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第一章 「新学期」7「そんなのダメ出しに決まってるだろ」
二人はどきどきしながら顔をあげた。今までとは明らかに違う光景が目に映った。
不良達が目を見張って二人を見続けた。日置政孝だけが唇を噛んだ表情を向けた。妙な雰囲気が漂う。静寂の中で、ゆっくりとした拍手が響いた。ぱん。ぱん。ぱん。と、ひとつ、ひとつがはっきりと聞こえる大きな音だ。
二人は最後尾に目を向けた。不良達も振り返った。
「ようし。ご苦労様。今日はこれで御開だ」
二人はほっと胸を撫で下ろして切り株から降りた。
ほっとしたのも束の間、竜二が一言つけ足した。
「お前ら、このあと反省会だからな。勝手に帰るんじゃないぞ」
「はっ、はい」
二人が声をそろえて返事をした。他の不良達はなぜか無言でぞろぞろと帰った。
翔太は日置の舌打ちが気になった。竜二には聞こえなかったようだ。
竜二は顔色一つ変えず、いや口元は微かに緩んでいる。すたすたと切り株の舞台まで足を進めた。二人は緊張した姿勢で立ち続けた。竜二が切り株に座れと手で示した。二人は切り株に腰を下ろした。竜二は景色でも眺めているように背中を向けている。無言のまましばらく間を置いた。
竜二の背中を見ていると、緊張感が体の中から滲み出てきた。次第に頭が垂れてくる。
「最後のネタはおもしろかったよ。おもしろかったけど、コンビニのネタは、高校生ではなく、社長と社員とか、店員とお客とか、役柄の設定を説明してネタに入れば、もっとおもしろくなるんじゃないか。まっ、判定は合格だな」
竜二のほめ言葉に驚き、二人は同時に顔をあげて竜二を見た。竜二が振り向いた。
翔太は初めて竜二の笑い顔を見たような気がした。お世辞でも媚びでもなく、いい顔をした男が僕らを見下ろしている。清々しさを感じたのは思い違いだろうか。それとも別人だろうかと疑いたくなるほど、竜二の顔が普段と違って見えた。
「竜ちゃん、ほんと。ほんとにおもしろかった」
亮太が人懐っこく聞き返す。翔太はぎょっとして亮太を見た。
「ははっ。亮太、あいつらがいるときは、その呼び方はやめろよ。一応、俺にもイメージってもんがあるからよ」
「あっ、ごめん」
「気にするな。今はいいよ」
「ありがと」
「それよりも、さっきのマンザイについてだ。お前らをやじって冷やかしてたあいつらが途中からやじらなくなった。なぜだかわかるか」
翔太と亮太は顔を左右に振った。
「お前らは途中から急に吹っ切れたようにテンポ良くしゃべりだした。まるで誰の声も聞こえない。外野の声などは気にしない。自分達のマンザイだけがすべてだと言ってるように集中してネタを続けた。テンポ良く受け答えをしていると、二人の受け答えに流れが出てくる。無駄な間がなくなる。だからあいつらには口を挿むような隙がなくなった。またテンポ良く流れができれば、聞く方は聞きやすくて、聞き心地がよくなるんだ」
翔太は黙って聞く姿勢を保った。亮太は竜二にほめられて、喜びいっぱいの表情を浮かべた。竜二はそのままの姿勢で説明を続けた。
「今日はやじってやろうという相手を黙らせた。上出来だと思う。だがな、プロはストリップ劇場に来るお客を相手に、色気とお笑いという目的が違う相手の前でネタを披露して笑わすんだ。言ってる意味がわかるか。いつかあいつらを笑わせてやれ。それができれば、お前らはほんものだよ」
「ほんものだって」
亮太が大喜びで翔太の肩に手を置いた。翔太はちょっとだけ亮太の手に目を向けたが、すぐに竜二へと視線を戻した。翔太は横顔のまま、亮太の興奮を宥めるように、何度も無言でうなずいた。翔太の目は竜二をはなさない。
「おいおい。まだほんものになったわけじゃないぞ。可能性の問題だ。じゃあこれからが本題だ」
「本題って」
亮太がきょとんとして聞き返した。
「そんなのダメ出しに決まってるだろ」
翔太が真顔で答えた。聞く姿勢には謙虚さが見えた。
亮太があきらめきれずに竜二に聞き直した。
「ほんとに」
「当り前だ。ほめるだけならわざわざ残って言うかよ」
亮太の頭がかくんと垂れた。
「ふっ、ほんとにおもしれえやつだなお前は。じゃあ始めるぞ」
竜二がマンザイのダメ出しをいくつも言い並べた。二人は聞き入るしかなかった。怖さからではない。竜二の言ってることがなにもかも的を射ており、反論の余地もない。
まず最初に言われたのは、ダメ出しと言うよりもお叱りを受けたと言ったほうが正しい。
新堂美咲をネタにしたことだ。
身内の者を貶めるようなネタはやめろ。人を傷つけるようなネタはするな。と厳しい口調で注意をされた。
次は同級生ネタのことだ。
高校生だからしょうがないが、個人名を出さなきゃ伝わらない人物像はさけろ。同級生の名前を出しても、通用するのは学校内だけだ。いわゆる身内ネタだ。お前らのめざす甲子園では面白さが伝わらない。ウケが弱くなる。へたをすれば大きくスベることになる。個人名を出してどうにか通用するのは、「そんなの誰も知らねえよ」とツッコミを入れることしかない。それ以上は広がらない、限界のネタだと言う。
次はマンザイ甲子園でのことだ。
