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第二章 「亮太」 5「席取りしとこ」
夕食後、亮太は自分の部屋に戻って、父親のことを思い出した。
亮太は翔太の父親が話した「家族思い」の父ちゃんの姿しか知らない。
父ちゃんが若かった頃の話は、母ちゃんの同級生がお店に来たとき、思い出話に笑い転げていた姿見て、知った話にすぎない。確か、丸山しのぶさんという人だと思う。
丸山さんは隣町でスナックを営んでいる。父ちゃんの話題になるきっかけは、一つの下ネタから始まった。
「しのぶちゃん、しのぶちゃん」と名前を連発しながら、母ちゃんがしのぶさんの腕を何度も叩いて笑った。
しのぶさんは旦那さんが最近求めなくなったことを打ち明けた。
原因は浮気かと思って問い質したところ、旦那さんが真顔で怒ったらしい。その言い訳というか、説明がおもしろいとげらげら笑う。
「なんて言ったと思う」
「想像もつかんわ」
「旦那が真っ赤な顔して、『五十チンコじゃあ』って叫ぶのよ。意味がわかる。五十肩で腕が上がらなくなるの知ってるでしょ。だから五十チンコで上がらない。かたくならない。って言いたかったのよ。わたしもう唖然としちゃって、ぶううって吹き出して笑っちゃったのよ。もうおかしくて、おかしくて」
「やだあ、しのぶちゃん。やめてよそんな話。絶対、男の人は傷ついてるわよ」
「いいのよ。安心したから」
「そうかもしれないけど」
「あたし、二十歳になってすぐこの商売に入ったでしょ。旦那は十歳以上も年上だから、こっちはまだ若いつもりでも、旦那の方は老いが体に現れる年齢になったのよね。でも下の方が先とは」
「あはははっ、もうやめなさい」
「あっそうそう。まこっちゃんが若い頃、うちの店によく出入りしてたのよ」
ここから父ちゃんのエピソードが始まった。
酔っぱらってけんかをしたり、暴れたりで、若い頃の父ちゃんはむちゃくちゃだった。
でも、かわいいとこもあったと言う。
まこっちゃんが酔っぱらって、「俺が迷惑かけたか」と偉そうに言うので、「かけたおしや」としのぶさんが叱ると、しゅんとして温和しくなったと言う。そのしおらしい態度がかわいかったらしい。
ある時期、まこっちゃんが頻繁にお店に来るようになった。目当ては新しい女の子が入ったからだ。まこっちゃんが女の子に入れあげて、お店に顔を出す。
そのときについたあだ名が「夜のブラックバス」だと言う。
「今日、お店に来てね」と連絡をすれば、すぐに食いついてキャッチされる。飲んで歌って騒いでお金を使って、「今日はありがとう。また来てね」とリリースする。
釣りの入れ食い状態だったらしい。だから「夜のブラックバス、キャッチ&リリース」と言っていたのだと説明した。母ちゃんが情けない顔で下を向く。
次のエピソードは浮気がばれた話だ。
母ちゃんはなんかおかしいと感づいたらしい。しのぶさんが男の習性を見破る。
「男ってわかりやすいのよ。絶対、普段とは違う行動になるのよね」
「そうそう。一度ひっかけて、におわせてやったらね」
「都合の悪さに意味なく怒るでしょ。浮気がばれそうになると、『なにを言ってんだ。そんなことあるわけないだろ』とか言いながら、怒って外へ逃げるんだよね。子どもかって言うの。そんなんしたらばればれやんか」
しのぶさんが笑いながら自慢げに言い切った。
一度、父ちゃんの浮気がばれたらしい。
母ちゃんとしのぶさんを前にして、父ちゃんが炬燵の前で正座をした。
あのときの許し方にしのぶさんが呆れたと言う。
父ちゃんと若い女性がホテルに入って行く姿を見たと、しのぶさんが証拠をつきつけた。
「どうなの」としのぶさんがつめよった。
父ちゃんはその場で立ち上がり、わけのわからない言い訳をした。
「なに言うてんのや。あれは女性ちゃうで」
「なんや、オカマや言うんか」
父ちゃんが言い逃れできないように、しのぶさんがさらに問い詰める。
