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第一章 「新学期」 3「ポニーテールの人が僕の彼女です」
K高校には、普通科、林業科、畜産科、生活科がある。
普通科はA組からF組の六クラス。林業科はA組とB組の二クラス。畜産科は一クラス。生活科は一クラス。それぞれのクラスには三十五人が在籍する。
今日は朝一番に全校生徒の朝会が体育館で行われた。
入学式のように来賓や偉いさんが出席するお堅い式ではなく、生徒と先生だけで行う新入生歓迎式だ。新入生が萎縮することもなく、早く学校に慣れてもらうためにと考えたことらしい。
初めに我らの学級委員長であり、生徒会長でもある山村紗英が、新入生に歓迎のあいさつをした。次に、新入生の代表があいさつをした。最後に副生徒会長である三年A組の石積登が余興の紹介をした。「早く学校を知っていただくために」とか、「学校生活や環境に慣れていただくために」とか、もっとらしい説明をしながら余興の前振りをする。
「では、『翔太・亮太』です。どうぞ」と石積がコンビ名を紹介して舞台の横にさがった。
翔太と亮太が腰の前で両手を叩きながら体育館の舞台へ出て行く。
文化祭の催しものならともかく、学期始めの慣れない環境では歓迎の表現も小さく、ぱち、ぱち、ぱちと、手拍子にもばらつきがあり、とてもノリが悪い。
翔太と亮太はコンビ名を紹介したあと、全校生徒の顔に目をすべらせた。
顔を下に向けている生徒が大半だ。欠伸をしながらうしろの生徒に話しかけている。呆れたように指を差しながら話す女子生徒もいる。中には早く教室に帰りたいのに足止めをされた不満からなのか、二人を睨む生徒もいる。アウェーで戦う選手のような気分だ。
最悪の雰囲気に怯んだ亮太が第一声を発した。
「おっ、おはようございます。みっ、みなさん、お元気ですか」
短い言葉なのに、亮太が噛んだ。いきなりスベった空気が体育館に充満する。
「元気に決まってるやろ」
翔太が亮太の緊張をほぐすために、背中を強めに叩いた。叩いた瞬間に亮太がみっともなく咳き込んだ。くすっと数人の生徒が微かに笑った。
翔太がマイクに入らない声で亮太に伝えた。
「前を見るな。俺を見てしゃべれ」
亮太が小刻みにうなずいて、やっとネタをしゃべり始めた。
「今日のお客は若い人ばかりだねぇ」
「お客じゃねえよ。全校生徒だからね」
亮太は翔太の口元に目を向けてネタを続けた。
「今日はとても歓迎されてるみたいですね」
「ほう、とても歓迎されてるというのは、どうしてですか」
翔太が短い言葉で聞き返す。
「みんながスタンディングオベーションでお迎えとは、盛り上がってますよ」
「盛り上がってるわけじゃない。全校朝会の流れだから立ってるだけでしょ。ほら前の方に新入生が並んでいるじゃない」
「なるほど。これから高校生活が始まるから、不安もいっぱいですよね」
亮太の言葉が流れだした。翔太も落ちついてネタを続けた。
「学校生活と言えば、やはり早く友達を作ると楽しくなるよね」
「僕達みたいに、『あうんの呼吸』というか、なんでも分かり合えるような友達ができるといいよね」
「亮太君、いいことを言うね。まあ、いわゆる『つうかあの仲』みたいな関係だよね」
「僕達はなんでも話が合うから楽しく学校生活を送っていますよ。僕がなにか言えば、翔太君は必ず『つうか』って言ってくれる」
「それは否定だろ。『って言うか』と同じ意味なの」
「えっ。違うの」
亮太がびくっと驚きのリアクションをして、目を見張った表情をする。
何度も練習をして見慣れていても、亮太のリアクション顔に翔太は笑えてくる。
前方からもくすくすと笑いが起こり始めた。
