第五章 「伸一」 1「ずっとお前達がうらやましかったんだよ」

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第五章 「伸一」 1「ずっとお前達がうらやましかったんだよ」

 伸一は自分の部屋でデジタルカメラを手に取り、教室で撮影した画像を確認した。  なかなかの出来だ。みんなの笑顔が生き生きとしている。とくに亮ちゃんの目のさがりようといったら、こっちまで笑えてくるほどの笑みを満面に押し出している。先日までの落ち込みようと比べたら、天と地ほどの違いだ。  よし。早速、印刷しよう。  伸一は印刷しながら亮太のことを思い出した。  先日、亮太が落ち込んだ顔をして伸一の家に来た。伸一の部屋に入ってきたが、亮太は座り込んだまま一向に要件を話そうとしない。  落ち込んだとき、人はなにか伝えたいことがあっても、すぐに言い出せないこともある。 「他人の家にまで来たのに早く話せよ」などと、相手の心を無理にこじ開けるようなことはしたくない。人を頼って来るだけでも、悩みのある者にとっては、一歩前進していることになる。だから、自然に、素直に、正直に、相手の気持ちが整理されるまで、待ってあげることが大事だ。伸一はあえて亮太の訪問理由を訊ねることはせず、もっぱら芸能人ネタやテレビドラマの話をした。亮太が伸一の話に短い言葉で相槌を打った。  伸一は押し入れの中から、過去に取りためた写真を取り出した。一枚、一枚、ゆっくり眺め、「懐かしいな」と笑い声にならない笑みをもらしながら会話をつないだ。  亮太は自分から話をしない。伸一の言葉に返事をするだけ。  文化祭のときの写真を見て、亮太が手を止めた。  亮太がじっと写真を見つめた。そこで伸一は話しかけた。 「このときのお前ら、いい顔してるよ。そう思うだろ。だってこれを見てるだけでも、見てる人にまで笑顔を作らせるんだから。お前らすごいなっていつも思うんだ。それでこんな写真を撮った僕もすごいなって。へっへっへっ、ちょっと自慢。でも、ほんとにいい写真だろ。僕、この写真が好きなんだ」  亮太が、うん、とだけうなずいて沈黙した。伸一が顔をあげたとき、亮太の異変に気づいた。亮太が両肩を小刻みにふるわせながら口を噤んでいる。 「どっ、どうしたんだよ亮ちゃん。えっ、まじかよ。泣くなよ。なんで。僕、なんか変なこと言ったっけ」 「ごめん。そうじゃないよ。実は今日、家に帰って、母ちゃんに『ただいま』と言って笑ったら、母ちゃんに言われたんだ」 「叱られたのか」 「そうじゃなくて、『亮太も作り笑いを見せるようになったんだね。いろいろ心に抱えることがあるんだ。大人になったねえ』って、そんなことを母ちゃんが言うんだよ」 「お前の母ちゃん、なんかすごいなぁ」 「うん。いろんな人を見てきたからだと思うけど、母ちゃんに言われたことを思い出すと、翔ちゃんのことが胸の中から(あふ)れ出してきたんだよ。今までのいろんなことがワンシーン、ワンシーンになって、頭の中を駆け巡った」  亮太が心の底で(わだかま)っているものをすべて吐き出させるように、伸一は口を(はさ)むこともせず、ずっと聞き入った。 「僕、翔ちゃんとコンビを組んでいると言っても、ネタはほとんど翔ちゃんに考えてもらっているし。翔ちゃんはしゃべりがなめらかになるように何度も練習をしてる。それに比べて僕はネタをよく噛んだりする。おまけに去年のマンザイ甲子園では、緊張からネタを忘れて、頭がまっ白になっちゃって、全部ぶちこわしてしまった。なんにもちゃんとできてない。なのに、今でもずっと翔ちゃんに頼りっぱなしでさ。もう自分がいやになっちゃって」  伸一は言葉にはせず、うなずいて話を聞き続けた。 「それでさぁ、この前、T高校の堤君が現れたじゃない。明るくて、はきはきしゃべるし。元気があるし。あんな人が翔ちゃんとコンビを組めば、もっとおもしろいマンザイができるだろうなって思ったりして。翔ちゃんの才能がどんどんいかされるような気がしたんだよ。だから、僕が翔ちゃんの足を引っ張るよりも、『翔太・健太』の本番に、僕が翔ちゃんの練習台になった方がいいのかな。とか考えたんだよね」  伸一は目を見張って否定しようとしたが、亮太がまだ話しを続けようとしているので、がまんして口を閉じた。 