第四章 「翔太」 3「夢だってあるんだ」

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第四章 「翔太」 3「夢だってあるんだ」

 翔太は自分の部屋でいらいらした。帰るときは亮太の行動に少なからず傷ついた。けれど、家に帰って思い返せば、段々腹が立ってきた。亮太とは中学からのつき合いだ。もう六年近くもつき合っている。それも他の同級生とは違い、けっこう密度の濃いつき合いだと思う。時間で比較をしても、親以上に長い時間を(つい)やしてつき合っていると言っても過言ではない。家族以上に長くつき合っているのに、今日ほど他人だと感じたことはなかった。意外とあっさりした関係に思えたのだ。いとも簡単に亮太の背中が小さくなった。まったく後ろ髪を引かれるでもなく、一度も振り返ることもなく、亮太は俺から離れて遠ざかった。「まじかよ」と伸一が俺に言った。俺が亮太に言ってやりたかった。大声で叫んでやりたかった。「亮太、まじかよ」って。こんなものかよ。俺達はこんなもんだったのか。ふざけんなよ。バカヤロ。俺はなにを期待してたんだ。とんだピエロじゃねえか。 「くそっ、バカにすんな」  翔太は叫んで、教科書を床にたたきつけた。 「翔太、なにやってんの。さっきから何度も呼んでいるのに大きな音をさせて。女の子から電話がかかってきてるから早くでなさい」  母に叱られて、我を取り戻したつもりだが、まだ怒りがおさまらなかった。  受話器を乱暴に掴んで電話に出た。 「あの、窪塚君、私、芝山(しばやま)恵美(えみ)と言います。あの、生活科の芝山です。知ってますか」 「いえ、知りません」  翔太はいらだちを隠しきれず、ぶっきらぼうに答えた。 「突然、電話をしてすみません。あの、今いいですか」 「今、取り込み中だから忙しいんだ。なにかあるなら早く言って。で、なに」  翔太があまりにも不機嫌な声を出したので、相手がおどおどした声に変わった。 「あっ、あの、その、実は私」 「今取り込み中だからさ、早く言ってくれる。用件はなに」 「ごめんなさい。私とつき合っ」  相手が言い終わらないうちに翔太が断った。 「俺、誰ともつき合う気がないから。悪いけど」  電話が切れた。発信音が耳に響く。翔太も受話器を置いた。  翔太は部屋に戻ってベッドで寝そべった。静かに呼吸をしていると少しずつ気持ちが落ちついてきた。今になって翔太はすげなく断った態度を反省した。あの女の子はなにも悪いことをしていない。なのに自分の癇癪に八つ当たりをされた。それも告白しようとしてたのに。芝山とか言ってたな。どんな女の子なのか、覚えがないけど、誰かに電話番号を訊いて、謝ろうか。でもつき合う気もないのに、わざわざ断るためにこっちから電話をするのも悪い気がする。変な期待を持たせるとかえって傷つけてしまうかもしれない。やめよう。先のない話はやめよう。その方がいい。翔太は結論を出すと、精神的な疲れからそのまま熟睡した。    翔太は目を(こす)りながら目を覚ました。外は真っ暗だ。時計を見ると七時半を過ぎている。台所へ行って簡単に食事をすませた。 「ほんとにもう。勉強してると思ったら寝てるんだから。食べたらちゃんと勉強しなさいよ。お父さんがもうすぐ帰ってくるんだから。いいわね。また叱られてもしらないわよ。翔太、わかったの」  翔太は母の小言にうんざりして台所を出た。電話のベルが聞えた。母は食器の後片付けをしている。翔太が電話に出た。 「翔太か、お前、どういうつもりだよ」  伸一の声がした。翔太は返事をしなかった。 「亮ちゃん、泣いたんだぞ。それもお前を責めるんじゃなくて、僕が悪いと泣いたんだぞ。自分のことばかり考えてないで、ちょっとは亮ちゃんの気持ちも考えろよ。おい、翔太、聞いてるのかよ」 「聞いてるけど」 「だったら亮ちゃんにもっと優しくしてやれよ。なんだよあの健太ってやつ。どこの馬の骨ともわからないやつにいいように言わすなよ。お前、最近変だぞ。どうしたんだよ。なぁ、聞いてるのかよ。亮ちゃんに謝れよ」 「うるせぇな。ほんとにどいつもこいつも好き勝手に言いやがって。お前らだって、俺の気持ちを考えたことがあるのかよ。お前ら、俺のなにを知ってるって言うんだ。俺ばっかり責めるなよ。俺だって考えてるんだ。