リアクションが出れば、亮太の緊張は完全にほぐれた証拠だ。亮太はネタに集中している。よし。この流れのまま進めれば、いい感じで終れる。と翔太は思った。
新入早々教室を間違えるネタ。トイレの場所を間違えて漏れそうになるネタ。続いて先生のモノマネでは高学年にウケた。最後に学校生活をより満喫させるために恋をしようということで、亮太の彼女である新堂美咲のネタを披露することになった。
翔太は気が引けたけど、亮太がどうしてもやりたいと熱望したので、しかたなくネタに入った。
「バカだねぇ。こんなバカなやつでも学校生活では彼女ができるから」
「彼女ができるっていうのはとても楽しいもんですよ。恋人ができるといろんな意味で張りが出ます」
亮太が満面の笑みで語る。
「こんな顔して。こんな体してるんですけど」
翔太が顔を両手ではさみ、上下左右に顔を伸ばしたり、口の両側に人差し指を引っかけて広げたり、人差し指と中指で鼻の穴を広げたり、誰がどう見ても「ブスなのに」と受け取れるような変顔ネタをする。
最後に翔太が両腕を広げて、彼女の体形が太っていると、実際とは真逆の体形を伝えた。
前方からくすくすと笑う声が聞こえてきた。続いて全校生徒からもくすくすと笑いが起きた。ここで終わらせて、「もうやってられんわ」とか「もう終わらせてもらうわ」と締め括りの言葉で舞台を降りれば、まずまずのできで終れたはずだ。
そのはずが、亮太が調子に乗って。悪乗りをした。
「真ん中の列の後方で、ほらあそこに立っているポニーテールの人が僕の彼女です」
亮太が明らかに美咲の特徴がわかることを口走って美咲の方へと指を差した。
「バカ。こんなとこでばらすんじゃねえよ」
翔太の顔が一瞬で引きつった。
好奇心の渦が集結し、ざわざわとした騒ぎが波となって全校生徒の視線が美咲へと向う。
まず三年生が美咲の方に顔を向けた。続いて二年生、一年生、と全校生徒の視線が新堂美咲に集まった。
美咲は恥ずかしさから瞬時にその場でしゃがみ込み、全校生徒の視線から姿を隠した。
「あれっ、痩せてるじゃん」と誰かが言うと、体育館中からどっと笑いが巻き起こった。
美咲は体中の熱が顔に集まり、顔が真っ赤っかになった。美咲は恥ずかしさのあまり居たたまれず、中腰になり、全校生徒から顔を隠しながら体育館を出て行った。
いくら笑いを取るためと言っても、さすがにまずいことをしたと感じた翔太がマンザイの途中でネタを忘れ、美咲が出て行く後ろ姿を呆然と眺めた。
美咲が体育館から姿を消したあと、亮太が横目で翔太の顔を見た。亮太は翔太の引きつった顔つきを見ても意味がわからず、再び体育館の出入口を見続けた。
やべえ、体育館の雰囲気が悪くなってきた。早く終わらせないと泥沼状態になる。翔太は焦りながらマンザイを締め括った。
「なっ、なにを自慢してるんや。もうやってられへんわ。とにかくみなさん、学校生活を楽しみましょう」
翔太は逃げるように亮太の袖を引っ張りながら早足で舞台の横へ隠れた。
「なんで。翔ちゃん、みんなにウケてたよ」
「ウケてたじゃねえよ」
全校朝会の終了あいさつをするために残っていた山村紗英が軽蔑した目を二人に向けた。
「あれでは新堂さんがかわいそうよ。いくらなんでもちょっとひどいんじゃない」
紗英の冷めた声が二人の顔に反省の色を浮かべさせた。
二人が美咲に謝らなければと、小走りで教室に戻ろうとした。
体育館の出入口のところで、杜野先生がにんまりした顔で感想を伝えた。
「お前らにしては上出来だ。なかなかおもしろかったよ」
二人はちょこっと頭をさげて杜野先生の横を通り過ぎた。
回想を終えた翔太が伸一に同意を求めた。
「なあ、チョロ、あれは、俺にとっては避けようがない事故だろ。そう思わないか」
