第二章  「亮太」 3「母ちゃん、ごめん」

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第二章  「亮太」 3「母ちゃん、ごめん」

 数日後に問題事が起こった。  午前中の授業が終わると、亮太は杜野先生に呼び出された。 「藤崎、お昼休みに弁当を食べ終わったら、職員室へ来なさい。ちょっと訊きたいことがあるから」 「えっ、僕ですか」 「藤崎に言うてるんやから当り前や。急がへん。弁当を食べてからでええよ。あとで来なさい」  亮太は意味がわからず、曖昧(あいまい)な返事をして席に戻った。  腕を組んで考えても担任に呼び出されるようなことはなにひとつ思いあたる節などない。  翔太や伸一に訊ねられても、心配されても、どう答えていいのか、返事に困った。  亮太が、いやぁ。んんん。と首を傾げていると、美咲も心配して亮太のそばまできた。 「亮ちゃん、なんかあったんか。なにしたん」 「いや、ほんまに思いあたることがないんよ。職員室へ行って先生から話を聞くまではなんにもわからへんわ」 「ほんまか。ほんまに、ほんまやねんな」  美咲が心細い声で念を押すように訊ねる。亮太はうなずくしかできない。 「あたしもついて行こか」 「そんなんしたら先生もびっくりするわ。とにかくあとで行くわ」 「じゃあ、あとで教えてな」 「わかった」  お昼休みに味気のない弁当を食べ終え、亮太は重い足取りで職員室へ行った。  職員室に入ると、杜野先生が待ちかねたように手招きをした。 「藤崎、こっちや。こっちへ来い」  杜野先生の机の前で(たたず)んだ。 「泉先生が来るまでここで待っとけ」  亮太はびくんとした。(いずみ)先生と言えば、生活指導の先生だ。どうして生活指導の先生に呼び出されたのだろうか。頭にはなにも浮かばず、緊張と不安が体を取り巻いていく。  泉先生が扉を開けて職員室へ入ってきた。すたすたと軽快に歩いてくるが、顔つきが厳しかった。亮太は思わず足もとを見つめた。 「藤崎君、校長室に東田教頭もいるから一緒に話を聞きたい。杜野先生も同席してください」  泉先生に引き連れられ、杜野先生のあとをうつむき加減で亮太がついていく。  校長室へ入ると、東田(ひがしだ)教頭がソファーに座っていた。 「前のソファーに腰をかけなさい」  泉先生が東田教頭の横に座り、体面に杜野先生と一緒に座った。  亮太は胸が張り裂けそうになるくらいどきどきした。 「今日は、藤崎君に確認をしたいことがありましたので、こちらに来ていただきました。見当はついていますか」 「いっ、いいえ」 「そうですか。先日、近隣の方から苦情電話が入りましてね。先方が言うには、君は、夜にお母さんのお店で働いているそうですね。どうですか」  亮太は驚き顔で東田教頭の顔を見た。 「問い詰めているのではありません。事実確認をしているので正直に答えてください」 「いえ、そんなことはしていません」 「そうですか。先方の話とは食い違いますね。君がお母さんのお店で、ビールを出したり、ビールを注いだりしている。お母さんが未成年の君に夜の仕事を手伝わせている。と言ってきた人がいるのですが、それは間違いですか」  亮太には思いあたる節があった。亮太の膝がふるえた。言葉も詰まりそうで息苦しい。亮太は黙り込んだ。 「どうなんだ藤崎。教頭先生の言ってることはほんとうなのか。正直に答えなさい」  杜野先生の口調がきつくなった。 「一度だけ」 「一度だけでもダメじゃないか」 「いえ、そうじゃなくて」 「そうじゃないってどういうことだ。藤崎、はっきり言わないとわからないだろ」 「先日、伸ちゃんが家に来て、あの、同じクラスの鷺野伸一君です。それでコーラを取りに行ったとき、お客さんに冷蔵庫からついでにビールを取ってくれと言われて、持って行ったら、コップを差し出されたので」 「お前、飲んだのか」 「いえ、飲んでません。注いだだけです。それからすぐに自分の部屋に戻りました」 「そのとき、お母さんはなにをしてたんだ」 「離れた場所でお客さんの相手をしてました」 「どうしてお店になんか行ったんだ」 「あの、台所の冷蔵庫になかったからつい」  亮太の頭が自然に沈んだ。 「藤崎君、その話は本当ですね」 「はい」 「教頭先生、担任の私が弁護するようですが、その光景を見た他のお客が勘違いをしたんじゃないですかね」 「そのようですね。泉先生はどう思われますか」 「私も勘違いだと思います。ただ、人に疑われるような行為は今後気をつけてもらわないといけませんね。どうでしょ、今回は杜野先生から親御さんに事情を伝えていただいて、今後このような疑いをもたれないようにと注意をしていただくということで」 「そうですね。相手は匿名ですが、また電話が来るかもしれませんから、そのように対処しておきますか。杜野先生、ご面倒ですが、担任ということでお願いできますか」 「わかりました」  亮太は気持ちが萎縮して、体まで縮こまった。 「藤崎、もう教室に戻っていいぞ」  杜野先生に言われて、亮太はゆっくりと立ち上がった。  亮太はドアの前で一礼して校長室を出た。  亮太の足取りは重かった。まっすぐ教室へは戻りたくないような、早く翔太や伸一や美咲の顔を見て、ほっとしたいような。どちらとも判断がつかない思いが気分を重くする。それ以上に母ちゃんのことが気になって心を暗くする。心配が胸をぐるぐる巻きにして締め付ける。コーラを飲みたくてとった軽はずみな行動が、こんな大問題になるとは思いもよらなかった。お客を無視して部屋に戻れば良かった。そうすればあのお客は母ちゃんに頼んでいたかもしれない。「母ちゃん、ごめん」と亮太は心の中で謝った。    亮太が教室に戻ると、翔太、伸一、美咲が集まってきた。 「どうだった」、「なんだったんだ」、「大丈夫」と三者三様に心配して訊ねた。 「勘違いだったけど。ちょっと」と言ってから、亮太が職員室でのことを伝えた。  亮太の話が終わると、すくっと視界の外で誰かが立ち上がって教室を出て行った。 「僕のせいでごめん」  伸一がすぐに謝った。 「伸ちゃんのせいじゃないよ。僕がうかつだったから勘違いをされたんだ」 「しかし誰が亮ちゃんを陥れようとしたんだろ」 「それに自分は陰に隠れて匿名電話で密告なんて卑怯なやつだ」 「そんなのおばさんがかわいそうやんか」 「みんな心配してくれてありがとう。翔ちゃん、今日は母ちゃんのことが気になるから練習やめて早く帰るわ」 「そんなこと気にするな。今日は早く帰ってあげなよ。話もあるだろうし」 「ありがと」  亮太は感謝して席に座り、机から教科書を取り出したけれど、こんな気持ちでは授業など身に入らない。見えない犯人捜しが頭を駆け巡る。  亮太は居心地の悪い時間を過ごした。
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