第二章  「亮太」 5「席取りしとこ」

1/1
前へ
/50ページ
次へ

第二章  「亮太」 5「席取りしとこ」

 夕食後、亮太は自分の部屋に戻って、父親のことを思い出した。  亮太は翔太の父親が話した「家族思い」の父ちゃんの姿しか知らない。  父ちゃんが若かった頃の話は、母ちゃんの同級生がお店に来たとき、思い出話に笑い転げていた姿見て、知った話にすぎない。確か、丸山しのぶさんという人だと思う。  丸山(まるやま)さんは隣町でスナックを営んでいる。父ちゃんの話題になるきっかけは、一つの下ネタから始まった。 「しのぶちゃん、しのぶちゃん」と名前を連発しながら、母ちゃんがしのぶさんの腕を何度も叩いて笑った。  しのぶさんは旦那さんが最近求めなくなったことを打ち明けた。  原因は浮気かと思って問い質したところ、旦那さんが真顔で怒ったらしい。その言い訳というか、説明がおもしろいとげらげら笑う。 「なんて言ったと思う」 「想像もつかんわ」 「旦那が真っ赤な顔して、『五十チンコじゃあ』って叫ぶのよ。意味がわかる。五十肩で腕が上がらなくなるの知ってるでしょ。だから五十チンコで上がらない。かたくならない。って言いたかったのよ。わたしもう唖然としちゃって、ぶううって吹き出して笑っちゃったのよ。もうおかしくて、おかしくて」 「やだあ、しのぶちゃん。やめてよそんな話。絶対、男の人は傷ついてるわよ」 「いいのよ。安心したから」 「そうかもしれないけど」 「あたし、二十歳になってすぐこの商売に入ったでしょ。旦那は十歳以上も年上だから、こっちはまだ若いつもりでも、旦那の方は老いが体に現れる年齢になったのよね。でも下の方が先とは」 「あはははっ、もうやめなさい」 「あっそうそう。まこっちゃんが若い頃、うちの店によく出入りしてたのよ」  ここから父ちゃんのエピソードが始まった。    酔っぱらってけんかをしたり、暴れたりで、若い頃の父ちゃんはむちゃくちゃだった。  でも、かわいいとこもあったと言う。  まこっちゃんが酔っぱらって、「俺が迷惑かけたか」と偉そうに言うので、「かけたおしや」としのぶさんが叱ると、しゅんとして温和しくなったと言う。そのしおらしい態度がかわいかったらしい。  ある時期、まこっちゃんが頻繁にお店に来るようになった。目当ては新しい女の子が入ったからだ。まこっちゃんが女の子に入れあげて、お店に顔を出す。  そのときについたあだ名が「夜のブラックバス」だと言う。 「今日、お店に来てね」と連絡をすれば、すぐに食いついてキャッチされる。飲んで歌って騒いでお金を使って、「今日はありがとう。また来てね」とリリースする。  釣りの入れ食い状態だったらしい。だから「夜のブラックバス、キャッチ&リリース」と言っていたのだと説明した。母ちゃんが情けない顔で下を向く。  次のエピソードは浮気がばれた話だ。  母ちゃんはなんかおかしいと感づいたらしい。しのぶさんが男の習性を見破る。 「男ってわかりやすいのよ。絶対、普段とは違う行動になるのよね」 「そうそう。一度ひっかけて、におわせてやったらね」 「都合の悪さに意味なく怒るでしょ。浮気がばれそうになると、『なにを言ってんだ。そんなことあるわけないだろ』とか言いながら、怒って外へ逃げるんだよね。子どもかって言うの。そんなんしたらばればれやんか」  しのぶさんが笑いながら自慢げに言い切った。  一度、父ちゃんの浮気がばれたらしい。  母ちゃんとしのぶさんを前にして、父ちゃんが炬燵(こたつ)の前で正座をした。  あのときの許し方にしのぶさんが呆れたと言う。  父ちゃんと若い女性がホテルに入って行く姿を見たと、しのぶさんが証拠をつきつけた。 「どうなの」としのぶさんがつめよった。  父ちゃんはその場で立ち上がり、わけのわからない言い訳をした。 「なに言うてんのや。あれは女性ちゃうで」 「なんや、オカマや言うんか」  父ちゃんが言い逃れできないように、しのぶさんがさらに問い詰める。 