「翔太、気持ちはわからないでもないが、ここは二人の責任じゃない。だって亮ちゃんは翔太の相方だしな。やっぱり舞台上の出来事だからね」
「そうなりますか」
翔太がかくんと頭を垂れた。
背後に人の気配を感じた三人がぞくっと寒気を覚えた。
「いくら他人にウケても、人を傷つけるような笑いはよくねえな」
振り返ると大きな壁が存在した。
身長一八七センチ、筋骨隆々の大柄で、相手が誰であれ、人に威圧感と恐怖感を与える男が立っていた。
「あっ、竜ちゃん」
亮太だけがうれしそうな表情をして、神田竜二を馴れ馴れしく呼んだ。
「竜ちゃんじゃねえよ。亮太、いくら打ち解けた人でも、人を辱めるようなネタはしちゃあいけねえだろ」
「ごめんなさい」
亮太が素直に謝った。翔太と伸一は少しばかり緊張して立ち竦んだ。
「それよりお前ら、今日は早く授業が終わるから、いつもの練習だ。ダメ出しをしてやるから覚悟しておけよ」
竜二が凄味のある声を残して林業科の教室へと消えた。
林業科と畜産科には血気盛んな学生が集まっている。
その中で、神田竜二はK高校を仕切る男だ。けんかはめっぽう強く、他校生も一目置くほどだ。荒くれ仲間から「ヘッド」と呼ばれ、誰も竜二に逆らう者はいない。絶大なる存在感の持ち主とも言える。
竜二の噂や伝説はいくつも聞こえてくるが、実際、その場を見た者はいないようだ。武勇伝が一人歩きしていると言っても過言ではない。実態が見えないだけに、竜二の存在感は絶大なものとなる。少なくともK高校には、竜二に逆らう者は一人もいない。不良仲間にさえ恐れられる竜二が、人の道を外れたことをしないのも不思議だが、クラスも専攻も違う翔太や亮太と関わり合うことも不思議なことだ。
そばで見ている伸一にも、竜二が二人をいじめているようには思えないのである。
最も摩訶不思議なのは、亮ちゃんが「竜ちゃん」と馴れ馴れしく呼ぶことだ。
馴れ馴れしい態度で接する亮ちゃんに対して、竜二は怒ったりしない。ただ、がたいが大きく、存在感だけの人間かもしれない。竜二の噂話だけが先行して膨らんでいるのかもしれない。と疑いたくなるときがある。伸一は竜二の姿が見えなくなると、大きく息を吐き出した。
「お仕置きだって」亮太が呑気な口調で言う。
「そんなこと言ってねえよ」翔太がツッコンだ。
亮太が笑顔を向けると、翔太が呆れた顔をする。
「それはそうと、チョロ、美咲ちゃんと話をしてた写真って、なんの話だよ」
「美咲ちゃんの話は、前に美咲ちゃんが亮ちゃんを蹴り倒したとき、望遠つきのカメラで撮ったことがあってさ。それが正面すぎて、美咲ちゃんの白い下着が写ったんだよ」
「うわぁぁぁ。言うな。伸ちゃん、それ以上は言わないでくれ」
亮太が伸一の口を両手で塞ぎにいく。
「わかった。わかった。もう言わないよ。でも美しかったなぁ。白い」
「わぁぁぁぁぁ、やめてくれ。股間が疼く」
「アホかお前は。それよりチョロ、その写真はちゃんと処分したんだろうな」
「処分って言うか、亮ちゃんにネガと写真をちゃんと渡したよ」
「亮太はちゃんと処分したんだろうな」
亮太の目が泳ぎ、挙動不審の素振りを見せる。
「お前、処分してねえな。そんなこと知られたら、美咲ちゃんが本気で怒るぞ。俺は知らねえからな」
「翔ちゃん、大丈夫だよ。美咲にネガを渡したとき、その場で焼いたから。ちゃんとしたから大丈夫」
「ほんとかよ」
「それはそうと、亮ちゃん、翔太。なんか腹が減ってこないか。次の休憩時間にホールへ行って、なんか食べようぜ。いいだろ」
三人がぐだぐだ言いながらC組の教室へと戻った。
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