第三章 「美咲」 6「小さな恋を育んでって感じかな」

1/1
前へ
/50ページ
次へ

第三章 「美咲」 6「小さな恋を育んでって感じかな」

 美咲が小学校五年生になるとき、登の再就職でこの町へ引っ越してきた。  新天地で新たな生活が始まる。と言えば聞こえはいいけれど、登のリストラが原因だ。  不況が続く時代、自分のやりたいことや条件をつけて再就職先など簡単に見つけることなどできない。遠い親戚のつてでこの町の工場になんとか働き口を見つけてもらった。  登はリストラへの不満や田舎暮らしの不便さや南地方ののんびりした感覚など、都会とは違った環境に馴染めず、日々ストレスをためた。家の中で愚痴(ぐち)を言うくらいなら、まだどうにかがまんができるけど、夏頃から次第に家庭内で暴力をふるうようになった。  美咲が初めて登の暴力を観たとき、倒れた母の横で体が固まり、立ったまま涙をぽろぽろ流して泣いた。美咲には登が別人のように思えた。  秋頃になると、美咲にも危害を加えるようになった。  秋祭りの日、登が酔っぱらった勢いで荒れ出した。 「美咲、お祭りにでも行ってきなさい」と母は美咲への危険を感じて外へ逃がした。  美咲が外へ出ると、家の中が騒がしくなった。美咲は物音が聞こえてくるたびに足が竦み、びくついた。ようやく物音が聞こえなくなったとき、美咲は母から言われたとおりお祭りに行った。しかし、お金も持たずに出て来たからお店にもいけず、また友達に泣き顔を見られたくなくて、お祭りの場所から離れた暗い場所で、美咲は膝を抱えて座った。  誰かが美咲の前に立った。自分の名前を呼び、事情を訊ねる。声は幼い。大人ではない。美咲が顔をあげると、目の前に亮太が立っていた。 「どうしたん。美咲ちゃん。なんで泣いてるん。転んだん。お腹が痛いん。迷子になったん」  亮太の問いかけはどれもこれも的外れなことばかりだ。美咲は首を振るしかできない。  亮太が最後に問いかけた。 「お腹が空いたん」  美咲は面倒くさくなり顔を立てに振った。「ちょっと待っててよ」と亮太が言い残して美咲から離れて行った。待てど暮らせど亮太は戻ってこない。だからといって家に帰ることもできず、他に行く場所などない美咲はその場でずっと待った。美咲は心細くなって泣きだしそうになった。  息を切らせて亮太が戻ってきた。両手にはなにかを持っている。  美咲は一瞬呆れた顔をした。人を待たせておいて自分だけお祭りに行ってくるとは、どんな神経をしているんだ。美咲は地面に視線を向けた。 「美咲ちゃん、遅くなってごめんよ。あんな、家に帰って母ちゃんにお小遣いもらって、これ買ってきてん。お腹が空いてるんやろ。たこ焼きとリンゴ飴を買ってきたから、これ食べなぁよ。でもふうふうして食べな、あっついでぇ」  なんとも呑気な口調で言って、両手を差し出した。美咲の目から涙が溢れ出した。 「美咲ちゃん、これ嫌いやったんか」  美咲は顔を左右に振りながら泣き続けた。亮太は突然美咲が泣きだしたのでおろおろした。 「お家まで連れて行ってあげよか」  美咲はさらに強く顔を振った。 「これ、ほんまにおいしいで。僕がいてたら食べにくいんか。ほな僕どっかへ行くわ。ここに置いとくで」  亮太が離れようとしたとき、美咲が亮太に話しかけた。 「そんなんちゃう。なんで女の子が泣いてるとき一人にするんよ。寂しかってんで。怖かってんで。女の子が泣いてるときは、男はそばにいてるもんやろ。寂しいときは離れたらあかんやろ。アホ」 「ごめんな、ごめんな。僕、そんなん知らんかってん。次から美咲ちゃんが泣いてるときや寂しいときはちゃんとそばにいてるから。許してな」  美咲がこくりとうなずいて泣きやんだ。  