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交差点を渡りきった所で、私を摑んでいた手が離される。
空はすっかり闇に覆われ、上弦の月が静かに見下ろしていた。辺りは仄暗く、すれ違う人の顔が、もうハッキリとは見えない。街のネオンがそこここと輝きだし、夜の顔を覗き始める。
「信号変わってんの、気付かなかった……?」
呆れ声に続き、その男性が振り返った。
白と青のチェックシャツに、タイトなジーンズ。爽やかな顔立ちながら、少し眉根を寄せた表情の彼は……同じサークルの──
「安藤……先輩……」
──ドクンッ
思うより先に、心臓が大きく跳ね上がる。
好き……とかじゃない。
安藤先輩は、確かに格好いいしイケメンだし、女子人気も高い。遊び人という噂を聞いた事もあるけれど……そんな事、私にはどうでもいい。
「……もしかして、ここ来るの初めてだったとか?」
「え……」
「スクランブル交差点。
──何となく、人の多さと流れの速さに圧倒された……って感じに見えたから」
「……」
人の波から取り残された姿は、端から見て滑稽だったに違いない。
妙に高鳴る心臓を抑え、目を伏せた。
「──何やってんだよ、将生!」
少し離れた所から、安藤先輩を呼ぶ男性の声が聞こえた。
それにつられて視線を上げれば、人混みの向こうから先輩の友人らしき男性が二人、此方を見て手を振っていた。
「先行ってるぞ!」
「……おぅ!」
人々の頭上で交わされたキャッチボールの後、先輩が私に向き直る。
「これから、さっきの奴らと飲みに行くんだけど。……果穂ちゃんは……?」
「……え」
──ドクンッ
じっと見下ろされる、綺麗な双眸。
会話の流れで聞いた……というより、普通に心配されてるような……
「……あ……、えっと……」
突然聞かれ、咄嗟に返せない。
あからさまに視線が泳いでしまい、慌てて顔を伏せる。
別に、先輩に対して後ろめたい事をしてる訳じゃないのに……
「……こ、これから、人と会う約束を……していて……」
「その待ち合わせって、どこ?」
「え……」
先輩が半歩近付き、私との距離を詰める。驚いて半歩後ずさりながら視線を上げれば、先輩の唇が綺麗な弧を描いた。
「心配だから、そこまで連れて行くよ」
「……」
親切心で言ってるんだろう。
でも……先輩とは、殆ど会話を交わした事なんてないし、正直、私とは住む世界の違う人。
……なのに、この距離感……
「………いえ、大丈夫です」
「そう?」
目を伏せながら答えれば、先輩の手がスッと伸び……私の頭を優しくポンポンとする。
「……わっ、」
驚いて、首を竦める。
何とも言えない感覚が走り──好きでもないのに、ドキッとさせられた。
竦めたままもう一度視線を上げれば、そこには優しげな笑顔を向ける先輩が。
「じゃあ、気をつけて行けよ」
言いながら私の髪を、今度はくしゃくしゃっと掻き混ぜる。
「………はい」
こうやって、先輩を好きになっていく子が増えていくんだろうな……
普段された事のない行為のせいで、不覚にもドキドキが止まらない。
去っていく先輩の背中を見送りながら、高鳴る胸を押さえた。
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