「でも、内心はそれもいやだなとか、自分勝手なことを思ったりして。やっぱり、僕は翔ちゃんとマンザイをしているときが一番楽しいから。でも、このまま翔ちゃんの足を引っ張ることもいやなんだよね。なんかはっきりしないんだけど、どう話していいかわからなくなっちゃったんだよ。こんなことを一人で考えていると、頭がこんがらがって壊れそうになってさ。ごめんよ。わけのわからないことを言って」  亮太が話し終えると頭を深く垂れた。伸一は亮太の気持ちが理解できた。  自信のない人は、人に気遣いができる人は、他人に優しい人は、いつも両極の思いを抱いて葛藤(かっとう)するものだ。亮ちゃんの心が揺れているのは、人として優しい気持ちを持っているからだ。  伸一は亮太へのはげましを含めて自分の意見を述べた。 「まずさ、才能の話だけど、才能って、生まれ持って身につけている人は希だと思うよ。ほとんどの人は努力を重ねて作り上げていくものじゃないの。ほら前に三谷も言ってたじゃない。だから最初からあきらめないで、がんばればいいんだよ。今日より明日。明日より明後日。毎日一歩でいいから前に進めるように努力をすればいいんだよ」  亮ちゃんは僕の話をちゃんと聞いている。伸一は亮太の姿勢を見て話を続けた。 「それから、翔太のことだけど、翔太が思ってることは、翔太自身の口から聞かないと誰にもわからないんじゃないかな。だって翔太はまだなにも言ってないしさ。『亮ちゃんとコンビを解散して、堤とコンビを組む』なんてことは一言も聞いてないよ。僕は翔太がそんなことを考えているとは思えないけど。だって、この写真をもう一度見てよ。すっごく楽しそうな顔をしてるじゃない。僕さ、思ったんだけど、これを翔太に見せてこようと思ってるんだ。これを見て、翔太がどう思うか、それを訊いてみたいんだよね」 「翔ちゃんに会いに行くの」 「うん。そう思ってる。僕さ、亮ちゃんも会いに行くべきだと思うよ。結果がどっちに転んだとしてもさ、このまま自然(しぜん)消滅(しょうめつ)みたいなのっていやじゃない。だから亮ちゃんも気を遣うこともあるだろうけど、気遣った判断じゃなくて、ほんとにどうしたいのか、ちゃんと翔太に自分の気持ちを打ち明けてみれば。ねえそうしなよ」  亮太が返事をせずに黙り込んだ。返事をしなくても自分の話には耳を傾けているので、伸一はさらに話を続けた。 「去年の冬休みにある先輩と話をする機会があってさ。その人は知井元信さんって人で、二つ年上の大学生なんだけど、いいことを言ってくれたんだよね。『大人って、人生を歩み続けながら、一つ、二つと後悔を積み重ねて生きてる人が多いと思うんだよね。それって、若いときに思いを残すから、大人になってから後悔するんじゃないの。だから頭で思っていることは、まず行動をしてからその先を考えろ』って。まあ闇雲(やみくも)になんでもしろって言ってるわけじゃないけどね。それなりに準備とか知識は必要だけどさ。ある程度考えたなら、立ち止まる理由ばかり考えてないで、ぐずぐずしてないで、ちゃんと行動に移せって言う意味だと思うけど」  亮太はまだ返事をしない。伸一は思いきって起爆剤を投げ込んだ。 「僕さ、ずっとお前達がうらやましかったんだよ。知らなかっただろ」  伸一に問いかけられて、亮太が顔をあげた。 「僕達が、どうして」  やっと亮太が目を見て話すようになった。伸一は心の中にあるコンプレックスを吐き出した。 「亮ちゃん達は自分自身で輝いてるじゃない。二人でマンザイをして、自分の言葉で人を笑顔にさせる。少なくとも僕にはそう見える。でも僕にはそんな才能も特技もない。自分では輝けないんだよ。二人とも、すげえな。っていつも思ってるし。その反面、僕はどうしようもないな。と自己嫌悪に陥ることもある。そこで見つけたのが写真なんだ。素材は自分じゃなくても輝いてるものを見つけて写真に残す。輝くものを通して、間接的なら自分だって輝ける気がしたんだ。他力本願になるかもしれないけど、そういう考え方もあっていいんじゃないかってね」  伸一の本音はそこで止めた。
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