マンザイ甲子園の観客には女性客が多い。だから下ネタは厳禁だと言う。下ネタに入った段階で、観客の気持ちが一気に引くこともある。プロだってゴールデンタイムで下ネタを活用する者はいずれ姿を消す。あれは舞台ネタにしてこそ通用するネタだと言う。
次は滑舌をもっとはっきりしろ。仮設的に設営した会場では声が通りにくくなる。特に舞台ではなく、ほぼ三百六十度が空間になる場所では、声が分散される。スタンドマイクが声を拾いきれない。三メートルも離れたお客には聞こえないということだ。
次は「早口」と「テンポの良さ」は違うってことを認識しろ。早口だと言葉を聞き取れない。どんなにおもしろいギャグやオチやマンザイをしても、相手に伝わらなければ、ただの口パクだと思えと言う。
「以上だ。わかったな」
竜二がダメ出しを終えた。
注意事項が多くて、頭の中で整理がつかなかい。亮太は目を回すようにちんぷんかんぷんな表情をした。
「大丈夫。全部俺が覚えているから」
翔太が亮太の目を見て伝えた。
「よかった」
亮太が安心して、顔をゆるませた。
「おお、それからもうひとつ言い忘れた。最後に先生や同級生のモノマネは学校以外じゃ通用しないぞ。似ていても、誰もそいつのことを知らねえからな。身内ネタと一緒だ」
「じゃあ、西郷隆盛ならどう。誰もその実態を知らない。それでいて日本人なら誰でも知ってる有名人だよ。ダメ」
「だからそれは誰が似てるって証明をするんだよ」
翔太がツッコミのように亮太の頭を叩いて注意した。
竜二が呆れた顔つきをした。
「まあ、窪塚がいるから大丈夫だろ。じゃあな」
竜二は二人を通り越してその場を去った。
翔太は切り株に座り込んだまま黙り込んだ。
俺達は九百組ものコンビが参加する場所で、優勝をめざしてがんばるんだ。でもこんなもんじゃ、まだまだダメだ。人を笑わせることなどできない。
竜二のダメ出しと言うよりも、助言と言った方が正しい。何もかもが正論だ。それから長けた人の洞察力や観察力にも驚いた。つけ加えて言えば、偏見かもしれないが、黒い噂が取り巻く不良にしては、お笑いに詳しい。まるでなにもかも見てきたような、体験したような、とても説得力のある内容だ。翔太はつかみきれない正体を持つ、竜二の存在に衝撃を受けた。どうしてこれほどの男が不良達のヘッドに根を張っているのかと、翔太は疑問を抱いた。得体の知れない男に少なからず恐怖を感じた。それは暴力という力ではなく、人間性という意味でだ。それだけに怖さが増してくる。翔太は厳しい顔で考え事をした。
亮太が心配顔で翔太の顔を覗き込んだ。
「なんでもない。大丈夫だ。亮太、俺達も帰ろうか」
亮太がうなずくと二人で歩き出した。
山の麓までおりてくると、伸一が強張った顔で待っていた。
「どうしたチョロ。なにかあったのか」
「いや、二人がどうにかなったのかって心配してたんだ」
「どういう意味だよチョロ」
「さっき、日置を先頭にして、『竜二のやろうがとか』、『調子こいてどうとか』、怒りながら数人が帰って行ったからさ、仲間割れか。なにかもめたのか。カメラの望遠では表情が見えても、離れてるから声まで聞こえないからさ」
不良達の愚痴を聞いて、翔太の心には曇り雲が生まれた。返答の声も小さくなった。
「いやなんでもない。もめてないから」
「そうか。翔太がそう言うなら安心したよ」
「それより伸ちゃん、僕ら、竜ちゃんにほめられたんだよ。がんばれって」
「それ、ほめてねえじゃん。はげましてんじゃん」
「そうか。じゃあがんばる」
亮太が呑気に答えた。
「じゃあまたあしたな」
三人がそれぞれの家に帰っていった。
亮太が家に帰ると、母親が張りのある声で迎えた。
「お帰り。夕飯を早く作るから、ちょっと待っててね」
「母ちゃん、いつでもいいよ」
「大事な息子を餓死させるわけにはいかないからね。天国の父ちゃんに申し訳が立たないよ」
「そんな大げさな」
亮太の受け答えに母親が笑い声を上げた。
家に帰った美咲は、仕事休みの母親にお金をねだった。
「お母さん、お金ちょうだい。ちょっと行ってくるから」
「どこへ行くんよ」
「これこれ。ねっ、早く。時間がないから」
「もう、しょうがない子やねえ」
母親はぶつくさ言いながらお金を手渡した。
美咲は着替えもせずに自転車で出かけた。
翔太が家に帰ると、母親が第一声に小言を言った。
「遅かったね。今日は午前中で終りじゃなかったのかい。ほらもう三年生なんだから勉強しなさいよ。またお父さんに叱られても知らんよ」
「わかってるよ。今からするから」
翔太はうんざりして自分の部屋に入った。
伸一は玄関の鍵を開けて、満足げな顔つきでデジカメを見つめながら部屋へ入っていく。
服を着替えて、身軽にして台所へおやつを取りに行った。
テーブルに書き置きしてあるおやつのプリンを冷蔵庫から取り出して自分の部屋へ戻った。
竜二が家に帰ると、父親が食卓にいた。
「不良坊主のお帰りか。お前は将来なにをするや。兄貴のようになるんか」
「ならねえよって、おやじ、今頃から酒を飲んでんのかよ。しょうがねえな」
「自分の金をどう使おうが俺の勝手だ。文句言うな」
「ご機嫌斜めだな」
「竜二、田舎もんが夢をみたって、たいしたことはできねえぞ」
「わかってるよ」
竜二はさっさと自分の部屋へ逃げ込んだ。
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