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深爪に苦しみながら蟹の身を殻から外して、母親と秋房の皿に盛り分けていく。
「ありがとう」と秋房。
「たくさん食べてね」と言う母に、笑顔を返して秋房は白い蟹の身を口に運んだ。
そして次の瞬間、うっと口を抑えてトイレに駆け込み嘔吐した。唖然とする母親をその場に残して、秋房の背を追いかける。便器を抱きかかえるようにしてしゃがみこんでしまった秋房の背を撫でる。その青ざめて冷や汗をかいた横顔すら美しいと思った。
帰る道すがら、秋房は「ごめんね」と謝った。
「泊まっていけばよかったのに。家に帰れないんだろ」
俺は物事の核心を突いたつもりで言った。そうすることで、他の連中より少し秋房に近付けるつもりでいた。一方で、この程度で俺に距離を詰められてしまう秋房でいてほしくなかった。
「心配させちゃうでしょ、草壁のお母さんを」
「別れた後に秋房がどこに行くのかの方が心配だよ──俺みたいな意気地なしばっかりじゃないんだぞ」
最後の一言は迷った挙句に付け加えた。秋房は振り返り微笑んだ。母親の前で見せたのとは全く違う種類の笑顔だった。
「草壁は優しいね。それとも私のことが好きなのかな」
俺は自分の頬が紅潮していることに気付いた。秋房は自分との距離を詰めることを他人に許さない女だが、自分は気付くと他人の懐に入り込んでいる不思議な存在だ。秋房穂乃香はそういう美少女だった。
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