「ちゃうちゃう。あれは隣にいてた、とめさんやないか」
父ちゃんの意味不明な返答に母ちゃんが素っ頓狂な声で訊ね返した。
「隣、とめさん、って」
「ほら、前世で隣に住んでたやないか。それでな、うわ、奇遇やな。ってことになって、久しぶりに風呂でも行こか、ってなったんや。なに言うてんねん。あんとき夫婦で世話になったやないか。同じ長屋に住んでたやろ」
「まこっちゃん、言い訳もほどほどにしいや。なにが前世や。そんな言い訳」
「なんや、あんたとわたし、前世も夫婦やったんか」
「そりゃそうやがな。わしの嫁はお前しかないやろ」
「ちょっちょっ、明ちゃん。そんなんで騙されて、……納得かい。とか言って、あたしも変なツッコミを入れたわよ。なんで納得するかねえ、あんなんで」
「でも、どこかで納めないと」
「それはわかるわよ。明ちゃんががまんして家庭を守った。ってことでしょ。だからあたしもあれ以上口を挿むのをやめたのよ。でも、あとで思い出すと笑えるわよねぇ、言うに事欠いて『前世』、『とめさん』、『長屋』が出ると思わなかったわよ。江戸時代かって言うの。ほんと、男ってバカだねぇ。どういう発想してんだか」
母ちゃんとしのぶさんが大笑いをした。
しのぶさんが手を叩いて思い出したエピソードを話す。
「発想で思い出したけど、まこっちゃん、最高なのよ。よくそんなこと考えるわねって笑ったけど」
「なになに」
父ちゃんの話題になると、母ちゃんは興味津々の顔でしのぶさんに相槌を打つ。
ある日の夜、父ちゃんと同じ職場に勤める若い人がお店に来た。
「しのぶさん、誠さん、もう勘弁してほしいっすよ。俺もう恥ずかしくて恥ずかしくて、あの店、行けないっすよ」
しのぶさんが聞いた話では、父ちゃんと若い人がお昼にファミレスに入店した。お昼からは十五分先の場所で用事をすませれば、一時間で帰ってこられる予定だと言う。
ランチを食べたあと、ドリンクバーのコーヒーを飲んでいると、父ちゃんがとんでもないことを言い出した。
「これ、コップをちょっと席に置いて、あとで戻ってくるか。ドリンクバーやろ。ここはバーや。あとでまた飲めるで。秀坊、席取りしとこ」
「ダッ、ダッ、ダメッすよ。そんなの」
「なんでやねん。ドリンクバーはいくら飲んでも料金は一緒なんだろ。大丈夫だって。俺があのお姉ちゃんに訊いてやるから」
若い人がなんとか父ちゃんを説得してファミレスを出たらしい。
「いくら子供のためにお金を貯めなきゃと思っていても、ちょっと恥ずかしくないっすか。あの人の発想って、どこから湧いてくるのか、ほんと不思議っすよ。普通、席を取ってくれとは考えないっすよね。いくらバーと言っても、スナックのボトルキープじゃないんだから。あれが友達なら、『お前、イタイ人やなあ』って、ツッコミでも入れてますよ。ほんと」
「まこっちゃんは考えると一直線だからね。まぁ笑い話にしときなさい」
しのぶさんが若い人の愚痴を聞いて笑ったと言う。
「そんなことがあったの」と母ちゃんが笑った。
「笑いすぎて、お腹が痛いわ。今日はお店でまこっちゃんの話をネタにしよう」
しのぶさんがお腹をさすりながら帰った。
どの話も亮太が知らない話ばかりだ。
当事の頃なら腹立たしい話かもしれないが、過去として、第三者として視点を変えれば、笑い話になるのだろう。時間は想い出を笑いに変える力があるのかもしれない。振り返る人生を豊かにする力を持っているのかもしれない。時間の流れとはすごいと亮太は思った。
しかし、父ちゃんの若き頃のネタは下ネタになりかねない。竜ちゃんが言ってたように、大会では使えないだろう。と亮太は判断した。
だが大会以外では使える日が来るかもしれない。
亮太はネタ帳を取り出し、父ちゃんの出来事を箇条書きにして残した。
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