって」 「え、あ……」 財布をしまえと合図した松本さんにバッジを取られ、そのままレジに向かってしまった。 「……」 男前すぎるだろ…… 俺はいつから嫁になったんだ。 松本さんの器の広さに自分自身が恥ずかしくなる。 「ゆしゃんランドセルはぁ?」 「もうちょっと待ってて。陸、ちゃんと父さんにありがとうって言うんだよ?」 「ありがとっ」 「いや、俺じゃないから」 不意打ちの笑顔に心臓が鳴った。 今のは、どう解釈していいんだろうか…… ちゃんと話を聞いてなかった? それとも陸は、俺のことを。 「ほら、陸。ランドセル背負ってみ」 「きたぁぁ! ランドセル!」 精算を終え、戻ってきた松本さんからランドセルを受け取った陸は両手でそれを抱えた。 グリーンとブラウンの牛革で作られたウェスタン調のランドセルは、知的な印象を受けさせるオシャレな物だった。
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