ふざけんな」  翔太は伸一の返答も聞かずに電話を叩ききった。 「くそっ」と言って振り返ると、真後ろに父親が立っていた。 「なにを電話でけんかをしてるんだ。非常識だろ。バカもん」  翔太は平手で頬を叩かれた。身構えていなかっただけに衝撃が強く、翔太は廊下に倒れた。 「なにすんだよ」 「なにすんだじゃない。お前はなにを考えてるんだ。もっと真面目に進路を考えろ。毎日毎日ぶらぶらしてるんじゃない」 「俺だって考えてるよ。夢だってあるんだ。父さんの価値観を押しつけるなよ」 「なんだその口癖は。それが親に対する口のきき方か」 「俺だって夢くらいあるって言ってるだけだろ」 「お前の夢、じゃあ、お前の夢はなんだ。今ここで話してみろ」  翔太は唇を閉じて奥歯を()()めた。 「さあ、早く言ってみろ。お前は将来をどう考えてる」  翔太は父親から見据えられた目をそらせずに無言を保った。  二人の沈黙が続いた。  翔太はなにも言えなかった。今、亮太をかばう伸一と電話でけんかをしたばかりだ。それも亮太が泣いたと話した。そんな状況で、将来、お笑いをめざして、コンビを組んで漫才師をめざしたいとは口が裂けても言えなかった。言えるはずがない。もしかしたら、最悪の場合はコンビ解散どころじゃない。亮太や伸一とも友達でさえいられなくなる。自分は独りぼっちになってしまうのだ。奥歯に力が入った。力を入れた分、目が緩んできた。鼻息も荒くなる。涙が浮かびそうになった。翔太は口を閉ざした。 「なにも言えないだろ。なにも語れない。なにも反論できない。自信がないのなら、勉強しろ。勉強をすれば、その先に広い道が見えてくる。そうすれば、お前の選択肢も増えてくる。お前の可能性が広がるんだ。自分の道について胸を張って言えないのなら、今は勉強をしろ。それがお前のためになるんだ。父さんの言ってることを素直に聞け」 「そんなことわかってるよ」  翔太は立ち上がって外へ飛び出した。 「翔太」  母の声がうしろから聞えた。  翔太は自転車に乗り、とにかくペダルを踏んだ。車のライトが滲んで見えた。 「くそっ、くそっ、くそっ」他に言葉が思いつかなかった。情けないほど語彙が少ない。ツッコミ失格を証明された気分だ。翔太は惨めな気持ちで、ただひたすらペダルを踏み続けた。  ほんのり額に汗を感じた。右腕の袖で涙と汗を拭った。橋まで辿り着いて、翔太は土手の方に向かった。数メートル進んだ先で自転車を止めた。翔太は自転車を降りて土手に寝転がった。ぼんやり星を眺めた。切らせた息が整っていく。大きく深呼吸をした。車が橋を通りすぎる。車のライトが流れる。辺りがまた暗くなる。虫の鳴き声が聞えてきた。 「虫か」  翔太はつぶやいて、亮太が冗談半分で話したことを思い出した。 「虫に刺されてキンカンぬったら、スースーしすぎちゃって、もうすぐで風邪を引くとこだったよ」 「キンカンで風邪なんか引くかよ」  亮太がウケたと思って満面の笑みを向けた。  翔太はくすっと思い出し笑いをした。しばらくの間、翔太は土手で時間を過ごした。    月曜日から周囲の雰囲気ががらりと変わった。  授業中にプリントを配るとき、亮太が俺のことを「翔ちゃん」ではなく「窪塚君」と、なんともよそよそしい呼び方をした。俺も「おう」ではなく「はい」とぎこちない返事をした。なんだこの他人行儀な態度は。それに加えて伸一は俺のそばに寄って来ない。まるで教室の一角だけ電気を消したように暗い。にぎやかさが消えた教室の片隅に、違和感を感じた同級生達が、顔を向け、視線を向け、小首を傾げる。「変な顔して見るなよ」と言ってやりたくなるくらい、居づらい雰囲気が漂う。翔太は一切ネタ帳を広げることもなく、教科書だけを見つめた。  二時限終了後の休憩とお昼休みには一人でホールへ行って時間を潰した。  鬱ぎがちになりそうな姿を同じクラスの人に見られたくはなかった。  翔太は他人の顔が怪訝(けげん)な表情を向けているように思え、自分に向ける目が睨んでいるようにも見えた。教室の同級生ばかりではない。廊下を歩いているときも、知らない女子生徒までが同じ素振りをしているようだ。すべての人が俺を憎んでいるのではと感じた。  翔太は心の湿(しめ)った日々を過ごした。
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