「ちゃうちゃう。あれは隣にいてた、とめさんやないか」  父ちゃんの意味不明な返答に母ちゃんが()頓狂(とんきょう)な声で訊ね返した。 「隣、とめさん、って」 「ほら、前世で隣に住んでたやないか。それでな、うわ、奇遇やな。ってことになって、久しぶりに風呂でも行こか、ってなったんや。なに言うてんねん。あんとき夫婦で世話になったやないか。同じ長屋に住んでたやろ」 「まこっちゃん、言い訳もほどほどにしいや。なにが前世や。そんな言い訳」 「なんや、あんたとわたし、前世も夫婦やったんか」 「そりゃそうやがな。わしの嫁はお前しかないやろ」 「ちょっちょっ、明ちゃん。そんなんで騙されて、……納得かい。とか言って、あたしも変なツッコミを入れたわよ。なんで納得するかねえ、あんなんで」 「でも、どこかで納めないと」 「それはわかるわよ。明ちゃんががまんして家庭を守った。ってことでしょ。だからあたしもあれ以上口を挿むのをやめたのよ。でも、あとで思い出すと笑えるわよねぇ、言うに事欠いて『前世』、『とめさん』、『長屋』が出ると思わなかったわよ。江戸時代かって言うの。ほんと、男ってバカだねぇ。どういう発想してんだか」  母ちゃんとしのぶさんが大笑いをした。    しのぶさんが手を叩いて思い出したエピソードを話す。 「発想で思い出したけど、まこっちゃん、最高なのよ。よくそんなこと考えるわねって笑ったけど」 「なになに」  父ちゃんの話題になると、母ちゃんは興味津々の顔でしのぶさんに相槌を打つ。  ある日の夜、父ちゃんと同じ職場に勤める若い人がお店に来た。 「しのぶさん、誠さん、もう勘弁してほしいっすよ。俺もう恥ずかしくて恥ずかしくて、あの店、行けないっすよ」  しのぶさんが聞いた話では、父ちゃんと若い人がお昼にファミレスに入店した。お昼からは十五分先の場所で用事をすませれば、一時間で帰ってこられる予定だと言う。  ランチを食べたあと、ドリンクバーのコーヒーを飲んでいると、父ちゃんがとんでもないことを言い出した。 「これ、コップをちょっと席に置いて、あとで戻ってくるか。ドリンクバーやろ。ここはバーや。あとでまた飲めるで。秀坊、席取りしとこ」 「ダッ、ダッ、ダメッすよ。そんなの」 「なんでやねん。ドリンクバーはいくら飲んでも料金は一緒なんだろ。大丈夫だって。俺があのお姉ちゃんに訊いてやるから」  若い人がなんとか父ちゃんを説得してファミレスを出たらしい。 「いくら子供のためにお金を貯めなきゃと思っていても、ちょっと恥ずかしくないっすか。あの人の発想って、どこから湧いてくるのか、ほんと不思議っすよ。普通、席を取ってくれとは考えないっすよね。いくらバーと言っても、スナックのボトルキープじゃないんだから。あれが友達なら、『お前、イタイ人やなあ』って、ツッコミでも入れてますよ。ほんと」 「まこっちゃんは考えると一直線だからね。まぁ笑い話にしときなさい」  しのぶさんが若い人の愚痴を聞いて笑ったと言う。 「そんなことがあったの」と母ちゃんが笑った。 「笑いすぎて、お腹が痛いわ。今日はお店でまこっちゃんの話をネタにしよう」  しのぶさんがお腹をさすりながら帰った。  どの話も亮太が知らない話ばかりだ。  当事の頃なら腹立たしい話かもしれないが、過去として、第三者として視点を変えれば、笑い話になるのだろう。時間は想い出を笑いに変える力があるのかもしれない。振り返る人生を豊かにする力を持っているのかもしれない。時間の流れとはすごいと亮太は思った。  しかし、父ちゃんの若き頃のネタは下ネタになりかねない。竜ちゃんが言ってたように、大会では使えないだろう。と亮太は判断した。  だが大会以外では使える日が来るかもしれない。  亮太はネタ帳を取り出し、父ちゃんの出来事を箇条書きにして残した。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

36人が本棚に入れています
本棚に追加