亮太は美咲の前に置いた袋からたこ焼きを取り出した。袋から湯気が飛び出してきた。「これ、食べ。おいしいで」と亮太は顔中に笑みを作った。美咲はほっとした。気持ちが和らいだ。口元がほころんだ。人の心を癒す、不思議な笑顔だ。  爪楊枝が二本あったので、二人で半分ずつ食べた。はふはふしながら食べた。たこ焼きの熱がお腹へ入っていく。体まで温まる気がした。「なっ、おいしいやろ」と何度も言いながら亮太が笑顔を向ける。その度に美咲はうなずいた。 「あっ、飲み物ないわ。でももうお金もないから買えやんわ。あっそうや。神社に行ったら水が飲めるわ。あとで行こか」  美咲の心がゆるんだ。亮太はせっかくもらったお小遣いを自分のために全部使ってくれたのだ。泣いてるあたしをほっておけず、あたしのためにしてくれた。それにまだあたしから離れずに、ずっと一緒にそばにいてくれる。美咲は亮太に訊ねた。 「藤崎君、あたしのこと好きか」 「うん。好きや」 「どんなとこが好き」 「べっぴんさんやし」 「ほかには」 「かけっこ、はやいし」 「えっ、それから」  「それから……、元気や」  一つ目はよかったのに、二つ目からちょっとずれてる気がする。おまけに三つ目の理由になると、「お前は、先生か」と言いたくなってくる。もっと女の子を喜ばせるようなことを言って欲しい。美咲はもう一度訊ねた。 「ほかにはないのん」 「うううん、また考えとくわ」 「宿題か」  美咲は思わず大きな声を出した。声を出すタイミングがツッコミのようで、亮太が笑った。亮太が美咲を見て返事をした。 「うん。宿題や」  そんな問題ちゃうやろ。と美咲は思いつつ、亮太に伝えた。 「わかった。ほな、あんたとつき合ってあげる。あんたの彼女になってあげるわ。そのかわりあたしのこと、大事にするんやで。さっきのこと忘れたらあかんよ。約束やで」 「うん。約束や。ずっとそばにいてるさかい。大事にする」  美咲と亮太が笑顔で見つめ合った。    あれ以来、亮太はあたしのそばにいてる。あんな幼い頃の約束をバカ正直にずっと守っている。力強さではものたりないことが多いけど、大きな優しさを持った男だ。美咲の心の部分を包んでくれるような優しさを持った男だ。誰にも亮太の良さはわからないだろう。他人の理解ではない、自分が理解をしていればいいことだ。自分の気持ちや思いだけで判断すればいいことだ。亮太といると自分が笑顔でいられる。それが一番大事で、とてもいいことだと美咲は思う。  美咲が想い出話を終えると、舞が思いついたように言い並べた。 「亮太君 なかなかやるね いい男」 「初恋の 拙い心 目に涙」 「幼き日 思いやる人 永遠の恋」  舞がどうっと美咲に顔を向ける。 「それ、俳句、川柳、短歌、なにになるん」 「わからん。今、ちょっと思いついただけ。小さな恋を育んでって感じかな」  舞が笑いでごまかした。 「でも、美咲ちゃんにとっては最高の彼氏やと思う」  紗英がうらやましそうに感想を言った。 「伝わりにくいかもしれへんけど、亮太は外見で人を見てないし、判断もしいへん。なんや心の深い部分で人を見てる。亮太は愛情ってものを知ってる男なんよ」 「あかん。今日は美咲ちゃんののろけ話を聞きに来たようなもんやわ。ここで一つ『最愛の 男を語り くびったけ』ってどう」 「それ、ほんまに俳句か、短歌か、川柳になってるんか、なんや、もどきみたいやな」 「俳句は五七五で、季語がどこかに入るけど、季語がないのは、もどきって感じ」  美咲と紗英が笑い出した。  夜の(とばり)が開けつつある頃、三人はやっと眠りについた。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

36人が本棚に入れています
本棚に追加